鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 東京大学社会科学研究所教授・玄田有史さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
つまらぬ財産より希望のほうがマシ
鎌田 先ほどの『希望学』の中に、『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスの言葉が紹介されています。「つまらぬ財産を持つより、立派な希望を持つほうがマシだ」。いい言葉ですねぇ。
玄田 いろいろな人たちに「あなたにとって希望とは何ですか」という質問をぶつけると、意外にすぐに答が出てこないことも多い。そういう意味では、本当の希望というのは、引き出しのいちばん奥にしまっているものなのかもしれません。でも、すぐに出てこないからといって、希望を持ってないのではない。自然に出てくるまでお付き合いをする、それも、希望だという感じがしますね。
鎌田 この人には希望がないということはなく、どこかにある。
玄田 そう思います。ですから、日本には希望がないと決めつけてはダメなんだと思っています。大阪大学総長の鷲田清一さんが『「待つ」ということ』という本で、最近の日本人は待つことが苦手になっている、と指摘されていますが、希望は出会いです。たとえ待ちぼうけになったとしても、時間と向き合いながら、希望を待つという態度が必要だと思います。
鎌田 がん患者さんも希望が持てないと思っても、じっと待っていると、心のどこかにあるほのかな希望に気づくときがくる、ということですね。
玄田 あくまで噂話なのですが、ある有名な若い女性歌手がマネージャーに「絶望の反対は何だと思う?」と尋ねたところ、マネージャーはしばらく考えて「希望じゃないですか」と答えたそうです。するとその歌手は「私はユーモアだと思う」と言ったそうです。私はこの話が好きで、「ユーモア」を『広辞苑』で引いてみると、「上品なしゃれ」と書いてありました。それじゃあユーモアがないと思って(笑)、『新明解国語辞典』を引いてみたら、「社会生活(人間関係)における不要な緊迫をやわらげるのに役に立つ、婉曲表現によるおかしみ」と書いてあり、ちょっと感動しました。
もしいま、絶望により緊迫状況を迫られているとしたら、求めるものは希望であり、同時にそれは、何らかのその人なりのユーモアなのかもしれません。
鎌田 なるほど。一気に希望を持たなければと思うより、まずユーモアからですか。絶望からユーモアを経由して希望に至る。
玄田 希望が明確であれば、そこに目標を定めてまっしぐらに行けばいい。しかし、多くの人にとっては希望はつねに揺らいでいるものです。そんなとき、希望を求めながら寄り道をしてもいい。寄り道をするなかで、自分の本当の希望に出会ったりする。いまの日本人は寄り道をしなくなっているような気がします。何でもストレートで効率的にやろうとするから、ユーモアも持てないし、希望も遠ざかるのです。
希望を語る人は苦しみの経験者
鎌田 私はアウシュヴィッツに行ったことがありますが、ボランティアのガイドさんが、こういうことを���っていました。「ここでは、希望のない人は生きることができなかった。希望のある人だけが生きることができた。しかし、希望だけでは生きることができなかった」と。すぐには意味がわからなかったのですが、次のように説明されて、なるほどと思いました。
絶望的な状況の中で、「1カ月後に連合軍がくる」というデマが飛ぶ。しかし、1カ月経っても連合軍はこない。デマに希望をかけた人の中には、絶望して自殺していった人もいた。そんなデマにも惑わされず、最後まで生き延びた人は、希望を内に秘めながら、日々の営みを着実に実践し、ひょうひょうと生きた人たちだった――ということです。
玄田 わかる気がします。
鎌田 先ほどのユーモアと同じで、どうしても希望が持てないときは、毎日ていねいにご飯を作り、ていねいに掃除をすることが大事なんですね。
玄田 心理学者V・E・フランクルが、ナチスの収容所時代を書いた、有名な『夜と霧』を読んだことがあります。その中に「ユーモア」という言葉は直接出てこないのですが、自分を客体的に見て、希望の持てる自分と、希望の持てない自分をひょうひょうとユーモアをもって眺めているように感じられるところがあります。
鎌田 アメリカの有名なジャーナリストで、膠原病患者であるノーマン・カズンズが、心と身体はつながっており、笑いの重要性を説いていますね。高尚なユーモアでなくても、だじゃれでいいから、日頃からよく笑うべきだと。
玄田 くだらないだじゃれのほうがいいんじゃないでしょうか(笑)。釜石にもいましたよ。いつも大きな声で笑う飲み屋の女将さんが。「どうせ笑うんだったら、大きい声で笑ったほうが、楽しいじゃない!」と(笑)。
先ほど言いかけたことですが、希望学をやっていて、ひとつ気づいたことは、希望を語る人は、苦しい経験をされてきた人が多いということです。水俣病で苦しんできた人や、阪神淡路大震災で被災された人たちにお話をうかがうと、苦しみの体験談のあとに、希望という言葉がよく出てきたそうです。その上で、苦しい経験をしてきた人たちが、笑いながら苦しみを克服しようとしていらっしゃる姿を見ると、潔さや清々しさを感じます。そのときは、聞いている私たちのほうが、生きる勇気をいただいたりしますね。
人とのつながりから希望は伝播する
鎌田 ところで、最近の希望学の成果は?
玄田 「希望は伝播する」ということです。希望は個人の内面の問題だけではない、という仮説めいたものは持っていました。それが最近は、インフルエンザではありませんが、希望は人から人へとうつるんだと、確信するようになりました。
鎌田 希望は連鎖する。
玄田 なぜ希望は伝播するかと言えば、人のつながりを持っている人は、そのつながりから希望を持つヒントを得られるからです。希望を持つ人が何かしら行動に移すと、それが人とのつながりを介して伝わる。1人では叶わない希望も、広がりを持てば実現することがある。
鎌田 ご主人ががんになった場合、奥さんが希望を持てば、希望はご主人に伝播する。
玄田 と思います。希望学をやっていて、「まんざらでもない」という言葉が好きになりました。希望とか幸せという言葉は、自分からは口に出しづらい言葉です。しかし、100パーセント幸せではなかったとしても、人生悪いことばかりじゃないよ、これからも「何とかなる」「何とかする」という気持ちが、「まんざらじゃない」という言葉には込められたりします。これは希望と通底する気がします。
鎌田 がんにはなったけれど、ここまで生きてきた。まんざらでもない。そういう人は少なくないと思います。そういう人は無意識のうちに希望を自分のものとしているんでしょうね。そして、その人の「まんざらでもない」という気持ちは、周囲の人に伝わり、気持ちを楽にさせるんですよね。
先日、80歳近い男性の死に立ち会いました。その人が死の間際に、自分の生涯を周りの家族に満足げに語って聞かせるわけです。それをお孫さんがとてもいい表情で聞いている。ご本人の人生に対する納得が、孫にも伝播したんですね。
玄田 希望を話し合うと、そこにはかならずストーリーとか、物語という言葉が出てきます。人生という物語を一生をかけて紡いでいくこと。それが希望なんじゃないでしょうか。
壁の前でウロウロ、ジタバタしていい

鎌田 1980年代の調査で、日本は世界第2位のGDP大国なのに、自分は幸せだと思っている子どもは少ない、という結果が出て以来、その傾向はますます進んでいます。なぜ子どもたちが幸せ感を持てないのかと言えば、1つには国家がこの国の希望を語っていないからです。この20年、この国の物語が語られていない。
玄田 この国の物語は必要です。でも権力者が声高に社会の希望を語るより、もっと大事なことは1人ひとりが、自分の希望の物語を紡いでいこうとすることだと思います。年上の皆さんが経験や体験を踏まえながら、若い世代に希望の物語を伝える機会がもっとあっていい。最近、大人が子どもに「大丈夫か?」という言葉を掛けることはあっても、「大丈夫だよ!」という言葉を掛けることは少なくなっているように思います。不安を煽るだけではダメで、もっと「大丈夫」の物語を語るべきです。
鎌田 私は『だいじょうぶ』という本を出していますよ(笑)。最後に、がん患者さんやその家族にひと言、何かヒントを。
玄田 私は高い壁を前にして立ちすくんでいる人には、「壁を乗り越えなきゃあダメだ」と言わなくてもいいんじゃないかと、思うんです。それより、壁にぶつかったときに大事なことは「壁の前でちゃんとウロウロしている」ことです。
鎌田 ウロウロしていればいい!
玄田 ウロウロしている間に、ふっと抜け穴が見つかり、壁が勝手に崩れていったり、壁の向こうから誰かが助けてくれたり……。苦しいときには、ウロウロしたり、ジタバタしていればいい! これは、自分で自分に日頃から言い聞かせていることでもあるんですけど(笑)。
鎌田 ジタバタしていい……。私はこの新年から、「週刊ポスト」で「じたばたしない」という連載を始めているんですが(笑)、ともかく『希望学』に書いておられる、「希望を持っている人が勇気を持って生きることができる」という言葉を、この本の読者に贈りたいと思います。
玄田 それにほんの少しのユーモアも加えていただければ、なおさら「まんざらじゃない」ですね(笑)。
鎌田 希望学でますますがん患者さんを勇気づけてください。ありがとうございました。
(構成/江口敏)
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