鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 がん難民コーディネーター/翻訳家・藤野邦夫さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2009年12月
更新:2013年9月

この国は国民のいのちを守れない国になった……

写真:藤野さんと鎌田さん

鎌田 それは奥さんも不安でしょう。

藤野 さすがの私もちょっと焦りまして、蒐集していた安土桃山時代からの茶碗や、100年前に造られたフランスワインなど1100本のワインを手放しました。ワインを買ったのは中国人で、船で中国に運ばれて行きましたよ。そのとき思ったのは、若い頃は欲しい物を手に入れるために一生懸命働きますが、歳をとってくると物欲が無くなるということです。これも一種の死ぬ準備でしょうか(笑)。

鎌田 自分の茶碗やワインのコレクションを手放してでも、人助けにのめり込んでいったわけですね。

藤野 私はヒューマニストのような立派な者ではありませんが、せっぱ詰まって、困り果てて、暗い顔をしている人たちを見ていると、手助けしないわけにはいかないのです。私のところに来る人は、夫婦で来たり、家族連れで来たりします。そういう人たちを見ていますと、この国はもう、国民のいのちを守れない国になってきている、ということを痛感します。国が守ってくれないのなら、私が代わってこの人たちを武装させなきゃ、と思うわけです。

鎌田 国民のいのちを守れない国……。

藤野 病院に入院しているがん患者さんたちに、「いま何を考えているのか」を聞きますと、「あとどれくらい生きられるか」とか、「自分が死んだあと、家族はどう生きるのか」といった返事が返ってきます。しかし、本心では、誰もが「1日でも長く生きたい」と考えているのです。90歳を過ぎたおばあちゃんでも、「死にたくない」と思っています。高齢の人ほどそう思うのです。ところが、いまの医療現場は、標準治療で治らないとわかった患者さんに対して、とても冷酷ですよね。患者さんの生きたいという気持ち、その家族の生かしたいという気持ちと、医療現場の対応の差はものすごく大きい。

がん治療の選択肢は増えいのちを延ばせるように

鎌田 『がん難民コーディネーター』の中に、現在、がん難民は75万人いると書かれています。75万人というのはちょっと言い過ぎではないかと思いますが、実際、がん難民の方は多いですか。

藤野 病院で行われる治療を信頼できない患者さんが多いですね。がんは死に関わる病気ですから、医師と患者さんの間に信頼関係が不可欠ですが、それができていないケースが多いんですよ。それががん難民を生む背景にあると思います。ただ、医師は午前中の3時間に50人もの患者さんを診ており、たくさんの書類もかかえていますから、大変なんですね。1人ひとりのがん患者さんに多くの時間を取ることはできない。
その一方に、情けない患者さんがいるのも確かです。「肺がんて何ですか」「何の薬をのんでいるのかわからない」という患者さんが結構います。医師もそういう患者さんとは付き合いたくないだろう、と思います。患者さんは少なくとも、自分の病状、治療法ぐらいは正確に知っておくべきです。医師に聞いても忘れてしまう人もいます。自分の病気、治療について、何も理解しないで、セカンドオピニオンを求めても、医師も対応の仕方がありません。
私は、たくさんのがん患者さんを見ていますが、がんになった人の表情は、自然災害の被災地の人たちと表情がどこか似ているような感じがします。

鎌田 がんと言われて、呆然としてしまう人が多いですね。

藤野 地震にしても、土砂崩れにしても、自分のところにはまさか起きないだろうと思っていたために、実際に被災して呆然とする。がん患者さんも似ています。

鎌田 いわゆるPTSD(心的外傷症候群)ですね。

藤野 最初、がんを宣告されたとき、なぜ自分が、と呆然とし、家族に怒りをぶつけたりしますね。しかし、人間が素晴らしいと思うのは、1週間、10日経つと、まともにがんと向き合おうとすることです。そして、しばらくすると、特効薬を求めたがるんです(笑)。

鎌田 それが、なかなかない。

藤野 まだ特効薬はありません。しかし、がん治療の選択肢は多くなってきましたから、長く生きられる可能性は出てきました。私は患者さんによく言うのですが、人類の歴史で死ななかった人は1人もいない。がんで死ぬかも知れないとしても、苦しむことなく、死ぬ日まで希望を持って生きることが大事だ。そのために緩和ケアもある。私は患者さんの足をさすってやりながら、そういう話をして励ますわけです。

人はどう生きるかよりどう死ぬかのほうが大事

鎌田 病院や医師の紹介もするわけですね。

藤野 はい。標準治療では助からないと言われた人でも、違う療法で助かることもあるからです。

鎌田 病院側は、患者さんに本当の病状を伝えた上で、標準治療でダメだったとしても、患者さんにまだ何が起きるかわからないという、1つの希望を持ってもらうようにすることが大切ですね。

藤野 こんな例があります。教会の若い牧師さんが重いがんになり、その親御さんから手紙をいただきました。私は若い牧師さんの病床を訪ね、「大丈夫ですよ。きっと治ります。希望を持ってください」などと、誠心誠意励ましてきました。結局、彼は亡くなりましたが、その後、親御さんから手紙が届きました。「息子は主に仕える身でありながら、がんを宣告され死を怖れて震えていました。しかし、あなたの話に励まされてから、非常に心が穏やかになり、死を怖れることなく、従容と死に赴きました。ありがとうございました」という意味のことが綴られていました。
私は若い頃は、人はどう生きるかが大事だと考えていましたが、がん患者さんとのお付き合いの中で、人はどう死ぬかも大事だと思うようになりました。取材で多くの偉い人たちと会ってきましたが、どんなに偉い人でも、最後に苦しみ抜いて死ぬ人は、結局、幸せな人生とは言えないのではないかと思います。

サードオピニオンで肺がんから無罪放免

鎌田 さて、藤野さんのがん体験についてうかがいたいと思います。43歳のときに肺がんもどきになって、サードオピニオンまで受けたということですね。

藤野 仕事中に吐血し、会社の近くの行きつけの大学病院に駆け込んで診てもらうと、「扁平上皮化性です。こんなに早く見つかってラッキーですね。手術しましょう」と言われました。私が「扁平上皮化性は肺がんになると証明されたんですか」と訊くと、「いやまだ証明されていない」。そこで私は、「今で言うセカンドオピニオンを取ってもいいですか」と言うと、「いいですよ」ということでした。

鎌田 30年前ですよね。当時、セカンドオピニオンを取るなんて、とても珍しかったでしょう。

藤野 相手が親しいお医者さんだったから言えたんです。家内と小学校4年の娘は、「手術しても余命は3年です。切らないと1年もたないでしょう」と言われ、トイレで号泣したようです(笑)。私の前では、顔を引きつらせて微笑んでいましたが、肺がんだと言われたことは、私にはすぐにわかりました。ただ、当時、私は大事な単行本をかかえていましたので、切りたくなかったのです。

鎌田 それで、セカンドオピニオンはどうでした。

藤野 大学病院から手が回っていたらしく、「早く手術したほうがいいですよ」と、私を説得するわけです(笑)。そこで、サードオピニオンを取ろうと、当時、肺がん治療の名医と言われていた駒込病院の工藤翔二先生を紹介してもらいました。工藤先生は2つの病院から送られてきたデータを見て、「僕は肺がんではないと思う。手術はいつでもできるから、まず入院して精密検査をやろう」と言われました。入院すると、肺の内視鏡検査を何回もやりました。あれがつらいんですよね。

鎌田 がん細胞をつかまえたかったんだね。しかし、何回やっても見つからなかった。

藤野 それで無罪放免になりました。会社に戻ると、「藤野はもうダメだ」という話になっていましたね(笑)。


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