鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 読売新聞社会保障部記者・本田麻由美さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2009年3月
更新:2013年9月

温存手術の1カ月半後に全摘手術、再建手術へ

写真:鎌田實さん

鎌田 命が助かりたいのは当然ですが、できれば形は残したいというのも当たり前です。ただ、再発のリスクを加味すると、乳房再建の説明があれば、全摘もあり得た?

本田 がんというだけでショックなのに、全摘というショックに耐えられず、温存にしがみついたわけです。どの程度切除するとどれぐらい変形するのか、再建した場合はどのようになるのか――といった話を事前に詳しく聞けていたら、と思いましたね。

鎌田 本田さんは全摘をした2回目の手術のとき、ものすごく動揺していますね。今のような知識があれば、動揺しなかったと思いますか。

本田 心の葛藤はあったと思います。ただ、探しまくる、求めまくる不安はなかったでしょうし、同時再建を保険制度の問題もなく普通に選択できれば、動揺しなかったでしょう。

鎌田 その全摘手術のときに、再建手術を行うために、周りの脂肪部分をできるだけ残したんですね。

本田 最初の手術から半年後に、そこから局所再発が出てきたわけです。

「がんを取り残した」と素直に謝った主治医

写真:本田麻由美さん

鎌田 これは大変だと思いましたか。

本田 それは、もう。ただ、局所再発の胸のしこりは自分で見つけたのですが、これは胸壁に転移再発したものなのか、リンパ節転移なのか、取り残したものが再発したのか、3つのケースのうち、どれなんだろうと考えたりもしました。

鎌田 それってすごく冷静ですね。

本田 どれなんだろうと思って、震えましたけれどね(笑)。

鎌田 乳腺がかなり広範囲に広がっていることは、その時点で知っていましたか。

本田 いえ。こんなに早く再発するなんて、と不安で、セカンドオピニオンを求めました。そこで、乳腺が意外と広い範囲に根を張っており、全摘したといっても残っていること、その乳腺からがんが出てくる場合もあるなどと説明され、はじめて知りました。

鎌田 でも、自らの触診で再発を見つけたとき、局所再発の可能性を考えたというのは、大したものだと思います。

本田 希望的観測ですね(笑)。

鎌田 主治医の先生が、「私の不注意で取り残していたかもしれない。ごめんなさい」と謝ったというのもすごい。

本田 感激して涙が出ました。最初の温存手術をするときも、その後の全摘手術をするときも、私の迷いに誠実に付き合ってくださった先生です。乳がんになるまで、私は取材者として多くの医療者の方々にお世話になりました。しかし、それは仕事上のお付き合いで��り、第3者的な立場でした。患者さん思いのいい先生だなぁ、と思うことはあっても、それは私が身をもって感じる実感ではありませんでした。しかし、自分が乳がんになってみて、医療者が患者の心、病気に向かう気持ちに、すごく大きな影響を与えることを実感し、本当にありがたいと思いました。

乳房再建手術で実感できた普通の生活の素晴らしさ

鎌田 話を戻しますと、3回目の手術では、2回目の手術で残しておいた周りの脂肪分まで、全部取ったわけですね。

本田 はい。こそげ取りました。

鎌田 再建手術もした。

本田 再建手術はしばらく間をあけ、最初の手術から2年半後でした。

鎌田 その経験はどうでしたか。

本田 私、全摘手術の後に再発不安症に陥り、放射線治療も受けました。放射線を当てると、人工乳房による乳房再建は難しいと言われていたのですが、私の皮膚の状態はかなり良かったようで、形成外科の先生から「これならできます」と言われました。それで、普通の人よりゆっくり皮膚を伸ばして、人工乳房への入れ替えを行いました。ただ、めちゃくちゃ痛かったんです。こんなに痛いんなら、するんじゃなかったと、そのときは泣きましたね。

鎌田 やはり放射線を当てているから、見た目には湿潤に見えても、実際にはバリバリになっていたんでしょうね。

本田 今でもそうなんですが、筋肉が硬直して、口が開きにくかったり、肩こりがひどかったりします。

鎌田 プラス・マイナスはあるけれど、再建手術はして良かったと思ってる?

本田 それは思っています。とくに服を着るときです。胸のふくらみがないと、夏にTシャツを着たときなど、胸の部分のアンバランスがとても気になるのです。気にし出すと、いちいち気になります。そういうことを気にせず、普通に生活できることの素晴らしさ(笑)。再建手術をして良かったと思います。

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