鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 読売新聞社会保障部記者・本田麻由美さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2009年3月
更新:2013年9月

仕事を続けるためにがんをオープンにした

鎌田 本田さんは新聞記者ですが、会社でも乳がんであることをオープンにしていますよね。そのメリットはどういう点ですか。オープンにするしかないと思った?

本田 思いました。手術を受けるために入院します。その後も、放射線治療、抗がん剤治療に通院したり、入院したりしなければならない。そういう場合に、行き先不明では通りません。中にはふだんから行き先不明の記者もいますけど(笑)。要するに、オープンにしておかないと、仕事ができないと思ったのです。

鎌田 他の人にも、オープンにすることを勧めますか。

本田 うーん、難しいですね。面倒なこともありますからね。私の場合、他の部署には言うつもりはなかったのですが、いつの間にか知れ渡っていました。言わないでほしいとお願いしていたんですが、いつの間にか洩れました。「がんイコール死」と思っている人が少なくないので、私は「乳がんはイコール死ではない」と力説したんですが、みんなはあまり知らない。私の上司や同僚に「本田は大丈夫なの」「まだ生きてるの」「あとどれくらい」などと聞いてくる人もいたらしく、驚きました。私などは感受性の乏しい人間ですから、まだいいのですが(笑)。

鎌田 本田さんは3回手術しているわけですから、ふつうに考えれば、非常に厳しい経過ですよね。しかし、同じ再発といっても、手の施しようもない再発と、治る再発とがあるんですよね。乳がんは治る。

本田 よく言われるんですよ。「奇跡の復活!」と(笑)。乳がんのことをよく知らない人には、そう思われるようですね。

何回もやってきたうつうつたる気分

鎌田 がんが見つかって6年半、その間、うつうつとした時期もあったようですね。新聞記者をやっている本田さんのような人でも、そういう時期がある。何回ぐらいありましたか。

本田 私の場合、がんが見つかったときとか、全摘しなければならなくなったときには、取材に走り回っていたので、落ち込む暇はなく、非常にアクティブでした。最初にズシーンときたのは、全摘手術をした後、放射線治療をしてホルモン療法をしましょうなどと、治療方針が決まったときです。考えることがなくなってしまい、再発不安にかられました。

鎌田 2回目の手術の後ですね。そのときは眠れなくなったりしましたか。

本田 悶々としていましたね。それから、ちょうどその頃、完全に復帰することはできないけれども、きちんと仕事に戻ろうと思って、一応会社に行くようにしました。しかし、以前のようには働けませんし、私の担当していた仕事を他の人がやっているわけです。迷惑をかけているという気持ちと、それ私の仕事だったのにという気持ちが交錯し、それを上司にも友だちにも夫にも言えなくて、���けない気持ちになりました。同僚が明日の命の心配もなく働いている姿を見て、本当にうらやましいと思いました。それが最初に落ち込んだときです。

鎌田 2回目は?

本田 局所再発したときです。むちゃくちゃ落ち込みました。

鎌田 3回目の手術の前ですね。

本田 はい。それは決定的な転移再発ではないと言われましたが、それでも、漠然とした不安が常につきまといました。その3回目の手術の後、ホルモン治療を始めたときにも落ち込みましたね。

鎌田 それは薬のせいもあるでしょう。

本田 もちろんです。ふうーっと気が抜けたような感じになりました。それから、3回目の手術から1年後ぐらいに、「卵巣がんかもしれない」と言われたときは、しばらく立ち直れませんでした。

鎌田 ホルモン剤の影響が卵巣に出たということですか。

本田 30~40代の人がホルモン剤をのむと、卵巣が腫れたりするそうですが、最終的には「それでしょう」と言われました。でも、乳がんではないと思っていたのが乳がんだったわけですから、卵巣がんの恐怖もしばらく引きずりましたね。

文章を読んだ上司がうつ症状を見破った

鎌田 卵巣がんの疑いが晴れてからは、明るく仕事ができているわけですか。

本田 とんでもないです。軽いうつ状態に何回もなっています。会社に行けず、家に引きこもったこともあります。ホルモン剤の影響もあるということですが、5~6回は軽いうつ状態になっています。

鎌田 がんと闘っている人は、多かれ少なかれ、うつうつとした気持ちになるようですね。

本田 うつ病なのか、うつ症状なのか、よくわかりませんが、うつの薬をのんでいる人は、私の周りにもいっぱいいます。私は昨年10月にも「うつ」と診断されました。全身に力が入らず、沈んでいく感じがして、マインドが暗くなっていました。デスクが私の原稿を見て、「マイナス思考で、おかしい」と感じ、ヒアリングをした上で、精神科まで連れて行ってくれたのです。

鎌田 原稿から異常を感じ取ったというのは、素晴らしい上司ですね。

本田 エイズ問題など、さまざまな医療問題や患者さんなどを取材している先輩で、私が典型的なうつ症状であることに気づいたそうです。精神科で診察してもらい、「立派なうつです」と言われました(笑)。

鎌田 うつ症状に苦しむがん患者さんは、もっと多くいると思いますね。

本田 命の心配をしたり、生活の心配をしたり、胸の詰まるような思いをいっぱいしているわけです。そういう自分が置かれた境遇を考えたら、苦しくなるのは当然かもしれませんね。その苦しみの中で、自分の気持ちを騙しだまし仕事をしているうちに、うつになってしまうこともあるのかも。私もそうだったんでしょうね。

鎌田 ちょっとがんばりすぎた、と思うことはありませんか。

本田 今にして思えば、ちゃんと休めばよかったかなと思うことはあります。しかし、がん患者として社会から切り離されたら、いっそう悶々としてしまうだろう、それなら仕事をしていたほうがいい、そう考えたことも事実です。上司もそう考えて仕事をさせてくれたんだと思います。ただ、私は仕事もがんの取材ですから、がんで頭の中がいっぱいになってしまったんですね(笑)。

見直す余地があるがん対策基本法

写真:本田麻由美さんと鎌田實さん

「拠点病院をつくったことが、がん難民を増やしているという見方もある」と語る本田さんと鎌田さん

鎌田 最後に、がん患者であり、医療記者である立場から、2年前に施行されたがん対策基本法をどう評価しますか。

本田 部分部分で違うと思います。がん対策に社会が関心を持ったということは評価できると思います。しかし、がん対策基本法によって、がん難民の問題、再発後の人たちの治療・ケアのあり方はどうなったのか、という思いもあります。拠点病院の充実も大事、緩和ケアの普及も大事。しかし、力の入れ方が中途半端で、その両者の間がすっぽり抜け落ちてしまっていて、かえってがん難民が増えているような気もします。その部分をどうしたらいいのか、これからの取材のテーマの1つです。

鎌田 拠点病院をつくったことが、がん難民を増やしているという見方もありますね。拠点病院が2分化していて、地方の拠点病院には名前だけの病院もあるようです。
緩和ケアチームといっても、満足なことは行われていない。患者さんが殺到して、先生たちが忙しくなりすぎて、燃え尽き症候群に陥っている。そんな状況では、患者さんにやさしいがん医療など、できるはずはありません。基本法はもう1度見直す必要がありますね。第1、医療費を抑制しながら欧米並みのがん医療を実現するなど、無理な話です。

本田 がん拠点病院も、治る可能性のある初発の人には一生懸命治療しますが、再発の人にはすぐに緩和ケアを勧めますから、かえってがん難民を増やしかねない。治療と緩和ケアを両立させるんじゃなかったの、と思ってしまいますね。たしかに、がん対策基本法の重点の入れ方に見直す余地はありますね。

鎌田 本田さんでさえうつを体験しているわけですから、腫瘍精神科医をもっと増やすべきです。「あたたかい日本」をつくるために、医療、介護、教育、子育て支援等にお金をかけることには、国民も反対はしないはずです。
また、定額給付金という名の2兆円のばらまきも、1兆5000億円を医療に、5000億円を介護に回せば、「あたたかい日本」の物語を語れるはずです。政治にはあたたかい物語を語ってほしい。

本田 本当にそうですね。「安心活力」というのであれば、2兆円を目に見える形で「安心」のために使ってほしいと思いますね。

鎌田 「安心の国づくり」のために私たちの税金を使うのなら、国民も納得しますよね。体をいたわりながら、日本の医療の発展のために健筆をふるってください。ありがとうございました。

(構成/江口敏)

「34歳でがんはないよね?

―あるジャーナリストの揺れる心の軌跡―
「34歳でがんはないよね?」

本田麻由美・著
エビデンス社
定価1,575円(税込)

読売新聞記者の本田麻由美さんは、医療や介護問題を中心に取材活動を行う第一線の記者である。ところが2002年の春、突如、乳がん患者になる。その後、2年の間に3度の手術と放射線治療やホルモン療法を行うも、襲いくる疑惑や不安。その揺れ動く心の軌跡を克明に書き込まれたメモ帳を元に記者の冷徹な目を通して、赤裸々に綴った本書は乳がん闘病記の決定版といえるだろう。

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