鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 会社員・藤原すずさん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2009年1月
更新:2013年9月

死を前提に母に頼んで料理を教えてもらった

写真:鎌田實さん

鎌田 さて、お母さんのがんは転移が進んでいて、手術が無理だとわかった。その次にどういう治療を受けたのですか。

藤原 外科から消化器内科に移り、当時出たばかりの膵臓がんに効くという抗がん剤を投与しました。1年ちょっとの治療期間中に唯一がんが少し小さくなったのが、その抗がん剤でした。

鎌田 おそらくジェムザール(一般名ゲムシタビン)という抗がん剤だったのでしょう。がんが少し小さくなったとき、主治医の先生が、「僕もうれしいです」と言われたようですね。

藤原 はい。「しばらくはこの治療法で行きましょう」と言われました。私たちは半年ぐらいの猶予を与えられたと思いましたが、3クールほど過ぎたところで、効かなくなりました。

鎌田 その間の家族の気持ちはどうでした?

藤原 その抗がん剤治療をやっている間は、気分的にはかなり明るかったですね。通院治療を受けていたので家族が一緒にいる時間が増えました。

鎌田 手術が無理だとわかったあと、お母さんの症状は大丈夫だったのですか。

藤原 家で料理をしたりして、元気でしたね。

鎌田 あなたもいろいろ料理の作り方を教わったそうですね。

藤原 私も仕事を辞めて、母のそばにいましたから、料理を教えてもらったりしました。

鎌田 お母さんはあなたに料理を教えておきたかったんでしょうね。

藤原 母が死んでしまったら、料理を教えてもらうこともできなくなると思いました。お別れを前提とする話ですから、ちょっと聞きにくかったのですが、「料理の作り方、教えておいてほしいんだけど、聞いてもいい?」と自分から頼みました。

鎌田 お母さんもそれを前提に教えたんですね。

藤原 「料理は愛情5、腕3、こころ2」といった、母なりの「料理の極意」を書き残してくれました(笑)。

鎌田 お母さんも楽しんでいたんだ。

藤原 うれしそうでしたね。

がんを機に初めて見せた父の母に対する思いやり

鎌田 お母さんとしては、藤原さんに教えることで自身の人生のまとめをしているような部分もあったのかもしれませんね。

藤原 母は怖がりでしたから、あまりリアルなことを考えるのはイヤだったようですが、この際、言っておきたいことは言っておく、という感じでした。私も、1度母に謝らなくてはならないと思っていたことがありましたので、きちんと謝りました。

鎌田 お母さんはそのことを憶えていましたか。

藤原 はい。しっかり憶えていました。そして、「もう、いいのよ」と言ってくれました(笑)。こういう状況にでもならないと言えないなと思うことを、いっぱい伝えることができました。それには大きな意味があったと思います。また、父は寡黙な人で、あまり母に対して思いやりを見せる人ではなかったのですが、母のがんをきっかけに、父が母を大事にするようになりました。その様子を見ることができてよかったと思います。

鎌田 お父さんがお母さんの洋服を買ってきたんですよね。

藤原 ある日、父から「いつもお母さんが行っている洋服屋さんはどこ?」と聞かれて、驚きました。紙袋をかかえて帰ってきたときには、こんな珍しいことをするなんて、父が死んでしまうのではないかと思うほど、びっくりしました(笑)。

鎌田 お父さんを見直した?

藤原 すごく見直しました。同時に安心しました。それまで、母がいるからこそ、私や妹、弟が父に言いたいことを言えていた、という面がありました。母がいなくなったら、私たち家族は上手くやっていけるんだろうか、という不安があったのです。しかし、母の療養生活の過程で、父の気持ちもわかってきて、家族のこころがつながったような気がしました。母に「お母さんが亡くなった後、私たち、上手くやっていけると思う?」と尋ねたら、「大丈夫だと思うよ」と言っていました。

鎌田 そう! 母と娘はそんな話もするんだ。とてもいい話ですね。

藤原 母は父のことがとても好きだったんです。私や妹は、母ほど父のことを思っていなかったものですから、自信がなかったのです。

鎌田 お父さんのお母さんに対する愛情を見て、お父さんに対する理解が深まった。

藤原 そうです。また母も、父が自分を大事にしてくれていることを知ることができて、うれしかっただろうと思います。母は父より先に死ぬとは夢にも思っていなかったようです。母が父より長生きしていたら、父のやさしい気持ちを受け止める機会はなかったかもしれません。先に逝くことはつらかったと思いますが、父の母に対する愛情を実感することができ、母も幸せだったと思います。

鎌田 お母さんの膵臓がんによって、家族が理解を深め合った。がんにはそういう意味もあるわけですね。

藤原 がんが、今日、明日に死んでしまう病気ではなくてよかった、と思います。

鎌田 家族が絆を確認し合うことができた意味は大きいね。

見舞客でありがたいのは患者の家族に配慮できる人

写真:藤原すずさん

鎌田 ところで、お母さんの抗がん剤治療は、副作用はなかったのですか。

藤原 最初の抗がん剤による治療は順調で、毎回、通院の帰りに、ソフトクリームを「美味しい、美味しい」と言って食べていたほどです。しかし、その抗がん剤が効かなくなったあと、他の抗がん剤に切り替えてからは、ソフトクリームを食べる余裕はなく、帰りのクルマのなかでよく嘔吐していました。

鎌田 しかし、お母さんは抗がん剤の副作用にも耐えて、とてもしっかりされていたようですね。

藤原 母は具合が悪いとき、ソファの上にあぐらをかき、背もたれにもたれて、静かに休んでいました。その姿を見て、父が時々、「なんだか菩薩さまのように見えるなぁ」ともらしたことがあります。母が悲観的になったり、ヒステリックになったりすることは、1度もありませんでした。

鎌田 物語のなかに、ふじこおばさん、すみれおばさんが出てきます。これは実在の人物ですか。

藤原 いいえ、違います。母が療養中、いろんな人たちが見舞いに来てくださいました。療養中、してもらって嬉しかったことをふじこおばさんの行為として、違和感のあったことはすみれおばさんに集約させて描きました。

鎌田 ふじこおばさんは話をよく聞いてくれるし、美味しい弁当を作ってきてくれる。すみれおばさんは言いたいことだけ言って帰ってしまう。

藤原 お見舞いに来る人は、ほとんどが患者さんを励ますためにみえますし、それが当然だと思います。そんななかで、付き添っている家族のために、弁当を作ってきてくださり、「あなたたち元気なの。ちゃんと食べてね」と言ってくださる人がいたのです。感激しました。

鎌田 すごいね。そういう気遣いは、なかなかできませんよ。

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