鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 会社員・藤原すずさん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2009年1月
更新:2013年9月

看病が長期戦になると自我が出て衝突することも

写真:藤原すずさん

鎌田 話は変わりますが、サプリメントを買ったこともあったんですか。

藤原 ありました。さまざまな説明書やパンフレットで一杯になりました。民間療法で治るとは思わなかったものの、のんでいいものかどうか迷い、先生に相談しました。

鎌田 何と言われました?

藤原 「お母さんがそれによって気分が明るくいられるのであれば、精神安定剤のような感じで適度にのむのは、悪いことではないと思います」と言われました。

鎌田 やさしい先生だね。

藤原 でも、よくなってほしい一心で、無理やりのませたこともあります。

鎌田 お母さんは「のみたくない」と言った?

藤原 言いましたが、しばらくは、がんばってのんでくれていました。しかし、ある日、ぷつんとのまなくなりました。「どうして?」と聞くと、「美味しくないから」と言うのです。それじゃあ精神安定剤としての意味もないと思ってやめました。そのサプリメントは、母が亡くなってからも冷蔵庫に残っていました。他の患者さんにおすそ分けをするわけにもいかないので(笑)、あとで家族でのんでみたんですが……。確かに、すごくまずかったです(笑)。

鎌田 お母さんの態度は私の「がんばらない」精神と同じですね。あなたは疲れたでしょう。

藤原 疲れました。当然、母には1日でも長く生きていてほしいのに、ふと、この生活がいつまで続くんだろうと考えてしまう自分がいるわけです。近いうちに別れなければならないということは頭ではわかっているのに、疲れてくると行動がついていかないんです。マッサージを頼まれても、「あとでいい?」と思ってしまう。そんな自分がイヤになったりもしました。

鎌田 この本は、がんの患者さんだけでなく、家族にもぜひ読んでほしいですね。家族の気持ちがストレートに書かれている。看病が長期戦になってくると、どうしても自我が出てしまうわけですね。

藤原 はい。くだらないことが譲れなくてケンカしたこともあります。

ホテル並みのホスピスで最期を迎えられた幸せ

鎌田 ホスピスに入られるまでは、藤原さんがずっとお風呂に入れてあげたんですか。

藤原 最後の頃はしんどくなって、自分でお風呂にはいることができなくなり、私が入れてあげました。すっかり痩せてしまっていて、ショックでしたね。

鎌田 私の家内も、彼女の父親がいよいよというときに、「身体をきれいにしておいて��しい」と言われて、初めて風呂に入れてやりました。私も横からサポートしましたが、とてもいい思い出になっています。ところで、ホスピスにはスムーズに入れましたか。

藤原 近くの病院を探しましたが、どこも一杯で、数カ月待ちの状態でした。母が「数カ月も待ったら、私、死んじゃうよ」と最後のジョークを言ったほどで、半ばあきらめかけたのですが、念のためにがんセンターに相談してみると、静岡がんセンターから「すぐ来てください」と連絡が入り、数時間で支度して入院しました。

鎌田 それはすごいね。患者さんのためにベストを尽くすという空気が、がんセンターにはあるんでしょうね。

藤原 それは強く感じました。外科、内科、化学療法、ホスピスの先生方にお世話になりましたが、そのうちの1人の先生が、「患者さんは個々の医師の患者さんではなく、この病院の患者さんです。ですから、自分の治療が効かないと思ったら、すぐに他の医師を紹介します」と言われました。ですから、治療に一貫性があり、今の治療の状況を前の担当医師も把握していらっしゃるのです。

鎌田 素晴らしいですね。ホスピスに入ったら、それまで診てくれた内科の先生が訪ねてくれたんでしょう?

藤原 2日後くらいに、ひょこっと顔を出してくださいました。母も私も大喜びでした。

鎌田 ホスピスの支払いはどれくらいでした?

藤原 たしか5日分の請求として、死亡診断書や死亡したときの処置代を含めて、自己負担は7万円弱だったと思います。

鎌田 がんセンターのホスピスで従容として死に赴かれたわけですから、納得ですね。結果的には、ホスピスに入って1週間ぐらいで亡くなったわけですが、病院に対してはイヤな思いはないですか。

藤原 ホテルのようなホスピスでしたし、全体の治療を通して、大変よくしていただいたと感謝しています。

亡くなる前夜に開かれた最後の誕生日パーティ

写真:藤原すずさんと鎌田實さん
妹が作ってくれた人形を手に藤原さんと鎌田さん

鎌田 ホスピスでお母さんの最後の誕生日パーティをやり、弟さんがピアノを弾いたということですね。

藤原 弟のピアノは泣けたけれど、下手で大汗をかきました(笑)。ピアノは病院側で用意していただきました。先生方や看護師さん、患者さんたちが集まって、「ハッピーバースデー」を歌ってくださいました。ちょっとしたコンサートでした。母は「1つでも歳を取って死にたい」と言っていましたから、とても喜んでいました。

鎌田 亡くなったのは?

藤原 誕生日の翌日の深夜です。亡くなる前に、母が親友に「誕生会をやってもらって幸せだった」というメールを送っていたことを、あとになって知りました。

鎌田 54歳は人生としては短いけれど、生ききったという感じですね。

藤原 早く亡くなったのは寂しいですが、正直、うらやましいという気もします。

鎌田 最後に、(テーブルの上の人形を指さし)この人形は何ですか。

藤原 きょうの鎌田先生との対談が上手くいくようにと、妹が作ってくれたお守りです。

鎌田 本のイラストに似ている。

藤原 それをモデルに作ってくれました。

鎌田 そう! お姉さん思いの妹さんだね。がんは悪いイメージしかありませんが、死ぬまでにはある程度の時間があり、気持ちの持ちようによっては、その間に家族の絆の確認もできますし、充実した時間も持てます。そして、家族も精神的に成長する。藤原さんのお話は、がんにもそれなりの意味があることを、よく物語っているように思います。どうもありがとうございました。

  (構成/江口敏)

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