鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 オードリーの会(おおいた乳がん患者の会)元代表・山田泉さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:谷本潤一
発行:2008年12月
更新:2013年9月

痛み止めの薬より効いたホスピス医師のやさしい言葉

写真:鎌田實さん

鎌田 ところで、山田さんが2000年に乳がんに気づいたのは、がんで亡くなった叔母さんの葬儀の最中だったそうですね。胸を触ったら、しこりを感じた。

山田 骨を拾っているとき、親戚のおばちゃんたちが、「乳がんが肝臓に転移してたから、肝臓の辺が黒くて焼けちょらんなぁ」と言っているのを聞いて、何気なく胸のあたりを触ったら、しこりを感じたんです。次の日、養護教員として勤めていた中学校の保健室で、女子生徒に触ってもらったら、「あるじゃん」と(笑)。

鎌田 それで病院で検査をしてもらった。

山田 乳がんの知識はなかったものですから、最初に産婦人科で診てもらったんですが、「気のせいですよ。何もないですよ。どうしても気になるのなら、専門医のほうに行ったらどうですか」と言われました。それで翌日、専門医に行き、マンモグラフィを撮ってもらった結果、「悪性の可能性が強いです」と告知を受けました。

鎌田 告知されて、どんな気持ちでした?

山田 テレビのスイッチが切れたような感じでした。叔母は乳がんを告知されて1年で亡くなりました。その叔母と自分が重なり、気持ちがとても混乱しました。病院を出て、夫に電話をし、その帰りのクルマの中で、ひとり泣きましたね。

鎌田 養護教員といえば、いのちの専門家ですよね。その立場にある自分ががんになった。ショックは大きかったと思います。

山田 私は中学校の養護教員が長かったんです。中学生というのはいちばん元気な年代です。そういう元気な生徒たちに囲まれて仕事をしていたので、自分ががんで死ぬなどということは、全然想像もしていませんでした。父も母もがんではありませんし……。

鎌田 左乳房の温存手術を受け、放射線治療、抗がん剤治療もやった。

山田 温存手術は「温かくて痛くない手術」だと思っていました(笑)。無知って怖いですね。

鎌田 その後、放射線治療や抗がん剤治療を受ける過程で、医師側の説明や対応が非常に事務的でつらかったようですね。

山田 医大は研修医が多いので、裸になった患者をみんなに見せて、あれこれ説明するんですね。自分は人間として見てもらっていない、自分は標本かと、寂しい思いをしました。医師の言葉にとても敏感になり、ひと言ひと言に凍りつくようなことが何回もありました。逆に、最後に担当されたお医者さんから、「よくがんばりましたね。吐き気、つらかったでしよう」と、やさしい言葉をかけていただいたときには、涙が出るほど嬉しかった。

鎌田 高木ブーさんみたいな感じのお医者さん(笑)。

山田 そう。よく読んでいただきまして、ありがとうございます(笑)。いま私がいちばんホッとするのは、ホスピスのお医者さんです。これまで2回、ホスピスにお世話になりましたが、痛み止めを処方してもらうよりも、ニコッと笑って、「ゆっくりしていってくださいよ」とか、「もったいないですよ、モルヒネ使わなきゃ。山田さん、まだまだやりたいことができますよ」と言っていただくほうが嬉しいですね。それだけで痛みがすぅーっと消えていく気がします。

校長、教頭に支えられた「いのちの授業」

写真:山田さんと鎌田さん

「温存手術は『温かくて痛くない手術』だと思っていました」と話す山田さんに思わず苦笑する鎌田さん

鎌田 療養中に医学生にも講義をされたそうですね。

山田 半年ぐらいでしたが、医大生8人ずつのグループに話をしました。

鎌田 医大生にはいい勉強になったと思います。

山田 医大生はがん患者と話をする機会がほとんどないそうですね。驚きました。医大生からいろんな質問を受け、私は言いたいことを言う。とても面白い経験でした。医大生や看護師さんを相手に話すと、とても真剣に聴いてくださり、こちらにも相手の熱意が伝わってきますから、私は好きです。

鎌田 「いのちの授業」では、中学生を相手にいのちの尊さを説かれたわけですね。本を読ませていただいただけですが、とても感動的だし、大笑いできる部分もある。私が感心したのは、「いのちの授業」を支援してくれた校長先生や、一緒に「いのちの授業」をやってくれた肺がんの教頭先生の存在です。いまどきこんなにいい先生がいるのか、と思いました。

山田 滅多にいない先生が側にいたから、本が書けたんです(笑)。

鎌田  「いのちの授業」で、「もしがんになったら、最初に誰に伝えますか」と、子どもたちに問いかける場面がありますね。

山田 「誰にも話せない」と答えた生徒もいました。最近の生徒は、悩みを打ち明けられる友だちのいない子や、親とも親しく話せない子がいます。しかし、私も教頭先生も、がんになったとき、家族や友だちに助けられました。がんを告知された悲しみ、苦しみのどん底で、私たちを助けてくれた人たちがいたおかげで、職場に戻ってこれた。そのことのありがたさを子どもたちに話しましょうよと、教頭先生と話し合ったことを思い出します。教頭先生は話していても、すぐ泣きましたね(笑)。

鎌田 教頭先生は、抗がん剤の副作用で髪の毛がごっそり抜け、一緒にチン毛も抜けたと、中学生を相手に泣き笑いしながら語っていますね(笑)。すごい授業だと思いました。

山田 子どもたちも泣きながら聴きます。ふだんは悪ガキの子も泣きます。がんで亡くなったおじいちゃんのことや、入院中の家族のことを思い出すんですね。教頭先生と2人で、「話してよかったなぁ。これからも続けてみようよ」と喜びを分かち合いました。

「泉ちゃんのことを頼むぞ」

写真:山田泉さん

鎌田 もう亡くなられましたが、ホスピスに入っていた稙田妙子さんの「いのちの授業」も感動的ですね。

山田 私がいまもまだ気力があるのは、稙田さんに会えたからです。私が乳がんの患者会の集まりを呼びかけていたとき、稙田さんが来られたんです。「私は乳がんが骨、脳、肝臓に転移していて、余命も告知されていますが、私の治療の経験が少しでもお役に立てばと思って来ました」と、1時間ほど話をしていただきました。それがとても素晴らしい話で、子どもたちにも聴かせたいと思って、「いのちの授業」にも来てもらいました。

鎌田 稙田さんがホスピスでいよいよ亡くなるというときに、山田さんは連絡をもらい、駆けつけたんですよね。

山田 娘さんから「もうそろそろ……」という電話をもらって駆けつけたら、気がつかれた稙田さんが「1人で来たの?」と(笑)。

鎌田 スゴイね。

山田 子どもたちを連れて何回か見舞いに来たことはあったんですが、まさか最後のときに連れてきていいとは思ってもみなかったんです。「いいんですか」と聞くと、「はい」とおっしゃる。それで娘さんに廊下で、「本当にいいんでしょうか」と尋ねると、こう言われたんです。「最近はいじめによる自殺が増えています。それは子どもたちの周りから死が遠ざかっているからではないでしょうか。母は最期までそのことを伝えたいんだと思います。どうぞ連れてきてください」と。

鎌田 娘さんもスゴイ。

山田 私はすぐに学校に戻って、校長先生に話しました。校長は「5時間目が終わってからならいい」と了解してくれました。

鎌田 校長先生も腹の据わったいい人だね。

山田 滅多にいない、いい人です。校長としてというより、人間として温かい人です。この校長でなければ、「いのちの授業」は続けられなかったと思います。最近は点数を上げる授業が優先されていますが、「いのちの授業」は点数には関係ありません。それを認めてくれた。卒業式に校長先生はしみじみと言いました。「うちの生徒は、点数はもうひとつかも知れんが、社会へ出たとき、ひとさまの道を踏みはずさん子にはなったなぁ」と。

鎌田 教員採用問題で明らかになったように、大分県の教育界にはどうしようもない人もいますが、山田さんの本を読んで、決して捨てたものではないと思いました。

山田 「いのちの授業」が続けられたのは、多くの先生方の協力があったからこそです。教頭先生はいま、自宅で酸素ボンベの世話になって寝たきりの療養生活を送っています。見舞いに来た子どもたちに、ハァハァと荒い呼吸をしながら、「泉ちゃんのことを頼むぞ」と言ってくれています。こんな教頭先生や温かい校長先生がいることを、世の中に伝える役目が私にはあるな、と思っています。

ホスピスで行われた感動の「いのちの授業」

鎌田 それで先ほどの続きですが、5時間目が終わったあと、生徒を連れてホスピスに行ったら、稙田さんがスゴイ話をしたそうですね。

山田 稙田さんは生徒に向かって、「私をよく見て。人が死ぬということは、歩けなくなり、ご飯が食べられなくなり、お水が飲めなくなることなの。あなたたちはそれが全部できるでしょ。今のうちにやりたいことを精一杯やって、悔いのない人生を歩んでください。人生にとって1番大切なものは、お金じゃなかったなぁ。1番大切なことは、自分をさらけ出せる友だちがいるかってこと。今いなくったっていい。30歳になってからでも、40歳になってからでもいい。人にやさしくしていたら、必ずめぐり会えるよ」と、小さな声でしたが、はっきりと言ってくださいました。

鎌田 稙田さんが一方的に言っているのではなく、そこに稙田さんの言葉をしっかりと受け止めてくれる子どもたちがいた。それは稙田さんにとっても、すごく救いになったと思います。

山田 稙田さんの最期に付き添った生徒はいま、大学生になっています。教師になると言って、教育学部に行った子がいます。ハンセン病学習を受けたときの体験から、手足の不自由な人のリハビリを手伝いたいと言って、そちらの勉強をしている子もいます。

鎌田 理学療法士か作業療法士ですね。

山田 また、養護施設の先生の授業を聴いて、実際にその方面に進んだ子もいます。

鎌田 「いのちの授業」が生きていますね。

山田 子どもたちがしっかり受け止めてくれたことは、予想外のことでした。あのときの「いのちの授業」を覚えていてくれたんだと、いまになって改めて嬉しく思います。

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