鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 順天堂大学医学部病理/腫瘍学講座教授・樋野興夫さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2008年7月
更新:2013年9月

「余計なお節介」より「偉大なお節介」を

写真:鎌田實さん

鎌田 一般的に、最近の臨床医は患者さんに勇気を与える力が弱くなっていますね。

樋野 学生の教育から始めなければならないと思いますが、最近は教育する側に「偉大なお節介」をする人がいませんね。「余計なお節介」はしますが、「偉大なるお節介」はしない。脇を甘くして懐に入り込ませなければ、教わるほうに感動を与えることはできませんよ。今の教育者はみんなガードをつくっています。

鎌田 そうですね! 脇を甘くして、学生に心を開く。

樋野 患者さんとの関係でも同じですよ。脇を甘くして、患者さんに懐に入り込ませる。そうして患者さんの心に踏み込まなければ、単なる情報提供者になってしまいます。現在は、インターネットでエビデンス(科学的根拠)のある情報はすべて提供されていますから、患者さんはその情報を知っています。
ただ、患者さんは10個の治療法を知っていても、優先順位を付けることはできません。ですから、医師が優先順位を付けてあげなければならない。脇を甘くして患者さんの話を聴けば、たいてい10分で問題点がわかります。医師が患者さんの知りたいことを把握すれば、患者さんは心を開いてどんどん話してきます。こちらも心を開いて対応すればいいのです。そのうちに、家族の話、社会の話など、いろんな話が出てきて、私たちの仕事がまさに人間学であることを実感します。

鎌田 1人の患者さんに要する時間は、何分ぐらいですか。

樋野 だいたい40分から1時間です。ひところは1日に5組の患者さんに対応していましたが、今は1日8組です。現在、キャンセル待ちが40組ほどあります。キャンセル待ちをしている間に、亡くなった患者さんもいます。 「がん哲学外来」を始めて、日本のがん医療に足りない点がよくわかりました。同時に、これは一大学病院で対応しきれるものではない、ということもわかりました。
全国に「がん哲学外来」を待ち望んでいる患者さんが、いっぱいいるわけです。私のところへ来る患者さんの中には、自殺未遂をした人もいます。抗うつ剤をのんでいる人もいます。「どうして『がん哲学外来』に来たのですか」と聞くと、笑うんですよ。おそらく、ご本人としても、わけのわからない「がん哲学外来」にたどり着いたことに、がん患者さんでありながら、笑うしかないんだろうと思います。ただ、宗教にすがる、スピリチュアルにすがると見られるよりは、哲学というほうが、自尊心は高まると思います。

鎌田 先ほどの、「あなたには死ぬという大事な仕事が残っている」という言葉のように、はっきりと死にも言及されるわけですね。

樋野 言います。家族も一緒に来ていますから、本人はそう言われると、毅然とした態度をとります���立派に最後の仕事をつとめあげたい、と思われるようですね。私たちが「人間、最後はお金や地位や名誉ではありませんよ」と言うと、とても誇らしい気持ちになられる。

「がん哲学外来」ががん治療に風穴開ける

鎌田 樋野さんの仕事は、日本のがん医療のすき間を埋める仕事ですね。

樋野 私は、「日本の医療が公武合体に向かうときに、医療の大政奉還を目指すんだ」と言っています(笑)。大政奉還を起こさない限り、「患者視点の医療」を実現することはできません。早晩、医療の大政奉還が行われるのなら、私は勝海舟の精神で「江戸城無血開城」の役割を果たしたい。そのために次にやるのはNPO法人だと考えているわけです。

鎌田 こうしてお話を聞いてみますと、正直なところ、大学がよく「がん哲学外来」を認めてくれたと思います。

樋野 私もそう思います。「がん相談」ぐらいだったら認めてくれると思っていましたが、「がん哲学外来」がそのまま認められたわけですからね。最初に「アスベスト・中皮腫外来」を開設したとき、新聞が取材して、「人」の欄で紹介してくれました。大学もたまげたと思います。それがあったから、「がん哲学外来」がすんなり認められたのかもしれません。「がん哲学外来」も全国に報道されました。これも単なる「がん相談」だったら記事にならなかった。実際、記者は、「がん哲学外来」だから記事にした、と言っていた(笑)。

鎌田 それは計算していたわけではないんでしょう。

樋野 まったくしていません。医療記者は、日本のがん治療の問題点を知っていたからこそ、「がん哲学外来」を取り上げた。記者自身に、「がん哲学外来」というわけのわからないものに対する興味と、それが日本のがん治療に新たな風穴を開けるのではないかという期待感があったんだと思います。
私も「がん哲学外来」を始めて、多くのことを学びました。とくに感じたのは、先ほども触れましたが、がん患者さんにとって、温かい血の通うがん治療が行われていない。医師は、治せると思う間は一生懸命治療しますが、治らないとわかると突き放す。少なくとも、私のところに来る患者さんには、そう見える。だから、ドクター・ショッピング、ホスピタル・ショッピングという状況が起きる。

鎌田 日本のがん医療に欠けているのは哲学ですね。私は若い医師や看護師に、哲学のある臨床医、看護師になれと言っていますが、そういう教育が医療現場で行われていませんね。医師や看護師側に哲学が欠けているから、患者さんの心に近づくことができない。

樋野 人間は、身長がある時期にグッと伸びるように、教育の中で確信を持った人に出会うと、一気に成長できるのです。しかし、いまの教育現場では、学生を画一的に、直線的に成長させる教育が行われています。

鎌田 なるほど。あるときグッと伸びるような、不連続的な階段を上るだけの出会いが、今の医学教育の中にない。

樋野 私の場合、20歳の頃に南原繁の教え子に会い、新渡戸稲造、内村鑑三の本に出会った。そして癌研に入り、吉田富三の哲学・思想に触れた。アメリカに留学して、がんを遺伝子レベルから考えることを学びました。自分なりの不連続点を通過しながら、ここまで来たと思います。

がん細胞から学ぶたくましい生き方

写真:樋野興夫さんと鎌田實さん
「奥の深いお話をありがとうございます」と鎌田さん

鎌田 ところで、樋野さんはがんにならないために、何か注意していることはありますか。

樋野 私は何もしていません。がんになっても、ならなくても、どうでもいいと考えています。がんは運動、環境、食物など、さまざまな要因から起こります。あるがんを注意しても、他のがんになる可能性もある。がんを気にしていたら、人生、ますます疲れるだけです。アウシュヴィッツのような状況は、自分でコントロールすることはできませんが、がんになったらどうするということは、自分でコントロールできる範疇です。私にとってどうでもいいことなのです。

鎌田 最後に、樋野さんはがんから何を学びましたか。

樋野 まず、たくましさです。がん細胞は飢餓状態には強いし、尺取り虫のように、自分のオリジナル・ポイントを定めては前に進む羅針盤的生き方は、本当にたくましいと思います。それから、がんはシンプルで、ムダがない。がんに比べて、人間社会は何とムダが多いことか。それを知れば、肚が据わってきて、世の中の細かいことは放っておけ、という心境になります(笑)。

鎌田 がん細胞は栄養を取っても、吐き出すそうですね。

樋野 自分でつくったタンパクを放り出しながら、他から栄養をとっています。その栄養のとり方は、普通の細胞より10倍効率がいいですね。がん細胞はまた、表面を変えることができます。だからこそ転移ができる。まさに「郷に入ったら郷に従え」を地で行っています。

鎌田 がん細胞が転移するのは、変容できるからですか。変われるから強いんですね。人間も変われる人が強いですよね。

樋野 自分の本質は変えなくてもいいんですが、環境にアジャスト(適応)できる人は強い。がん細胞の生き方はまさにそれです。人間の体内には、交感神経と副交感神経、がん遺伝子とがん抑制遺伝子など、相反するものが共存しています。共存というのは、お互いにギブ・アンド・テークが成り立っている共生ではなく、お互いにいてもらっては困るけれども、しようがないから認め合うという関係です。

鎌田 相反するものが同居していたほうが強いわけですね。

樋野 矛盾するものが緊張関係を保ちながら共存しているほうが強い。人間社会も同心円の社会になったらダメです。

鎌田 私は『がんばらない』『あきらめない』という、相矛盾する2冊の本を出しています。これは強いですね(笑)。本日は奥の深いお話をありがとうございました。

(構成/江口敏)

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