鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 日本インベスター・ソリューション・アンド・テクノロジー(株)社長・関原健夫さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
転移してもやむを得ないと覚悟して仕事を続けた

鎌田 さて、ニューヨークで手術を受けて2年後に転移が見つかったわけですね。
関原 肝転移が見つかり、肝臓2カ所と大腸を切除しました。
鎌田 1度にですか。
関原 はい。このときの手術は肝臓の切除が目的でした。しかし、アメリカの手術は粗いと感じておられた森谷先生におなかを開いた機会に、念のために大腸を調べてもらったところ、手術した側に転移が見つかり、大腸のほうも切除したということです。
鎌田 なるほど。今から21年ほど前ですから、当時は大腸がんの手術後、肝転移したらギブアップというのが、一般的な受け止め方でしたね。少し進んだ病院が、手術にチャレンジしてはいましたが、まだ少なかった。
関原 当時の医学書を読んでも、「肝転移したら万事休す」と書いてありました。手術をされた幕内雅敏先生も、「1つは簡単だったけれども、もう1つは奥のほうだから大変だった」とおっしゃっていました。結果的に、国立がん研究センターに入院したことが良かったわけです。
鎌田 このときの肝転移は無症状だったんでしょう? 転移は青天の霹靂でしたか。
関原 いや、覚悟はしていました。ニューヨークで、「5年生存率は2割」と言われてから、「いつ転移してもやむを得ない」と自分に言い聞かせて受容の訓練をしてきましたから。そういう覚悟をしない限り、仕事を続けることができなかったんです。
もし「術後はパーフェクトだ」とだけ言われていたら、ニューヨークで仕事を続けていたと思います。向こうで正確な告知をされ、覚悟を決めて日本に帰ってきたからこそ、再発を乗り越えることができたと思います。
鎌田 自分のこころをそのようにコントロールしつつ、きちんと検診は受けていたわけですね。
関原 3カ月ごとにがんセンターで検診があり、必ず受けました。ただ、正直なところ、そのたびに不安で一杯でした(笑)。
病院のベッドにいるより銀行に出勤したほうが快適
鎌田 覚悟はしていたけれども、現実に肝転移と言われたときは?
関原 万事休す、と思いましたね。どの本を読んでも、肝転移の手術は難しいと書いてありましたからね。
鎌田 肝臓そのものが血管のかたまりのような臓器ですから、そこにメスを入れるのが難しかったわけです。電気メスができて、出血を止めながら手術ができるようになったのが、ちょうどその頃からです。その先頭を走っていた幕内先生と出会ったことが大きかったですね。その2回目の手術は��ある程度覚悟はしましたか。
関原 覚悟も何も、オプションはないわけです。放っておけば死ぬわけですから。実験台でも何でもいいから、手術を受けるしかない。
鎌田 実験台でもいい!
関原 ノーオプションですから(笑)。
鎌田 それで、日本の病院に入院して、どうでしたか。
関原 まだ給料も安かったものですから、個室は無理で、6人の相部屋でした。当時、大腸の病室は泌尿器科の人と一緒で、抗がん剤を投与された人が、病室で洗面器を持ちながらゲーゲー吐いていました。アメリカの病院とかくも違うのかと驚きました。ただ、先生方は毎日朝夕回ってきますし、土日も来ます。すごいと思いました。
しかし、身体は痛くもかゆくもなかったわけですから、こんなところに長く入院はできないと思い、病院から仕事に通いました。「あなたはよほど仕事が好きなんですね」と言われましたが、「タクシーで10分の丸の内の銀行に行ったほうが、よほど快適です」と言って、病院から出勤していました(笑)。
3回目の手術のときに肺への転移が確認された

鎌田 その2年後に、また肝転移で3回目の手術になるわけですが、そのときの気持ちは?
関原 2回目の手術のときに、幕内先生から「大腸にも再発が見つかったためもう1回、やるかもわかりませんよ」と言われてましたから、「あぁ、またあったんだなぁ」と思いました。それと、手術をやるということは、大丈夫なんだとも思いました。
さらに、幕内先生が超音波を診ながら、「表面に近いから大丈夫でしょう」と自信を持っておっしゃっていたので、気分的にはかなり楽でした。
鎌田 けれど、もう完治はないと思ったんでしょう。
関原 がんはこうして回数が増えて全身に転移していくんだ、と思いましたね。
鎌田 今ならカテーテルで治すとか、超音波で治すとか、いろんな方法がありますが、当時のオプションは手術だけですから、手術を受けるしかない。手術が無事に終わったとき、「これで助かった」という気持ちにはなれなかったでしょう。
関原 実は3回目の手術のときに、肺に転移していたんです。先生にはそれがわかっていたようです。
鎌田 手術前からあやしいと。
関原 肝臓は表面だからやった。そのとき肺に転移しているのが確認されたわけです。しかし、私には言わなかった。
鎌田 肺は肝臓以上に大変ですからね。
関原 先生は、肝臓と肺の手術は同時にはできないと考えたようですね。
鎌田 肺の手術はいつ告げられたのですか。
関原 肝臓が治って退院し、元気に出勤を始めたら、「関原さん、おつらい気持ちは良くわかりますが、もう1回手術を受けて下さい」と言われました。
鎌田 消化器の先生と呼吸器の先生が話し合って、最初からストーリーができていたんだ。
関原 そうです。ふつう2カ所に同時にがんができていたら、手術はしないようですね。ただ、私の場合は、肝臓は取りやすいところにあり、肺も小さいものだった上に、私がまだ若く、体力もありそうなので、続けて手術をすることになったようです。
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