鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 日本インベスター・ソリューション・アンド・テクノロジー(株)社長・関原健夫さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
手術から回復すればふつうに仕事ができる

鎌田 それが1988年。ちょうど20年前ですね。
関原 1月に肝臓の手術を、4月に肺の手術を行いました。肺の手術は土屋了介先生でした。
鎌田 いかにセルフコントロールのできている関原さんでも、4回目の手術はきつかったでしょう。
関原 そのとき、もう手術はやめようか、とも思いました。
鎌田 思うよねぇ(笑)。
関原 ただ、4回目の手術ともなると、こちらも手術のベテランになってきます(笑)。冷静に考えてみると、このまま放っておけば、がんが大きくなり、「痛い」「苦しい」と言いながら死んでいくだけじゃないか。手術しか選択肢がないのなら手術を受ける。それが自分の定めなんだろうと考えて、4回目の手術に踏み切ったわけです。
鎌田 家族や周りに動揺はなかった?
関原 いや、動揺はしたでしょうが、基本的には、治るものなら手術を受ける、という考え方でしたから。
鎌田 会社はずっと応援してくれたようですね。
関原 立派な会社でした。アメリカから帰ってくると、経営企画部というインナーな、時間が自由になる仕事に就かせてくれました。医者の言うとおりにして、会社のことは心配しないように、という対応でしたね。
鎌田 最終的には6回もがんの手術を受けながら、関原さんはエリート行員として昇進していますよね。日本の大企業はそういうものですか。
関原 日本興業銀行はきわめて稀な例だと思います。日本の企業にいて、がんの手術をすると、精神的には孤独感、疎外感を感じます。それに加えて、窓際に回されたりすると、よけいに疎外感を感じますよ。私が企業経営者に言いたいのは、がん患者も手術をして回復すれば、一般の人と何ら変わらないということです。
鎌田 2人に1人ががんになる時代ですから、がん患者に疎外感、孤独感を感じさせない対応を企業に求めたいですね。
関原 再発した場合、会社で働かせたから再発した、と思われるのを避ける面が、企業の側にあるのかもしれませんが、働いたからがんが再発するわけではないのです。
鎌田 ふつうに働かせてくれたほうが、がん患者さんには温情ですよね。
関原 おっしゃるとおりです。
肝臓や肺に転移しても大腸がんは完治できる
鎌田 1988年4月に4回目の手術をして、また2年後の1990年に5回目の手術になる。
関原 実は1989年11月に、最初の手術から丸5年を迎え、「5年生存率2割」をクリアしたんです。
鎌田 2割に入った!
関原 何とか5年生き延びたなぁと、少しハイな気分でいたら、その直後の12月の検査で、また肺に見つかりました。そこで翌1990年1月に手術をし、前回部分切除していた左の肺下葉を全部取りました。
鎌田 そのときも迷わなかった? やるしかないと。
関原 もう手術慣れですね(笑)。痛くも痒くもないし。肺の手術は翌日から水分が取れますし、1週間で退院できますからね。
鎌田 呼吸機能で苦しむことはなかったですか。
関原 私はタバコは喫いませんし、全然ありませんでした。前回の肺の手術のとき、病室の隣のベッドにいた80歳ぐらいのお年寄りが、肺を全部取って、元気に退院していったのを見ていましたから、私も大丈夫だと思っていました。
鎌田 その数カ月後、こんどは右肺に転移が見つかった。
関原 正直言って、こんどはダメだろうと感じました。腸から始まって肝臓、そして左の肺に行き、それが右の肺に来た。もう全身に行く前触れだろうと思ったのです。しかし、手術をしないわけにはいきませんから、6回目の手術をやった。そうしたら、がんはどこかへ行っちゃった(笑)。
鎌田 最近は、大腸がんなら肝臓や肺に転移しても、そこから完治できることがわかってきましたが、関原さんはそのトップランナーみたいなところがありますよね。
関原 いやいや。6回目の手術後も、転移じゃないかと騒いだことが何回かありましたが、結局転移ではなかった。そして、最後の手術から5年になる1995年になって、どうにか治ったかなぁという気持ちになりましたね。
がんが完治した後に心臓手術を2回
鎌田 しかし、1996年に冠動脈のバイパス手術をやった。
関原 榊原記念病院で「人工心肺を使うと免疫力が落ちる。がん細胞が残っている可能性がある関原さんのような人には、手術はしない」と言われたことです。参りました。しかし、国立がん研究センターの土屋先生が「免疫力が下がるとがんが転移するという説にエビデンス(科学的根拠)はない」と言われてバイパス手術をやってもらいました。
本音を言えば、バイパス手術をやったことによって、またがんが再発するのではないかと、少し不安でしたね。そこから何とか5年、無事に過ごすことができた2001年になって、がんが何回も転移し、6回も手術しながら生き延びた人は珍しいから、参考になるだろうと思って本を書いたわけです。
鎌田 たくさんのがん患者さんに勇気を与える本ですよね。ただ、その後も心臓の手術を2回やってますよね。
関原 本を出した2001年に右冠動脈の手術を行い、2006年1月3日には急性心筋梗塞で倒れて、手術を受けました。急性心筋梗塞のときは、たまたま虎の門病院の横で倒れ、電話すると、病室は空いていると言う。正月の3日は1年で医師がいちばん少ない日らしいですが、その日でも虎の門病院には心臓の担当医がいて、30分以内にステント施術を受けることができましたから、まったくダメージはなしです。
鎌田 (小声で)悪運が強い(笑)。
関原 いやいや、垣添忠生国立がん研究センター名誉総長から「関原さんは神懸かり的な患者だ」と言われました(笑)。
絶対にあきらめない投げ出さない

鎌田 本当にそうだ。最近、大腸がんの人が増えていますが、関原さんからメッセージを送るとすれば……。
関原 医療は日進月歩で、どんどん進歩しています。希望を持って病に立ち向かうことが大切ですね。鎌田先生の本のタイトルを借りれば、あきらめない(笑)。
鎌田 関原さんはスゴイと思う。絶対にあきらめていないし、投げ出していない。最近は、乳がん、大腸がんはあきらめてはダメ、と言われています。それを関原さんは30年も前から実践してきた。スゴイ!
関原 ひとつしかない命ですから、精神をしっかり持って、あきらめないでやる。 がんになったものはしようがない。がんを受け入れて、前向きに努力することが大事だと思いますね。
鎌田 39歳で大腸がんになり、6回の手術を経験して、現在62歳。その間、がんと闘いながら、働き続けてきた。本当に頭が下がる思いがします。
関原 いや、私にとって、これ以外に道はなかったと思います。人間、がんになったからといって、突然、別の人生を歩んだり、宗教にすがっても道は開けず、心の平安は訪れません。
結局、その人がこれまでどういう人生を歩んできたか、どんな人間関係を持って過ごして来たか、にかかっています。私の場合、多くの人たちの力を借りて仕事を続けるしかなかったわけです。人間、生きていくためには、多少なりとも経済的な支えが必要です。
一介のサラリーマンが、40歳を前にがんになり、1人で生きていけと言われても、冷静に考えればオプションは多くはないのが現実です。サラリーマンとして、今までやってきたことを極めるしかなかったのです。その意味で、私は会社に感謝しています。
鎌田 最後に、関原さんのストレス解消法は?
関原 こうして、いろんな方と話をすることです。いろんな話をうかがいながら、自分の生きていくエネルギーにしているんです。
鎌田 こちらこそパワーをいただきました。ありがとうございました。
(構成/江口敏)
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