鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 全日本社会人落語協会副会長/作家・樋口強 VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:向井渉
発行:2008年2月
更新:2013年9月

がんが消えるぐらい効いた抗がん剤シスプラチン

鎌田さん

鎌田 まあ、去年は全然なかったわけだし、1年でそんなに進んでいないだろうと、普通は思いますよね。

樋口 早く仕事に戻らないといけない、という気持ちもありましたしね。治療すれば治ると思っていましたから、最初は早く治療しましょうよという感じでした。小細胞がんだと診断されたとき、これはそんな簡単ながんではないとわかり、中途半端な覚悟ではなく、とことん最悪の事態まで覚悟しました。
先に光が見えない、風が吹けば崖下に落ちてしまうような細い暗い道を歩いているんだという、自分の置かれた座標軸の位置が見えた感じで、肚をくくりましたね。今にして思えば、それが良かったのかもしれません。

鎌田 小細胞がんは抗がん剤が効きますから、1回はいいんですが、完治が難しいんですよね。他のがんと比べて、完治する率が低い。結局、手術をして、抗がん剤治療を受けたわけですね。

樋口 抗がん剤は手術の前と後の両方でしたね。1度抗がん剤を使って、がんを小さくしてから手術しましょう、という治療法でした。

鎌田 小さくなりましたか。

樋口 なりました。シスプラチンを使いましたが、非常に効くんです。

鎌田 消えるぐらい効くでしょう。

樋口 普通の直接撮影のレントゲン写真からは消えるぐらい効きました。「普通の医師だったら見逃すでしょう」と言われたほどでした。

鎌田 どれくらいの期間、投与したんですか。

樋口 2クールですから、約2カ月ですね。

鎌田 シスプラチンだけですか。

樋口 いえ、エトポシドとの併用です。

鎌田 CT写真では残っていましたか。

樋口 多少残っていました。また、リンパに太りがあるみたいだと言われました。それから、どこまで浸潤しているかは、開けてみなければわからない、という状態でした。

合わせ技のリハビリで肺活量4800㏄に

鎌田 そこで手術ですか。

樋口 すぐ手術でした。「もう待たない。待ってると大きくなってしまう」ということでした。

鎌田 手術のとき、何を感じましたか。

樋口 手術をしてくれる先生から、「あなたはまだ若いし、これからだ。がんが主気管支をふさいでいるから、普通に手術すれば片肺を全摘だが、後の生活を考えたとき、片肺というのは極力避けたい。もしつなげるものであれば、がんを取った後、下をつなぎにいく。縫いしろが残るかどうか、やってみないとわからないが、そこまでやると9~10時間かかる」と言われました。祈るような気持ちでしたね。結果的に下の肺をつなげて残してもらいました。

鎌田 今、肺機能はどうですか。

樋口 今もリハビリを続けていますが、肺活量は現在、4800㏄です。

鎌田 それはすごいですね。

樋口 すごく増えました。手術直前が2900㏄で、術後が2100㏄でしたが、まだあるほうだと言われましたよ。そこからリハビリをはじめ、トリフローという機具を使ったり、呼吸法のヨガをやったりしています。それから、やっぱり落語が効いてます。落語は腹式呼吸なんですよ(笑)。

鎌田 なるほど。落語は一石二鳥にも三鳥にもなっている(笑)。

樋口 私のリハビリは、トリフローという機具とヨガと落語の合わせ技ですね。術後5年で4800㏄まで増え、一般男性の平均を上回りました。「よくぞここまで戻りましたね」と、病院でも驚いていました。自分が一生懸命努力したというより、合わせ技のリハビリを続けてきた結果、自分の生活が楽になったわけですから、ありがたいことです。

抗がん剤治療で分かれた外科医と内科医の判断

樋口さん

鎌田 小細胞肺がんの手術も抗がん剤治療も、割とスムーズだったわけですね。つらかったのは、その後ですか。

樋口 はい。つらかった理由は2つあります。1つは、小細胞がんはまず再発しやすいということです。半年以内に90パーセント以上の確率で再発すると言われました。小細胞がんは進行が早くて強いがんだから、身体に残っている場合は、1年も2年もじっと静かにしていない、というわけです。これは恐怖でした。
もう1つは、手術でリンパ節を取ったときに、縦隔のリンパ節にはすでに転移していたという点です。ということは、すでに身体中泳いでいるかもしれない。それがどこかに落ちたときには転移・再発ということになり、完治させるという意味では、もう抗がん剤でも打つ手はないわけです。

鎌田 なるほど。そこまで知らされていると、つらいでしょうね。

樋口 手術を担当した外科の先生は、「今すぐ抗がん剤で追っかけましょう」と言ってくれました。しかし、当時の私の主治医は呼吸器内科の先生で、「まず確実に再発しますから、そのときまでシスプラチンは残しておきましょう」という考え方でした。1つのクスリが使える量は大体決まっていて、それより多く使っても、がんに耐性ができてしまって効かない、ということもわかってきました。でも、座して再発を待つというのはつらい。

鎌田 小細胞がんには抗がん剤が劇的に効くのですが、その後再発しますから、どこで抗がん剤を使うのか、判断が難しいですね。

樋口 シスプラチン以外のクスリはそれほど効きませんし、シスプラチンも徐々に効きにくくなりますから、あとは体力の勝負になります。シスプラチンの副作用は本当に強いですからね。こんな苦しい思いをしているのに、まだやるんですかと、次第に耐えられなくなるんです。精神安定剤も効かなくなる。落語でお話したボーッとするというのは、眠れないからでもあるんです。苦しい、眠れない、ボーッとする、錯乱状態の1歩手前まできている。これは本当につらいです。

鎌田 イライラして落ち着かなくなる、という感じですか。

樋口 生きている感じがしないんです。じっとしていられない。少しの間でも座っていられない。しかし、何かがしたいわけではない。そんな感じです。外科の先生と内科の先生の判断が分かれたものですから、結局、自分が決めるしかないということがわかってきました。そしてそれは、自分がどう生きるかを問われているということでもある、ということもわかりました。その覚悟ができれば、医療者側もついてきてくださるわけです。

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