鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 全日本社会人落語協会副会長/作家・樋口強 VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:向井渉
発行:2008年2月
更新:2013年9月

がん患者が輝いて生きるための3つの知恵
笑えば 悩みも苦しみもその瞬間、吹っ飛んでしまう

カミさんの笑う顔が見たい

樋口さん

鎌田 そう言えば、樋口さんの本の中に、「インフォームド・コンセントは生き方の選択だ」と書いてありましたよね。

樋口 それは、まさに抗がん剤の選択の問題が起きたときに思ったことです。私は仕事、仕事で生きてきましたから、長い間ずっと、家内を1人にしてきました。ですから、次の命があるならば、家内のための生き方をしたいと考えたわけです。

鎌田 偉いねぇ! それまでは偉くないけど(笑)。そういう考えに至ったというのは、病気がそう思わせるのかねぇ。

樋口 そうですね。あれだけ苦労させながら、放ったらかしてきた。家があればいいじゃないか、最新の家電製品がそろったら楽じゃないかというのは、男の短絡的な発想ですよ。しかし、現実にはそういう考え方をしていたんです。男には家庭より仕事が楽しくなる時期がありますからね。

鎌田 仕事人間だったんだ。

樋口 その結果が、厳しいがんになり、ここまで連れてきてしまった。内心忸怩たるものがある。これは「ごめん」では済まない。その時点で、自分の先が見えないわけですからね。「5年生きることはまれです」と言われたときには、生きることを否定されたと同じですから。
それでも2つ目の命を生きたいと考えたとき、今までとは違う生き方をしたいと思うわけです。カミさんと笑い合えるような生き方をしたいと。そう考えると、もうこれは治癒しかない。小細胞がんは、がんと一緒に生きるというがんではありませんからね。
ですから、再発したときにまた抗がん剤を使いましょうという選択肢は、私にはなかったんです。再発してから使うというのは、単なる延命に過ぎません。私はこの病気からの治癒を目指して生きていく、と決めたんです。

鎌田 その主たる目的は、カミさんを喜ばせてあげたい?

樋口 カミさんの笑う顔が見たい。

鎌田 亭主の鑑だね!

樋口 いえ、それだけ見たらカッコいいんですが、その前のマイナスが大きいですから(笑)。そのマイナスを何とかゼロにしよう。そのためには中央突破するしかない。このがんは背中を見せたら捕まる。捕まったら八つ裂きにされるがんです。

治療法の選択は同時に人生の選択でもある

鎌田 いや、よくわかりました。要するに、外科医と内科医が治療法で意見が分かれたとき、インフォームド・コンセントを受けつつ、自分が治療法の選択をしなければならなくなった。そのときに樋口さんが決断したのは、治療法の選択であったと同時に、人生の選択でもあったわけだ。

樋口 もっと言えば、治療法の選択以前に、どう生きたいかが先にあっ��わけですね。それを実現するためには、どんな治療法があるのかということです。治療はあくまで手段です。

鎌田 再発したときに長く生きるためにシスプラチンを残しておくのではなく、少しでも完治の可能性が残っているうちに、徹底的に治療したいと思ったんですね。

樋口 はい。外科の先生は、「間に合わないかもしれないけれど、今追いかけて、叩きにいきましょう」と言われました。内科の先生は、「ムダ打ちはやめて、大事に使いましょう。再発したときに使うのが、いちばん効果的ですよ」という判断でした。お2人とも専門の立場から、最良の答えを出していただいた。でも結果は正反対の判断でした。
そのときに、自分の判断を迫られます。私は自分の生き方に従って、今追いかける治療法を選択したわけです。内科の先生は、体力も免疫力もとことん落ちてしまっている状態でこれ以上、抗がん剤を入れることは無理だと、反対しました。しかし、最後は、私の強情さが勝り、続けて3クール、予定通りの治療をしてもらいました。
最後はクレアチニンの数値が急激に上がり、腎機能が低下しました。内科の先生から、「もう限界です。これ以上続けたら、腎臓を潰してしまいます」という状態でした。

鎌田 クレアチニンの数値はどこまで上がりましたか。

樋口 6~7まで上がりました。

鎌田 厳しいですね。もう腎不全ですね。クレアチニンの数値は1・2が正常で、2~3まではなかなか上がりません。それが6~7まで上がったわけですから、尿毒症1歩手前、内科医はひやひやだったでしょう。

樋口 そうだと思います。抗がん剤治療に入るとき、内科の先生からは、「あなたがそこまで言われるなら、私もあなたの生き方を応援します。ただ、もう限界だと判断したときは点滴の針を抜きますよ」と言われてはじめた治療でしたからね。

自分たちで決めた道だから苦しさや不安に耐えられた

樋口さんと鎌田さん

鎌田 結局、その苦しさや不安に耐えられたのは、自分で決意したからですかね。

樋口 家内と一緒に自分たちで決めた道だったからですね。

鎌田 抗がん剤の苦しさがあるうえに、腎不全も近づいており、吐きっぽくなりますよね。苦しいし、気持ち悪いし、二重三重の苦しさがあったと思います。

樋口 耐えるしかありませんでした。連続した抗がん剤治療で夜中も眠れず、30分おきに吐きます。吐きますが、食べていないので出るのは胃液だけです。1週間は何も食べないと宣言していましたから、病院はもう何も言いませんでした。匂いが入ってくるだけで気持ちが悪い。看護師さんが部屋に入ってきて空気が動くだけで吐き気を催すんです。ですから、精神的にもずっと不安定な状態が続いていたと思います。
腎機能が悪くなっていますから、血中濃度を上げた抗がん剤を早く外に流してあげたいと、水だけは飲むんです。病院は点滴で電解質を入れてくれますが、自分のために自分ができることは水を飲むことなんですね。これも研修医に教えてもらいましたが、研修医は「半分以上は途中で発散して下まで行きません。効率悪いんですよ」と言うんです。
「じゃあ、2リットル必要であれば4リットル飲めばいいんでしょ」と言って、病室にペットボトルをズラーっと並べて飲もうとしました。しかし、吐いてますから、飲めないんです。看護師さんに聞いたら、「飲んでも吐くから、意味がない」と言われました。無理に飲んでも、体内の電解質のバランスを崩しますしね。
あるとき師長さんに、「水は飲んでから何分ぐらいで腸まで行くの?」と聞いたら、「水だけなら30分ぐらいです」と言われた。よし、30分おきに吐いているから、吐いたらすぐ水を飲めばいいんだと(笑)。

鎌田 その気持ち、わかる(笑)。

樋口 ですが、これがまた苦しい。吐いた後というのは、身体中が出す方向に向いていますから、そこへすぐに入れるのは、ものすごくつらいんです。しかし、それがそのときに自分にできる唯一のことですから、必死にやりましたね。

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