鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 朝日新聞記者 上野創 VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

発行:2006年4月
更新:2013年9月

「この生活を取り戻そう!」外泊を小さな目標にがんばる

鎌田 でも、一晩だけ? どうやって一晩で挽回したのですか。

上野 妻が「とりあえず外泊しよう」と言って、翌日外泊したのですが、これが大きかったです。それまでは「治療の合間に外に出ても意味がない」と思っていました。治って退院するならせいせいするけど、治療が終わっていない、それどころか薬が効かないと言われて、2、3日外に出て何になると。でも、あまり理屈っぽく考えない妻が「とりあえず」と言うので、しぶしぶ外泊したんです。ところが、帰宅したら、気分がすっかり変わってしまいました。
私がいた病院は広くて新しくていい病院でしたが、それでも大部屋でプライバシーが少なく、大声あげて笑うことも泣くこともできない場所なんですね。話は常にひそひそ声だし、友達がたくさん見舞いに来てくれたら、気を遣って外に出る。出たところで、行くのはデイ・ルームですから、居心地はよくありませんし。

鎌田 いつも抑制がかかっているわけですね。

上野 はい。私たちが住んでいたのは寝るだけのボロいマンションで、マイホームと呼べるような場所ではないんですが。

鎌田 2人で生活した時間は、多少はあったんですか。

上野 いや。私は病院へ、妻は私の部屋へ、という感じでした。

鎌田 それじゃあ、久々に2人だけで過ごす時間で、それがエネルギーになったということですね。

上野 妻が毎日のように病院に来てくれたので、日々2人で過ごす時間はありました。でも、のんびりお茶を飲むとか、レシピを見て今夜の料理を考えるとか、そういうすごく普通のこと1つひとつが、気分転換になりました。
さらに、「この生活を必ず取り戻そう」という気持ちになりました。日常生活がどんなに光り輝いた大切なものか、料理本を見ながらかみしめたわけです(笑)。

鎌田 病院の中で、「ぼくは闘うんだ」と自分に言い聞かせても、闘う力にはならなかった。でも、1回離れたことで、自分の中にエネルギーが湧いてきたのですね。

上野 最終目標は、治って元気になって退院することでしょう。でも、肺にまで転移した睾丸腫瘍の治療は、そう簡単に終わりません。だから、いくつかの小さい目標が必要で、私にとってはそれが外泊でした。3週間に1回外泊できるので、あと2週間、あと1週間と、外泊を目標にしました。外泊したらあれをしよう、これを作って食べよう。そういうことを楽しみに、吐き気などのきびしい副作用に耐えたのだと思います。

無菌室の感染症と突然のうつ 2度の山場を乗り越えて

鎌田 結果として、肺の手術をすることと、抗がん���の種類を変えることに対して、わりあい楽に気持ちの整理ができました?

上野 最初の入院のときは、実は大きな山が2つありました。ひとつは、超大量化学療法を受けたとき、感染症になったこと。もうひとつは、うつ症状にとらえられ、生きる意欲を失ったことでした。
薬が効かないと言いましたが、病院に戻ったら、効き始めたんですね。これはうれしかった。

鎌田 薬を替えたのですか。

上野 効果が出るのが遅かったらしいです。迷惑な話です(笑)。でも、そこで4クール続けたところ、非常によく効きました。しかし、それでも消えない影があると。生きたがん細胞かもしれないし、抗がん剤で壊死したがん細胞かもしれない。それを判断する前に、超大量化学療法をやろうということになりました。
治療自体もつらいものでしたが、その渦中でいちばんなってはいけない感染症になってしまったのです。敗血症から多臓器不全の寸前まで行き、妻は医師に「今夜が山」と言われたそうです。これが最初の山ですが、私はがんになって物理的に死にそうになったのは、このときだけでした。
もうひとつの山は、うつ状態になってしまったことです。超大量化学療法のあと、命からがら無菌室から出ましたが、すぐ元気になりました。あとは肺の影の細胞を取って調べ、壊死したがん細胞であれば退院、というところまで来たのに、些細なきっかけで「役に立たない人間になった」、「社会復帰しても続かないし、ずっと入退院を繰り返すなら、生きている意味はない」という考えにとりつかれてしまったんです。

鎌田 薬剤が誘導していた可能性はないんですか。

上野 あると思います。抑うつは抗がん剤の副作用のひとつで、あまり注目されていませんが、実はけっこう深刻だと思います。
先ほどお話ししたように、そもそも病院で長く暮らして、精神が正常でいられるほうが不思議だと思いますが、そのうえ私の場合は、検査でもしダメが出たら、もう1度あのつらい治療をするという前提がありました。基本的に私は「結果が出るまで何もできないのだから、考えずに待てばいい」という考え方なのですが、なぜか気に病むようになり、どんどん落ちこんでしまいました。
うつ状態は自分でコントロールできません。ここで死にたいなんて、論理的に絶対おかしいんです。つらい治療を乗り越え、胸の影がほぼ消え、まもなく退院できるかもしれない。なのに、死ぬしかないと思ってしまう。がんもつらいけど、うつのほうがもっとつらいかもしれない、と思いました。

鎌田 うつは薬で脱したの?

上野 いや。それも外泊がきっかけでした。実は、主治医も家族も私がそんなに落ち込んでいるとは知りませんでした。それで、私が寝ている部屋の隣では、私の母と妹と妻が楽しそうにお茶を飲んでいて、ケーキがおいしいとか、いろいろな話をしているんです。襖のこっちでは、「自分は死ななければいけない」と悶々としていて、あっちでは「モンブランおいしいね」。何かばかばかしくなって、いろいろ考えなくてもいいんじゃないかと思い始めたあたりから、晴れ間が見えてきました。

鎌田 その後、影の部分を切除したわけですが……。

上野 結果はOKで、それはうれしかったですね。

鎌田 万歳って感じですよね。

超大量化学療法=骨髄を破壊するほどの超大量の抗がん剤によって、一気にがん細胞をたたく化学療法

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