鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 朝日新聞記者 上野創 VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

発行:2006年4月
更新:2013年9月

人の生き死にを考える素材として体験を書きたかった

鎌田 その後、悶々とすることはあまりない?

上野 そうでもないですね。職場復帰して1年たたず、次の春に再発。治療して夏に退院して、また再発。最初に治療を受けて退院してからは、毎月検査を受けていましたが、検査の前は非常に非常に重い気持ちです。もし再発したら、あの仕事はだれにまかせようとか、常にシミュレーションしていました。いつも再発を心配してびくびくしていたので、再発と聞いたときは、「ああ、もう再発の心配をしなくていいんだ」と(笑)。
今、最後の再発から5年と少したちましたが、うれしい想定外です。でも、あのとき考えたことや見つめたことは、絶対忘れてはいけないと思っています。その点、検査のたびに原点に引き戻されるのは、再発の恐怖のひとつの効用かもしれない。切って終わりという病気だったら、この5年間、命について考えることもなく、悩みつつ人の生き死にについて書くこともなかったでしょうね。

鎌田 再発もつらかったと思うけど、再々発したときはもっとつらかったでしょう。

上野 1段抜かしで死に近づいた感じです。2回目の再発ということは、1回目2回目の治療をしても効果がないという意味ですから、はじめて告知を受けた人と同じではなく、かなり死に引っ張られたほうのスタートラインに立っていると感じました。
ただ、もう初心者ではないので、おそらく自分は長くないだろう、だったら何をしようというところに立ち返りました。そして、肺の手術後に腫瘍マーカーが下がり、退院が見えたとき、この体験を新聞に書き、読者の皆さんに提示したいと思ったんです。

鎌田 編集長に言われたのではなく、自分の企画だったのですね。

上野 入院中に読んですごくよかったのが、「声」という投書欄でした。記者の手が入った文章なのに、悲しみや苦しさ、その中で見つけた喜びや生きている意味などが、率直に書かれていました。
がんになる前の私には、そういう視点はありませんでした。そして、退院後にその頃と同じ視点に戻っても、闘病中だった自分に読ませる記事は書けないと思っていました。それで企画を出したのですが、支局長がやってみろと。
私は記者ですから、それまでも書くことは何度か考えました。が、こわくて書けませんでした。記者、それも20代の記者が、私小説みたいな記事を書いて何だと言われるかもしれない。もう1度傷口を切り開いて、あの苦しさを反芻したうえで、いろいろな人から批判されたら、立ち直れないと思いました。そんな無茶をせず、普通に仕事をしていればいいかなと。

鎌田 書いてよかったですか?

上野 よかったです、本当に。つたない文章でしたが、自分としてはすごく率直に書いたつもりです。そうしたら、「はじめて新聞に手紙を送ります」という人から、いっぱい手紙が来ました。返事も書いたし、取材にうかがって記事も書いたし、交流会もやりました。そんな中で、「人はどうして生きるのか」、「死を前提に生きるのはこんなに苦しいのに、なぜ生きるのか」など、私自身いろいろ考えさせられ、励まされましたね。

「私も大変でしたけど、忘れちゃいました」に励まされて

鎌田 再々発から5年と少し。現在の心境はいかがですか。

上野 5年って、がん患者にとってすごく意味のある年数です。私自身、5年後に元気に記者として一線で働いているとは想像できなかったので、素直にありがたいし、助けてくれた多くの人たちに感謝しています。同時に、これからどうしようかなと。長い展望をもてなかったから、40歳50歳の自分を考えたこともなかったし。

鎌田 でも、上野さんが元気でいることは、がんと闘っている人たちにとって希望だと思います。私も新聞で上野さんの署名を見るたび、うれしくなるんですよ。

上野 はい。そういうお手紙をいただきます。

鎌田 上野さんの今を、自分のことのように喜ぶ人たちがいると思います。でも、荷が重い?

上野 はい、少し重いです。どうしても、生き残った自分って、何だろうと考えてしまう。いろいろな別れもあり、お別れした人たちに「自分だけ元気になってすみません」という気持ちもあります。
その一方、「わかる」ことの大切さを思うんです。私自身、「だめかも」と思っていたとき、同じ病気で同じように再発して、職場復帰している人と知り合いました。彼の一言ひと言はたわいないんです。「大変ですね。私も大変でしたけど、最近忘れちゃいました」とか。でも、大変ということをこの人はわかってくれる。しかも、忘れられるとは思えないこの大変さを、忘れたと言っている。励まされました。私もこの人のようになろうと思いました。
ですから、2回再発し、3回社会復帰して、こんなに元気にのほほんとやっているのがいるというのが、何かの力になれるのならうれしい。真面目にのほほんとしないといけないと思います(笑)。

鎌田 上野さんの記事は、ほかの記者さんと感覚が違う気がします。ぼくは都内の中学校で、命の講演をさせてもらったことがあります。上野さんが取材に来てくれて、お会いしたのはそのときがはじめてでした。ぼくは講演にわりと自信があって、子どもたちに命のことを伝えられると勇んで出かけていったのですが、どうも伝わらなかったとしょげていました。けれども、何日かして上野さんの記事を読んだら、子どもたちはその場で表現しなかっただけで、実はいろんなことを考えてくれたとわかり、うれしかった。
そのとき、上野さんの記事は普通の記者さんならこうは書かない、という視点で書かれていると思いました。それはご自分でも意識していますか。それとも、普通に書いているだけなのかな。

上野 とくに意識はしていません。でも、以前と違って、ごく普通の人たちが日々を積み重ねている話を書きたいと思うようになりました。こういう記事は、特ダネが入ると後回しにされたり、短くされてしまうことがあります。だとしても、私はこういう記事が書きたくて、朝日新聞の記者をやっていると思うんです。ほかの担当記事も気持ちを込めて書いているつもりですが、自分がいるからこそ載る記事は大事だし、それによってあの闘病体験が社会に生きるのなら、自分が生きて朝日の記者をしていることにも、少しは意味があるかもしれないと思います。
だから、人の生き死にのことを、もっと書きたいと思います。私の場合、どうしても死が前提にあります。だからこそ、そこから裏返って生について書きたい。そんな気持ちで書いたら、あんな記事になったという感じです。

死を意識して生きる、死について語る

鎌田 子どもといえば、最近のネット社会の中では、子どもたちも生身の人間のつきあいに喜怒哀楽を感じる機会が減り、暴走することが増えていますね。上野さんの視点は、こういった問題にも生かせるのではありませんか。

上野 鎌田さんも同じと思いますが、死を強烈に意識した地点で、生きていることのいとおしさや、自分が自分でいられることのありがたさを感じる部分はあると思います。私自身、自分が死ぬかもしれないという体験をするまでそういう視点はなく、傲岸不遜にやってきました。でも、子どもに何を伝えるかと考えると、やっぱり死を前に謙虚な気持ちになった自分が原点になるんです。
デス・エデュケーション(死の教育)を否定する人もいますが、私は死について一生懸命伝えれば伝えるほど、どうやって一生懸命生きるかという話になると考えています。どんなにバーチャルな世代で、どんなに拝金主義的な世の中にいても、子どもは必ずそういうことに興味をもつと思う。
だから、そういう時期に上手に種をまけば、たとえすぐ芽が出なくても、どこかで花を咲かせてくれると思うんです。命の教育は非効率的で、息の長いものです。すぐ結果の出る学力テストと違って、現場では扱いにくいけれど、ぜひとも取り組んでほしいし、実際にやっている人はいます。
そもそも、百年たてば、今生きている人は全員死んでいるというのが、私にとってはすごい精神安定剤なんです。先人はどう考えたのか、隣にいる人はどう考えているのか。それは決して暗い辛気臭い話ではなくて、万人に参考になる話だと思うんですよ。

鎌田 だけど、死はこわいからさわりたくない、という人は多いね。

上野創・鎌田實

上野 知らなければ、こわいのは当たり前だと思います。だからこそ、日頃から「自分はどう死ねばいいのか」という問いに対する答えを、探し続けたほうがいいのではないかと思うのです。
それに、そうやって死について考えていると、ひっくり返ってユーモアになってしまうことがあります。ぼく自身、退院したとき「死ぬかと思った」と言ったら、まわりはすごいブラック・ユーモアだと笑いました。見舞いに来た人に、「もしかして、ぼくが死ぬと思っていて、自分は死なないと思っている?」と聞いたときも、すごく受けました(笑)。でも、そういうユーモアは、悲劇がくるっとひっくり返って、突然喜劇になってしまうように、実は死の裏側にいつもへばりついている。ぼくはそこがすごく大事だと思っているんです。

鎌田 今日はいい話をたくさんありがとう。奥さんといつまでも仲よく暮らしてくださいね。

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