スペシャル対談 「がんばらない」の医師 鎌田實 VS 「こころと体の」遺伝子学者 村上和雄

撮影:大関清貴
発行:2005年5月
更新:2013年8月

ポジティブな思いはポジティブ遺伝子のスイッチをオンに

鎌田 遺伝子の仕事というと、僕たちは次の世代になにかを伝える役割と思っていたけれども、先生の今のお話では、タンパク質を作る役割というのもあって、それがなにか僕たちの生活の仕方を表現しているということなんですね。先生のご本を読んでいると、人を愛するとか、喜びを感じるのも遺伝子が働いてなんらかのタンパクを作っているというようなくだりがあるんですけども。

村上 そこが非常に面白い所です。要するに私どもが、恋愛する、人を好きになるというときにどういうことが起こっているのかということですよね。
面白い実験があって、恋愛中の人たちを集めてきて相手を思う心の動きに連動して出るといわれているセロトニンというホルモンを分解するタンパク質の動きを調べたところ、正常値から40パーセントもダウンしていたんですよ。恋愛のようなものが1つのタンパクやホルモンの動きと連動するということで、私はその実験を面白いと思った。タンパクが動いたってことは遺伝子が動いているってことですよ。私どもが人を好きになる、あるいはわくわくする、そういうときに遺伝子は動いていると。要するに、ふつう僕たちの心は脳の働きだと言っているけれども、脳をほんとうに操っているのは遺伝子かもしれない。脳細胞も全部遺伝子が働いてできているわけですから。だからそれを少し広げていくと、私どもの心の持ち方と遺伝子とは関係していると。
私は思いが遺伝子の働きを変えるということをスイッチのオンとオフで証明したいと思ってるんです。思いというのを2つに分け、恋とか喜びとかわくわくさせるようなポジティブな思いはポジティブ遺伝子のスイッチをオンに、不安、恐怖、いじめなどのネガティヴな思いはネガティヴな遺伝子のスイッチをオンにするという仮説を出して「心と遺伝子研究会」というのを3年ぐらい前からやっています。多くの人は仮説というとばかにしますが、科学の一番大切なことは仮説をたてることです。

鎌田 そうですね。

村上 科学というのはね、真理というのとはちょっと違う。なぜかというと科学というのは極端にいえば仮説そのものでね。体のことについてわからないことはまだいっぱいある。さらにいえば心とか命のことっていうのは、ほとんどわかっていない。だからまず実験をするんですよ。
ネガティヴなほうの実験はストレスの研究などで必ず誰かがやるはずだと思ったんで、逆にポジティブなストレスで遺伝子のスイッチのオン、オフの研究をやろうときめたんです。研究会を作ってそれをやり出したときに吉本興業の社長さんとご縁ができたんで、笑いによって遺伝子スイッチがオンになるっていう実験を、吉本興業さんと組んでもう3回やっているんです。面白いですよ。

鎌田 ほう。

村上 実験はまず糖尿病の患者さんに協力してもらってね、病気との関係で血糖値がどうなるかというのをみたんです。同一の実験を2つにわけましてね、前日は25名の患者さんに集まってもらって、食後すぐに大学の先生の講議を40分聞いてもらいました。糖尿病のメカニズムについてのまぁふつうの講議をしてもらって血糖値を測った。そうすると、糖尿病の患者さんは一般に食後血糖値が上がるんですけれどもね、なんとこの25名の平均血糖値が、食前に比べて食後講議を聞いた後では平均123ミリグラム上がったんですよ。僕たちの予想をはるかに上回ったんです。平均ですからね、一番多い人で200も上がったんです。

鎌田 もともとの数値に比べてそれだけあがったんですか? そりゃすごいですね。

村上 それで、血糖値の高い人はなるべく大学の先生の講議は聞かないほうがいいよと(笑)。

鎌田 病院のまじめな先生の話もよくないってことですね(笑)。

村上 その翌日にね、筑波の市民ホールを借りてB&Bさんのお笑いを観てもらったんです。彼等はほんとうにプロで気合いを入れてお笑いをやってくれて、お客さんの反応をみながら笑いを変えてくるんです。ほんとうにみんなよく笑いました。
その結果、前日平均123上昇した血糖値が、平均77ミリグラムしか上昇しない。前日より46も下がったんです。このデータをみて、こりゃ面白いと、すぐ論文を書いてアメリカの糖尿病医学会誌に出したんです。すぐに掲載可のOKが出て、最短距離で発表できた。ロイター通信もそれを全世界に発信してくれたんです。これで、ひょっとしたら医療が変わるかもしれないと思いましたね。治療というものに楽しさや笑いを取り入れて楽しい医療が始まるいいデータかもしれないと。笑いには副作用がないし、笑い転げて死んだって人はいないですからね。
NHKの「心の時代」という早朝番組でB&Bさんの漫才で患者さんの血糖値がダウンしたっていう話をしたら、いろんな患者さんから質問が来ましたよ。傑作なのは「B&B」っていう薬はどこで買えるんですかっていう問い合わせ。私は冗談かと思ったら本気なんだな。それで僕は、ビデオをつくろうと考えた。実はもう編集が終わりましてね。吉本と共同編成でプロの監督さんが作った「笑いを誘うビデオ」。これには表情の筋肉をほぐして笑うためのストレッチ体操もあるんです。もうすぐ完成予定で、これができたらまたすぐに臨床検査に入ります。

鎌田 それは楽しみですね。問題は笑いが遺伝子にどう影響しているかですよね。

村上 そう、笑いによってスイッチがオンになる遺伝子があるという仮説をもとに行った昨年の暮れまでの実験では、ごくわずかな遺伝子のスイッチがオンになるっていうデータが出たんです。これは笑いによって患者の遺伝子が動くという最初の例ですよ。とにかく、笑いのような心の動きによって遺伝子が動くということは間違いない。その動きと病気がどう関係するのかというのがこれからの問題なんです。

心と遺伝子研究会=思いが遺伝子の働き(オン・オフ)を変えるという仮説を科学的に証明するために2002年8月に設立。
http://www.mind-gene.com/


平成15年1月12日、つくば市でのB&Bのお笑いライブ。
会場は爆笑の渦に包まれた

心と病気との関係を調べるため、大学の講義とお笑いを
聞いた後に糖尿病患者の血糖値を測定。
講義を聴いた後のほうが明らかに血糖値の上昇を認めた

利己的遺伝子と利他的遺伝子を併せ持つ生き物

鎌田 「笑いと治癒力」というベストセラーを書いたジャーナリスト、ノーマン・カズンズは膠原病の一種で強直性脊椎炎という病気になりましたが、医師たちがすすめるステロイド剤だとか他のお薬を拒否しました。ビタミン剤と笑うということだけで治してしまいました。膠原病は一時良くなるとか、寛解するということはあっても治癒するということはあんまりないのに、治っちゃった。アメリカの中では非常に新しい物の考え方をした人で、彼はアメリカが広島と長崎に原爆を落としたことに心を痛め、25人の被爆乙女のケロイドのひどい人たちをアメリカに招待して手術を受けさせているんです。
そのうちの1人、当時13歳の笹森重子さんが看護婦になり人のためになりたいと語った夢を応援するために、彼女を養女にし、どんなことがあっても笑うことと希望を持ってること、それから人の役に立てということをつねづね笹森さんに言っていたそうです。90年に亡くなるんですけども、人生の後半は免疫とか遺伝子とか内分泌とか自律神経とか、見えないシステムが人間の体や命を支えているんじゃないかということを証明したくて、カリフォルニア大学に大脳研究所をつくって教授になっています。先生と同じことを言ってるなぁと思いました。

村上 うん、彼はずっと大先輩だしね。

鎌田 先生はご本で人のために生きるのは遺伝子に刻まれた人間の本質だってことを書いておられますよね。カズンズも同じことを娘さんにずーっとくり返し言っていた。この、人の役に立つというのが遺伝子に組み込まれている人間の本質だっていうのは、これはどういう意味ですか。

村上 1つはね、今、遺伝子というものは非常に利己的であるという考え方があるんですよ。遺伝子は自分のコピーをつくることを最優先し、要するに自分の種族、自分の子ども、自分の細胞をつくることに専念すると。いわゆる利己的遺伝子っていう考え方ね。

鎌田 利己的遺伝子って有名ですが誰が言い出した言葉でしたっけ。

村上 リチャード・ドーキンスという人です。遺伝子はそういう非常に利己的なものであると。親が子どもを助ける行為は非常に利他的な行為に見えるけれど、実は自分の子孫を残すという意味でそれは遺伝子レベルでは利己的な行為なんだと彼は言ってるわけ。
しかし僕はそれは違うんじゃないかと思う。なぜなら、例えば臓器をみてみると、臓器はいろんな細胞から成り立っているわけです。いろんな種類の違う細胞が自分の役割を担い、細胞どうし助け合っている。そういう利他的にふるまう情報も遺伝子には書かれてると思うんです。遺伝子というものの中に、利己的な遺伝子情報と、もう1つは利他的な情報との両方がふくまれていて、人間の全体を生かすためのバランスをとる情報が入っているはずだと思うんです。そうでなければ人間の体はここまで見事に調和して動かない。

鎌田 そういう遺伝子でつくられた人間である僕たちは人のために役立った方が自分の遺伝子が持ってる本質を表した人生になると。

強直性脊椎炎=脊椎を侵す原因不明の炎症性疾患。男性のほうが発症頻度が高く、そのほとんどが20歳代までに発症する
利己的遺伝子=進化論における考え方の1つ、リチャード・ドーキンスによって提唱され、根幹にあるのは「自らのコピーを残しやすい遺伝子ほど後世に残る」という 考え方

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