鎌田實の「がんばらない&あきらめない」読者との座談会 一緒に考え、一緒に解決に向かう医療なら、厳しくても前を向ける 患者は泣きたいときに泣くところがないのがつらい

読者の皆さん:小川嘉子さん 社会保険労務士
沖原幸江さん ツアーコンダクター
北田ひとみさん 主婦
撮影:板橋雄一
発行:2007年12月
更新:2014年3月

精神科に連れて行ってくれた友人は救世主

鎌田 副作用ですか?

北田 はい。思っていたより強かったんです。しかも苦しいことを誰にも言えないし、先生になかなか伝えられず、体だけでなく、精神のほうもひどい落ち込みようで初めて大泣きしてしまったんです。
それで、もうどうしようもなくなって、頼りにしている友人に電話して来てもらったんですね。そしたら精神科のお医者さんに連れて行ってくれたんです。そこで救われたんです。感じのいい先生で、いろいろ話を聞いてもらいました。「何をしなきゃいけないんですか」って尋ねたら「何もしたくないときは、何もしなくてもいいんです」って言われて、ものすごく気持ちが楽になりました。あのとき、精神科のお医者さんに罹っていなかったらとても抗がん剤6クールはクリアできなかったと思いますね。

鎌田 あなたのように、うつ病までは行かなくても、うつ状態になる人はかなりの確率でいるはずなんですよね。

北田 そのあと、乳がんの患者団体に入ったんですが、やはり大部分の人は似たような経験をされていました。

鎌田 皆さん、がんになったら高度医療の病院で、腕のいい外科医にかかりたいと思うけど、その先生は決して心の専門家じゃないということですよね。

5年生存率の数字にトイレで大泣き

写真:沖原幸江さん

鎌田 沖原さんは肺がんでしたね。

沖原 99年の春に近くのクリニックでレントゲンを撮った際、肺に影があることがわかってそこの内科のお医者さんに、肺がんの可能性もあるから、大学病院に行って精密検査を受けるように言われたんです。大学病院では、はじめ内科で検査を受けたんですが、2カ月かかっても確定した診断が出なくて、外科に行くよう言われてそちらも受診したら、「肺がんの可能性が高い」って言われて、その場で手術日まで決められたんです。

鎌田 それは、予想外のことだったんですか。

沖原 いえ、「やっぱりそうか」という感じでした。最初、レントゲンで肺に影があると言われたとき、私は権威のある先生が一般向けに書かれた肺がんに関する本を買って読み込んでいたんです。検査がその本に書いてある通り進んでいくので肺がんに向かっているな、という思いはあったんです。

鎌田 そうするとあなたも告知されたときは、泣いたり、頭の中が真っ白になるようなことはなかった?

沖原 告知のときはなかったんですが、手術後、病理検査の結果が出てリンパ節に転移していることを知ったときは、大泣きしました。手術の前は、がんは6ミリくらいなので「切れば終わりですよ。あなたすごくラッキーです」と言われていたんですね。
ところが2週間後に病理の結果を聞きに行ったら、先生も病理の結果をまだ読んでいなくて、一緒に読む形になったんですね。そこには「リンパ管に浸潤があり、ステージ2期」と書いてあるんです。いつも持ち歩いている肺がんに関する本を見ると、2期の5年生存率はものすごく低い数字なんですよ。そのあと内科から資料を取り寄せる間に、いったん部屋から外に出されたんです。それで、トイレで大泣きしちゃったんです。

鎌田 5年生存率はどう書いてあったの?

沖原 1期の場合は72パーセントですが、2期の場合は37パーセントでした。当時は2A、2Bの区別がなかったので、そんな数字が出ていたんですが、37パーセントということは、3分の2が亡くなるとなるということですから、もう生きていくのは無理だという気持ちになったんです。若いと、がんが進むのが早いというのも頭にありましたし。

鎌田 37パーセントという数字に泣いたわけですね。

会社を辞めて心理学を専攻

写真:鎌田實さん

沖原 そうです。で、そのあと家に帰って一晩泣き明かしたんですが、これじゃダメだと思って、いろいろ主治医の先生に訊いておくべきことを書き出して、次に伺ったとき、1つひとつ尋ねたんです。一番気にかかっていたのは、会社を辞めるかどうかだったんですが、それに対して、「欲しい情報は可能な限り提供します、自分で決めてください」と言われたので、さまざまな角度から質問して結局、辞めることを決断しました。
それと肺がんの場合、亡くなる方は2年以内に亡くなって、生き延びる方は2年が過ぎるとずっと生き延びる傾向が顕著なので、最悪2年後に自分がいなくなることを想定をして生活設計を立てました。

鎌田 会社を辞めてよかったと思っていますか?

沖原 はい。結局現在は元いた会社の違う部署で働いていますが、戻る前に4年間大学で心理学を専攻することができましたから。

鎌田 どうしてまた心理学を?

沖原 動機になったのは手術後、抗がん剤や放射線の治療がない時期に、私も北田さんのように、精神的に不安定になっちゃったんです。しかもそれがJRの駅で、人を怒鳴るという形で噴出したんです。

鎌田 どういう状況だったの?

沖原 緑の窓口で順番待ちをしているとき、私の後ろにいた人が、窓口の係りのオジサンに向かってぐちゃぐちゃ文句をつけたんです。その窓口の係のオジサンは配置転換で来たばかりのようで不慣れなのは明らかで、かわいそうだなって思いながら見ていたんですね。
そのとき、後ろの人が文句を言い出したんで、私、大きな声で怒鳴り飛ばしちゃったんです。このときは気が変になったんじゃないかと思って、そのころ通っていた臨床心理士の先生にカウンセリングを受けたんです。そしたら「それは、あなたの心の中に理不尽のダムがあったからなんです」と言われたんです。

鎌田 面白いね。どんな理不尽が溜まっていたんですか?

沖原 「なんでこの若さで肺がんなの」、とか「なんで課長に昇進したばかりのときにがんなんだ」とか「なんで結婚していないんだ」とかです。
それが、理不尽なことを言ったオヤジがいたので、決壊してしまったんだと言われました。それでものすごく気持ちが楽になったので、私もその先生のように臨床心理士を目指そうと思って大学で心理学を志したんです。

鎌田 その臨床心理士はどうやって知ったんですか。

沖原 たまたま、薬剤師をしている友人がいて、お父さんを脳腫瘍で亡くしているので、私が肺がんになったことを知って、その方を紹介してくれたんです。そんな友人がいたことは、すごくラッキーでした。

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