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「がんばらない」の鎌田實が贈るがん患者への応援メッセージ
病気になって気づくこと
最近出した本(『病院なんか嫌いだ』集英社新書)の中で、私は「病気に直面するかもしれない、すべての人たちへの処方箋」について十箇条を挙げています。その第一は、「病気から逃げないこと」。以前、ある50代の男性の患者さんが、私にこう話してくれたことがあります。
「病気になってよかったんですよ、先生。そりゃあ、胃がんになったときは、自分を責めたり、人生を呪ったり、神も仏もないと思った。でも、手術が終わって、再発が怖くてビクビクしているときでした。急にフーッと、自分を病気にさせる何かがあったことに気づいたんですね。何かって聞かれても、とても漠然としたもので、よくわかりません。
自分は仕事が大好きで、必死に精いっぱい生きてきました。告知を受けても、仕事が大事な局面を迎えていたので、治療どころではないと思いました。結局、仕事を理由に逃げたかったんでしょうね。怖かったんです。
だから、先生から、進行した胃がんだけど、逃げずに病気を真正面から見つめて、事実を受けいれて、いっしょに病気と闘おう、といわれたとき、あっと思いました。でもね、先生、あれからいろいろなことを考えたんだけど、自分が逃げ続けていたのは、病気からだけではなかったんです」
この男性は、仕事に夢中になるあまり、家族と離反し始めていたのです。ところが病気になって家族に看病してもらううちに、家族の大切さやありがたさがしみじみと分かってきた。手術を契機に家族が和解しあい、最後には自分が人生から逃げていたことに気づいて、「胃がんになってよかった」とまで言う。つまり、病気になったことが、自分をあらためて見つめ直す機会になったわけです。
真正面から対峙する姿勢
病気から逃げないということは、とても大切なことなのです。病気になるときは、どこかで生活のリズムや考え方などのバランスが崩れている。病気になったこと自体が、この辺で生き方を変える必要がある、という身体からのサインでもあるわけです。それなら、病気と真正面から対峙することで、生き方のギア・チェンジをしたほうがいい。その意味では、病気になったということは、これまでの生き方を見直す絶好の機会でもあります。
事実を直視して、病気に立ち向かう心の準備ができれば、身体のほうも治癒に向かって体制を整えることができる。病気から逃げているかぎりは、免疫機能の活性化といったようなことも、おそらくは起き得ないのではないでしょうか。事実を事実として受け入れ、それを乗り越えていこうとするときに、はじめて免疫機能が活性化するのではないかという気がします。
病気を契機として、医師や看護師が置いてきぼりになるほど、人間として大きく成長していく患者さんがいます。人間、���気をすると、人生や、家族、命について深く考えずにはいられなくなる。ところが、そこで事実から逃げてしまえば、成長するきっかけを自ら放棄したことになります。だからこそ、自分の病気について本当のことを知ることは、とても大切なことだと思うのです。
患者を支える脇役でありたい
20世紀の日本人は、いろいろな面でがんばりすぎてきたように思います。しかしその反面、自然や、家族、身体、心など、いろいろなものを壊してきました。21世紀を迎えた今、私たちはそろそろ「がんばらない」生き方を選んでもいいのではないでしょうか。

ラウンジの大きなスペースに
飾られたタペストリー。題名は「希望」
でも人生は1回きりだから、「あきらめない」で誠実に、ていねいに、最後まで精一杯生きたほうがいい。人はみな死んでいく運命にあるのだとすれば、その人らしい人生を最後まで、ていねいに生きてもらいたい。私たちは、患者さんがその人らしい人生を全うするために最大限の支援を惜しまない。それが私たち医療者の仕事だと思うのです。
大事なのはその人の人生観であり、どのような治療を受けるかは患者さん自身が選択すべきことなのです。苦痛でない範囲でできるだけの治療を受けたいという患者さんには、医療のプロとして、その人に一番適した治療法を提案する。
一方、残された時間を静かに過ごしたいという患者さんには、心の痛みにも身体の痛みにも気を配り、どこにも負けないような緩和ケアをして支えてあげたい。
心の揺れを大きな懐の中で支える
とはいえ、患者さんの心も揺れないわけではない。「もう無理はしたくないんですよ」と言う人でも、心の底には「生きられるものなら生きたい」という気持ちがある。
たとえば、ホスピスに入った患者さんが、孫の結婚式までは生きたいと言い出すこともあれば、あまりの痛みに絶望し、穏やかに死にたいと思って来院した人が、緩和ケアで痛みがとれた途端、もっと生きたいと言い出すこともある。揺れながら、もう一度闘いたいと思うときは、闘えばいいのです。そうした複雑な人間の心の軌道を知った上で、患者さんの心の揺れを大きな懐の中で支えてあげるのが、医療の役割だと思うのです。
患者さんが望むなら、緩和ケアと併行して抗がん剤治療を行ってもいいじゃないか。ホスピスの専門家からみれば、それは邪道かもしれない。でも、私たちが患者さんに自分たちの医療観を押しつけるようなことがあってはならない。患者さんとコミュニケーションを密にしながら、あくまでも患者さんの意向に沿って治療のデザインをする、それが何よりも大切だという気がします。
生き方のギア・チェンジをした患者

「医療は何のためにあるのか。
その根本がいまの医療に欠けている」
と指摘する鎌田さん
そうすることで、医療は、患者さん自身が新しい人生を生き直す支えとなることができる。患者さんが「がんばらない」、しかし「あきらめない」生き方を全うし、最後までていねいに生きるためのお手伝いをすることができるのです。
がんをきっかけに、見事に生き方のギア・チェンジを果たした患者さんの例として、最後に、中村哲也さんの話をご紹介したいと思います。
中村さんは60代の男性で、9年前、脾臓の悪性腫瘍で「余命半年」と告知されました。手術と抗がん剤治療が功を奏して職場に復帰したのですが、肝臓への転移などで悪性腫瘍が再発。その後、13回の入院と抗がん剤治療をへて病気を乗り越え、昨年1月に定年退職の日を迎えました。
この方は、病気になる以前は典型的な“企業戦士”だったのですが、がんになったことをきっかけに、「人生の満足の軸」を変える決意をします。そうすると、病気になる前は気づかなかったことがだんだん見えてきた。道端に咲く野の花の美しさや、奥さんと買い物に行くひととき……そんなささやかな日常に、かけがえのない価値を見出すようになったのです。
いろいろなボランティア活動にも、積極的に取り組むようになりました。先日、中村さんと一緒に東京・杉並の和田中学で中学生に話をする機会があったのですが、中村さんが自分の体験を語ると、子供たちはものすごく心を揺さぶられるわけです。
何か、不思議な力が働いている
とはいうものの、彼のがんは完治したわけではない。いまだに肝臓には大きな腫瘍があるし、リンパ節の転移も広がっている。そんな状態にもかかわらず、今も中村さんは元気に生活を楽しみ、ボランティア活動をしている。そこには何か、不思議な力が働いているのを感じないわけにはいきません。
それは、彼自身が見事に生き方のギア・チェンジを果たしたことと、おそらく無関係ではないでしょう。彼の生き方そのものが、人々に勇気を与えている。彼にしかできないやり方で、社会に貢献しているわけです。それがそのまま彼の存在価値となり、彼自身の生きる力にはねかえってくる。がんになったことがきっかけとなって、そのようなプラスのサイクルができあがったわけです。

病院の裏側にある庭園を
散策する鎌田さん
中村さんのように、病気がいい意味で人生を変えるきっかけとなった患者さんの例は、けっして少なくないのです。しかし、そのためには「あたたかい医療」「優しい医療」が必要であることはいうまでもありません。
私はこれまでの医療活動を通じて、多くの患者さんが闘病生活の中で、孤独に悩んでいることを知りました。がん患者の方々は、世間の無理解の中で、職場や家族にも話せない思いを抱えています。主治医とうまく意思の疎通ができなかったり、心の問題を抱えこんだりして、独りで苦しんでいらっしゃる方がとても多いのです。
この連載は、次号より、がん患者の方たちとの往復書簡という形で進めてまいります。誌上で皆さんが抱えている問題や悩みなどをお聞きし、私なりの経験と蓄積をもとに考えを披露し、アドバイスさせていただくことで、微力ながら何がしかのお役に立てればと考えています。
それとともに、「本当に人を幸せにする医療とは何か」について、皆さんと一緒に考えていくことができれば幸いです。