「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第2回
がんを受容するということは、きっぱりとしたものではないだろう。
あやふやでいい、あいまいでいい、そこに本当の答えが隠れている気がします。

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近出版された『病院なんか嫌いだ―良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)も話題になっている
医療者・鎌田實さんから がん患者・松村尚美さんへの書簡
厳しい冬がやって来ました。今朝、病院へ出かけようとして車の寒暖計を見たら、氷点下11度でした。ぼくらの小さな田舎街の風物詩、寒天干しが始まりました。雪に覆われた広々とした畑に、小さな人間の姿が点在しています。寒天干しは寒くてつらい仕事。
医師の説明がぞんざいだったとご立腹の方がいて、お詫びに病室に顔を出した。頭が下がるほど、ていねいな医師が多い病院ですが、重症な患者が重なったときなどは、こういうことがあるのです。ぼくの顔を見て話が急に変わった。
「25年ほど前、夜明けの寒天づくりの小屋で職人がひとり倒れた。病院に慌てて電話したら、先生が飛んできてくれた。あれが私の工場です。あのときは助かりました。あのころ先生、若かったなあ。髪の毛もふさふさしていて……」
放っておいて欲しい。この街の人々の健康のことを考えるうちに髪の毛が減ったんだと言いたかったけど、不満のお詫びに来ているのを思い出して、軽口をたたくのはグッとこらえた。こんなときはいつもニコニコのぼくも神妙な顔をします。
「先生の若いころのフットワークのよさに免じて今回は許すか……」
お許しが出た。
そのときのことをよく覚えていた。夜明け前の一番の寒さが職場の空気を支配していた。風物詩なんて、のどかな言葉は似つかわしくないなぁと思った。絵のように美しく見える仕事の向こう側に、人には見えにくい厳しい面があることを知りました。生きるってこういうことなんだ。ぼくらにはわからないことがいっぱいあるんだと、思い知らされました。

来賓者がかならず目にする中尾彰、
吉村摩耶夫妻の共同製作による500号の
大作が病院ロビーに展示されている。
詩情性に富み、その薄塗りの筆跡は、
高原の透明感に溢れている。
患者さんはすでに息を引き取っていました。ぼくはどうしてあげることもできなかったのです。にもかかわらず、にもかかわらずです。この方は25年も前のことを覚えていて、そこに飛んで行って、立ち会うしかできなかった青年医師の行為に免じて、今回のことを許すと言う。ぼくは医療をしにいって、医療は何もしていない。感謝されるようなことは何もしていない。何かしてあげるチャンスをすでに失っていたのです。
医療というのは不思議な仕事だと思いました。そこにいることが大事なこともあるんだと思い知りました。知らなかった異郷の、こういう生活の場を一つひとつ見ることによって、脳卒中をどう減らしたらよいかとか、がんの患者さんをこの地でどう治し、どう支えていったらよいかを、考えるスタートになりました。
医療や福祉のために使われない税金
患者さんの生活の場をイメージしない医療なんて薄ぺらな医療だと、今は確信しています。多くの病院の医師は、忙しさの中で患者さんが帰っていく地域への想像力や、一緒に生活する家族への思いを失っています。
前回のお手紙でも、「なぜこんなに医者という職業は忙しいのですか」と、あなたから聞かれました。今回も「病院という組織の中で、忙しさのために思う医療ができない医療者がいて、聞きたいことも聞けない患者がいる」と言われています。悲しい日本の医療の現実です。
日本の医師は忙しい。早朝、カンファレンスから始まる。1日病院の中を走り回り、当直、そのまま翌日も検査をしたり、手術をしたり、36時間勤務なんてのもあります。週38時間労働をめざしている世の中で、週60時間以上働いている医師がザラにいるのです。
このごろ、医療にかかったときの個人負担が高くなっています。あなたも初めてのお便りの中で、負担が大変と書かれていました。しかし、日本の国民医療費は世界で20位ぐらい、先進国の中では極端に医療にお金をかけない国なのです。そのためにアメリカの病院に比べて医師の数も看護師の数も6分の1といわれています。
道路公団の改革も暗雲立ち込めていますが、今、問われているのは道路なのか命なのか。使わないダムなのか健康なのか。
GDP(国内総生産)に対する国民の総医療費は、アメリカは13パーセント、日本は7.8パーセント。アメリカの半分しか医療にお金を使っていません。国民総医療費が安いために、100人の入院患者さんに対しアメリカでは70人のところ、日本では13人ぐらいのドクター。貧弱な医療体制が患者さんと医師の両者を不幸にしています。国民の大切な税金が命を守るために使われていないのです。もうこれ以上、国民に負担を背負わすのではなく、あまり使わない道路やダムにかけるお金を、命を守るための医療や福祉に回すべきだと考えています。
すみません。話しが硬くなってしまいました。最近のこの国のあり方に対し、ぼくは怒っているのです。ごめんなさい。
日本の医療は「つながる医療」を置き去りにした
話しをもとに戻します。あなたの、雪は深いですかの問いかけに、雪はあまり深くないけれど、とにかく寒いところですと答えているうちに、寒天の話になってしまいました。
「寒くて、空気がきれい」を放っておかず、海のない信州で海草を全国から集め、全国最大の寒天の産地にした先達の知恵をすごいと思います。マイナス11度を感謝して生きている人もいることを知ると、寒くていやだなぁなんて言っていられません。

今日の午前中は山梨大学医学部の内科の教授にごあいさつに行って、この4月からホスピス病棟を勉強してもらう若い医師の赴任をお願いしてきました。午後は4人の患者さんの往診をしてきました。とてもうれしい時間です。寒い1日でしたが、最後の往診で、八ヶ岳のふもとの笹原という村へ向かう途中、夕日が白い八ヶ岳に当たり、とても美しかった。
あなたの言葉「医師としての訓練の中で人間として感受性を育てることの大切さを思いました」、その通りだと思います。ぼくは、こうやって寒天小屋で働きながら、思いもかけず亡くなった命や、寝たきり老人を寝たきりにしないために雪の村の中を走り回っているうちに、路地から突然パノラマのように広がる八ヶ岳の美しさから感性を磨かれているように思いました。たぶん大学で研究が評価されて選ばれた教授陣からは、医学生たちは感性を学んでいないのではないか。若い医師たちはあまりの忙しさのために、音楽を聞くことも小説を読むことも少ないだろうと思います。それこそ構造改革をして、余裕を医療空間につくりたいのですが、このごろの小泉さんには志を感じません。残念です。
人と人との絆の中で感性は磨かれ、人と自然のつながりの中で感性は育まれ、体と心の関係の中で感性はバランスを保たれるのだと思っています。
日本の医療は人と人、人と自然、体と心、この三つのつながりを大事にする『つながる医療』を置き去りにしてきました。進歩させるために、専門化や細分化に邁進して『切れる医療』を行ってきたため、今のように『冷たい医療』『見放す医療』になってしまいました。あなたのおっしゃる通り、「あたたかさは人から人に直に伝わるもの」だと思います。若い医師もそうやって教育していきたいと思います。苦難の中にいる患者さんとも、あたたかさを伝えたり、あたたかさをいただいたりしていきたいと思っています。
尚美さんの「あなたを支えたい」という言葉をうれしく受けとります。一方的に医療者が患者さんを支えているかのような図式ではなく、双方向に支え合いができる医療にしていきたいと思います。
「あいまいな自分」のほうが説得力がある
あなたのお便りから、たくさんのことを教えられました。*E. キューブラー・ロスの『死の瞬間』という本は、助からないがんと告知をされたとき、人は次のように心の変容をとげながら受容へたどり着くと述べています。
ショック相:まさか自分がと思う
第1相 否認:自分に助からない病気があるわけがないと否定する
第2相 怒り:そんなこと理不尽だと怒る。誠実に生きてきた自分がどうしてがんになるんだと納得できない
第3相 取り引き:祈ったり、願をかけたり、何かを代償にして、危機回避を試みる
第4相 抑うつ:自分がこの世から消えていく悲しみや、やり残したことへの悲しみで反応性のうつ状態になる
第5相 受容:体に起きているすべての事実を受け入れ、ありのままを認める
確かに、いいサポートがつけば、多くの患者さんが受容に向かいます。だからこそ知りたいと思う人にショックなく伝えることが大切だと思ってきました。知らされていなかったときのほうが、不満や不安の中に置かれていることが多い。知らされることで、否認や怒りや抑うつの時期があっても受容にたどりつくことで、感謝したり、自分らしい時間を過ごすことができると述べています。やり残した仕事を整理したり、家族へバトンタッチをするためにも、つらい告知があるのだろうと理解してきました。
でも何か腑に落ちない。図式化して心が変容していく過程が、きれいでわかりやすいのですが、あなたの「あいまいな自分」という表現のほうが、納得できるような気がします。
がんを受容するということは竹を割ったような、きっぱりとしたものではないのだろう。「行きつ戻りつ」とか「生きていたい、生き続けたいと声をあげている自分」に驚き、同時に「死もまた命の一部と言える自分」を不思議だと思う、と言うあなたの言葉のほうが真実に近いと思います。タナトロジーという死についての世界的な学者、キューブラー・ロスよりもあなたの言葉のほうが説得力がある。重いと感じました。あやふやでいい、あいまいでいい、理路整然としないところに本当の答えが隠れているような気がしてなりません。
あなたのことを少しでも支えることができたらと思って引き受けた往復書簡で、ずーっとあなたから学ばせていただいている自分に気づき始めています。あなたがおっしゃる通り、医療は患者さんと医療者のものだと思います。
この原点の上に立って、命を支えるということはどういうことか、これからも考えていこうと思っています。異質の両者がハーモニーのとれた美しいひとつの音楽を奏でるような医療をしてみたいものだと思います。すべてに感謝です。
時は冬。今、信州は白の世界。日ごとに寒さが増しますが、どうぞご自愛を。
2004年冬
鎌田實
松村尚美さま
*エリザベス・キューブラー・ロス=精神科医でありタナトロジー(死学)の研究者。死にゆく人々に面接をしてその心を探り、『死の瞬間』はベストセラーになった。
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