「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第3回

発行:2004年4月
更新:2013年9月

どうしたら隠れている「生きる力」を引き出せるのか考えてみたい

鎌田實さん

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近出版された『病院なんか嫌いだ―良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)も話題になっている

医療者・鎌田實さんから がん患者・松村尚美さんへの書簡

お手紙ありがとうございます。最初の1行目でギクッとしました。ハラハラしながら読み進み、大丈夫、元気です、というフレーズで心が落ち着きました。

「大丈夫」という言葉が大好きな女医さんがいます。ぼくが3年間、72回にわたり医師団を派遣して救援活動をしてきたベラルーシ共和国にある大きな病院の小児白血病病棟の部長、タチアナ先生です。彼女は、白血病の子供が抗がん剤治療に苦しんで泣き出すと、いつも抱きしめて「大丈夫、大丈夫。私がついている」と呪文のように言います。すると、泣いていた子供に笑顔が戻ってくるのです。

昨日、NHKの番組出演を終えて、夜中に茅野に帰ってきました。とにかく、久しぶりの休日、どんなことがあっても、東京を脱出したかった。雪の見える田舎に戻りたくて、最終の特急に飛び乗りました。

明け方に起きてコーヒーを淹れ、音楽を聴きながら、病院の書類のチェックをしました。ひと仕事終えると、朝風呂に入りたくなりました。心と体をリセットしたくなったのです。朝の苦手な妻を起こし、富士見高原にある水神の湯の朝風呂に出かけることにしました。

温泉の入り口の暖簾をくぐると、有名な書家、相田みつをさんの大きな元気な字が泳いでいます。

「つまずいたって いいじゃないか にんげんだもの」

スキー場の真ん前の温泉だから、思いやりのある言葉だと、笑ってしまった。急斜面で転んだ人を慰めてくれているんだと、勝手に思い込むことにしました。でも、脱衣場に入るまでが大変。みつをさんの字が、次から次へと壁に躍っているのです。

「くさびだから 一番大事なところにうつ くさびだから 見えないようにうつ」

うまいことを言うなあと感心しながら、ずーっと読んでいると、めまいがしそうになってきました。

「親切という名のおせっかい そおっとしておく思いやり」

うーん。おせっかいなのはアナタじゃないかと、ちょっとだけ思いました。この人の書のファンが日本中にいるのはよく��っています。こんなこと書くと「けしからん」と怒られそうです。ひとつぐらいそっと見せられたら、なるほど、なるほど、すごいと思うのでしょうけど、なにしろ壁一面なのです。脱衣場に着いたときはゲップが出ました。そこのドアを開けると、またまた、みつをさんの字が攻めてきます。

「今 ここに だれとも くらべない はだかの にんげん わたしがいる」

そうだよなあ、ここでみんな裸になるんだ。めちゃくちゃすごいユーモアなのか……。小さいけど、いい温泉なのになあ。

温泉にゆっくり浸かっていると、6兆個のぼくの細胞の一つひとつがアクビをしたり、伸びをしたり、自由気ままに転がったりしているような気がします。ぼくの免疫系が元気になってくるのがわかるのです。もう、めまいもしません。ゲップも出なくなりました。1個1個の細胞が喜んでいます。

温泉から上がり、脱衣場でセーターを首にくぐらして見上げたところで、また、さっきの書と目が合ってしまいました。

「はだかの にんげん わたしがいる」という言葉がひっかかります。

人はなぜ治るのか

近々、統合医療の世界の第一人者、アンドルー・ワイル博士が来日するそうです。2月上旬、NHKのテレビ番組『クローズアップ現代』が統合医療を採り上げるというので、私にコメンテーターとして出演するよう依頼がありました。番組への出演準備のため、昔読んだワイルの名著『人はなぜ治るのか』と『癒す心 治る力』を読み返しました。『代替医療はほんとうに有効か』という本では、アンドルー・ワイルと代替医療否定派のアーノルド・レルマン教授がディベートしています。意見を異にする2人の学者が、本気で対決するのです。アメリカという国は嫌いですけれど、こういう本があるのはすごいと感心しました。

結局、ぼくは『クローズアップ現代』の統合医療特集ではなく、それと前後した別の特集「医者が来ない~揺らぐ地域医療」の方に出演してきました。

統合医療のことをあらためて考え、免疫についても思いを広げていました。そんなこともあって、「はだかの にんげん わたしがいる」――このフレーズの中の「私」という言葉が気になったのです。

ここまで書いたところで、来客です。明日の朝は、「私」と免疫について書こうと思います。

体には自然治癒力がある

今日は3時半に起きました。朝は強いのです。高校生の頃から、朝4時に起きて、勉強したり、本を読んだり、音楽を聴いたり、何かを書きとめたりすることを続けています。自分が自分にもどれる大切な時間。交感神経をいつも緊張させて生きている日常の中で、迷走神経がぼくの体を支配する、とっておきの時間なのです。

今、朝の4時半です。トップライトから空を眺めます。今日は月も出ていないのでしょうか、外は真っ暗です。だれかが「夜明け前が一番暗い」と書いていたのを思い出しました。人工的な街明かりの夜景もステキですが、何ものも寄せつけないような本物の闇もなかなかいいものです。ひとりで真っ暗な闇の中に包み込まれていると、まるで55年前、母親のお腹の中で、ひそかに生きていたころの、胎児のころの自分に戻ったかのような錯覚を覚えます。永遠にぼくの前から消えてしまった、ぼくを生んでくれた父と母の細胞。それを一つずつもらって受精卵になり、この闇の中で分裂を繰り返し、ぼくは6兆個の細胞を持つ人間になりました。

人間には、免疫という不思議な防御システムがあります。

免疫は、体内に侵入したものが「私」でないと認識すると攻撃を加えますが、「私」であると認めると攻撃しません。私を守ってくれているのです。精神的な「私」を認識するのは脳ですが、身体的な「私」を見きわめて、守ってくれるのが免疫です。脳が「私」を決めているのではなく、免疫が自己と非自己とをジャッジしているのです。

しかし、人間の体は簡単そうでいて、実は簡単ではありません。いったん身体がバランスを崩すと、免疫は「私」を攻撃することもあります。これを「自己免疫疾患」といいます。リウマチや膠原病などがその例です。反対に、免疫が「私でないもの」を攻撃しないこともあります。その代表的な例が、お母さんの子宮の中にいる「胎児」です。胎児の細胞と母親の細胞とは、実は目に見えないところで、壮絶なドラマを繰り広げています。厳密に言えば、免疫は胎児という「自分でない細胞」が存在することを許容している。そのことによって、人類は滅亡から免れているのです。

このしくみを利用し、まるで胎児のような顔をして、隠れて成長をはじめるのが「がん細胞」です。放射線やタバコ、紫外線などで傷ついた遺伝子が、細胞分裂を促進させるタンパク質を作ったりすると、細胞のがん化が進むと言われています。人間の中にはがん遺伝子とがん抑制遺伝子があって、隠れた闘いをしています。がん細胞と闘ってくれるマクロファージやキラーT細胞、ナチュラルキラー細胞があることもわかってきました。どうしたら体の中に隠れている「生きる力」を引き出せるのか、それを考えたいと思っています。イライラしたり、働きすぎたり、ストレスを持ち続けることで交感神経が緊張すると、リンパ球が減って、がん細胞をやっつけてくれるT細胞やナチュラルキラー細胞の活性が低くなってしまう。その結果、免疫システムが機能しにくくなって、がん化が進んでしまいます。

ところが、迷走神経がきちんと働いていると、がん抑制遺伝子が働きやすくなったり、がん遺伝子が働きにくくなったりするのです。いい加減でいたり、ボーっとしていたり、ノーテンキでいることもいいことのようですよ。無理な治療や苦しい治療は、交感神経を緊張状態にしてしまいます。それゆえ、攻める医療を行っても成算のないときは、できるだけ無理をせず、支える医療で病気と共存していくのも一つの方法かと思います。すべての体には自然治癒力があることを、信じていいと思います。そして、すべての病気は心と体の相関の中にあり、体と心の間に免疫系が隠れているはずなのです。

免疫系の持つ不思議な作用

ある病院で講演を行った後、福岡空港へと向かう車の中で、若い院長と会話がはずみました。「人はなぜ治るのだろうか」

治らないはずの進行がんや再発がんが、消えたり自然退縮したりするのはなぜなのか。共通しているのは、「がんなんかで死なない」、「決してあきらめない」という強い意志です。しかし、告知されているがん患者さんの多くがそう思っているはずですし、なぜがんが消えたのか、結局のところはわからない。人間の持つ力のすごさを思うばかりですね、と2人で話し合いました。しばらくして、若い院長からこれに関連する学会報告のデータが、ぼくの元に送られてきました。

ある症例では、肝細胞がんで肺や骨に転移があり、転移性骨腫瘍の一部の細胞を採取して病理診断が行われました。その結果、肝細胞がんの骨転移が証明され、普通なら瀬戸際の命のはずなのに、肝動脈の人工的塞栓術や放射線治療によってがんが消えたというのです。転移があるので、手術はしていない。資料を見ると、すでに肝内転移や、肺、骨、リンパ腺などへの遠隔転移を起こしていた3例の肝細胞がんが自然退縮していました。

「進行がんで転移もあるのに、元気な方がいる」――人間の体にはあるんです、こういうことが。ぼくらの病院でも、3例のがんの自然退縮を経験しています。肝がんと腎がんに冒され、転移があったにもかかわらず腫瘍が消えた例。人間の体は不思議です。

でも、やっぱり稀なのですよ。6万例から10万例に1例ぐらい自然退縮がみられるといわれています。また、自然退縮ではないけれど、直腸がんで肝転移を起こした症例で、直腸と肝の合併切除を行って治癒したケースなども多数経験しています。遠くの臓器へ遠隔転移をしているということは、がん細胞が方々にバラまかれている可能性が強いのです。だから、原発巣と転移巣を切除しても、根治はあきらめざるをえないような気がするのですが、どっこい、人間の体というのはわからない。たぶん、どこかで不思議な免疫系が作動したのだと思います。とはいうものの、どうしたらこの免疫システムを作動させられるのかについては、未だにわかっていません。

人を大切に思う医師でありたい

気がつかないうちに、夜が明けています。山にも里にも雪がいっぱいですが、朝の空気が和らぎ始めているようです。春の準備が見えないところで始まっているような気がします。今日も忙しい1日が始まります。7時半からの消化器カンファランスの後、老人保健施設とドックでの診察を行い、その後、東京へ出て、最終の飛行機で長崎へ向かいます。ここでは、永井隆平和記念長崎賞の授賞式に出席し、原爆平和記念館で記念講演を行う予定です。

永井隆医師は、妻を原爆で失い、自らも白血病に蝕まれながら、2人の子供を育てた人物です。自分を愛するように人を愛することを心がけ、原爆で倒れた人々を献身的に診察しました。病に倒れた後、病床で『長崎の鐘』、『生命の河』などの作品を執筆しています。著作の一つ、『この子を残して』の中で、彼は切々とこう語っています。

「一日でも一時間でも長く生きて、この子の孤児となる時をさきに延ばさねばならぬ。一分でも一秒でも死期を遅らしていただいて、この子のさみしがる時間を縮めてやらねばならない」
「私が眠ったふりをしていると、カヤノは落ち着いて、ほほをくっつけている。ほほは段々あたたかくなった。何か人に知られたくない小さな宝物をこっそり楽しむようにカヤノは小声で、『お父さん』といった。それは私を呼んでいるのではなく、この子の小さな胸の奥におしこめられていた思いがかすかに漏れたのであった」

彼は2人の子供をこよなく愛しました。すべてを人に与え、「如己堂」と名づけた2畳の部屋で、寝たきりになっても研究を続け、たくさん文章を残しています。永井隆博士のように、己の如く人を愛することができるでしょうか。医師としての自分に課せられた、重い大きな課題だと思います。人を大切に思い続ける医師でありたいと思っています。

松村さん。「私はきっと、死ぬ瞬間まで生きること、そして元気になることを考えていようと思います」という、あなたの言葉はすごいと思います。病気は消えるかもしれないし、消えないかもしれない。たとえ病気があっても元気でいることは、あなたがおっしゃる通り、ありうることだと思う。人間には免疫という機能がどこかに隠れているはずなのですから。尚美さんの細胞に元気をあげたいと思っていながら、あまり力になれず、申し訳なく思っています。

「大丈夫、元気です」いい言葉に出会いました。この往復書簡を読んでいる、たくさんの苦難の中にいる方々に勇気を与える言葉だと思います。心から感謝です。春までもう少し。ご自愛を。

 2004年早春

鎌田實

松村尚美さま

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