「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第6回
ぼくらは40億年という命の流れの中で生きている

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に。
医療者・鎌田實さんから がん患者・松村尚美さんへの書簡
元気そうなお顔をテレビで拝見しました。少し安心しました。お疲れになったでしょう。テレビというのは、ストレスの多いメディアだと思います。いい意味でも悪い意味でも、語った以上のことが映像を通して、何かを伝えてしまう不気味なメディアだと思っています。でも、尚美さんの出演したテレビはいい番組でした。
「医療を変えていくには、患者が声をあげることが大切」
尚美さんの言う通りだと思います。
今年の1月10日の読売新聞で、5年おきに行われている医療に対する世論調査の分析を頼まれました。この10年、医療は長足の進歩を遂げたにも関わらず、国民の医療に対する満足度は回を追うごとに下がっています。本来、進歩と満足度は比例するはずなのに。実はこのギャップに、改善しないといけない糸口が隠されているような気がしてならないのです。
医療者は悪条件の中で、夢中になって救急医療や高度医療を進歩させてきました。進歩が国民のニーズだと信じてきました。ところが、医療を受ける側の思いは、少し違っていました。新しい薬や手術や医療機器に期待しつつ、同時に自分の不安な命に寄り添ってくれるような医療や、小さな疑問に丁寧に答えてくれる身近な医療を欲しているような気がします。ぼくら医師からすると、この患者さんの思いは複雑に見えたり、わがままに見えたりするのですが、ぎりぎりの命を精一杯生きている患者さんにとって、実にシンプルな当たり前の願いなのです。
世論調査では、なんと60パーセントの人々が満足していないことがわかりました。不安や不信や不満があふれていました。「生活ほっとモーニング」の中でも、尚美さんは、忙しそうに働いているお医者さんには期待していないように見えました。匙を投げているのでしょうね。
娘さんが看護大学を卒業して、看護師をされていることを知りました。きっと厳しい条件で働いていると思います。若い医師や看護師たちの献身的な努力で、この国の医療は支えられています。1年間の総医療費は約31兆円。保険制度ですから、国��負担しているのは約8兆円。国の負担は少ないのです。日本ではがんで亡くなる方が30万人を超えました。国民は気がついていませんが、国民全体にとって大きな問題なのです。
がん治療のための手術、放射線治療、化学療法などの「攻める医療」と、患者さんの心や家族に寄り添う医療や、緩和医療や在宅ホスピスケアなどの「支える医療」の両者のバランスのとれた治療ネットワークを国が1兆円程を投じて構築すれば、国民は安心できるのです。
がんの治療体制を進歩させるときでも、これ以上病気の人に負担を増強させてはいけないのです。青森県の六ヶ所村にできる、原発使用済み核燃料の再処理工場は19兆円がかかるといいます。先進国では、現実的でないという結論で撤退してしまいました。日本では、バカげた案でも一度決定してしまうと、実践されてしまう。こういうムダなお金の一部を、国民的な課題である、がん治療の充実に当てればいいのにな、と考えるのです。
尚美さんが言われる「高額な医療費のこと、仕事のこと、心を支えるシステムのこと、家族のこと、医療者とのコミニュケーション」、どれもこれも大切です。無力ですが、機会あるごとに、声をあげていくしかないと思います。同じように苦しんでいるたくさんの患者さんのために、勇気を持って声を出し続けていきましょう。
地球の誕生から生命の誕生まで
庭のヒメシャラの周りにツバメが飛び交い、やがて安らかに眠りにつく鳥は、尚美さんの心を穏やかに和らげているようですね。ぼくの家の岩次郎小屋でも、今年は三つの巣箱と二つの手づくりの巣に、コムクドリやシジュウカラの五つの命が誕生しました。キュルル、ピューイとさえずりが聞こえてきます。父鳥が餌を持って巣箱に入ると、チッピーチッピーとうれしそうな鳴き声が聞こえ、しばらく時がたって、チベチベチベと赤ちゃん鳥の甘えた声が聞こえてきます。こうやって家族ができて、命の受け渡しが行われているようです。
遠い昔、ビッグバンといわれる光の大爆発が起きました。150億年前、宇宙が始まりました。
45億年前、100億度に熱せられた宇宙の坩堝の中で地球ができました。命の物語のページは開かれたのです。水ができました。地球の重力が不思議なバランスで水を地表にとどめました。偶然だけど太陽との距離がよかった。寒すぎず、熱すぎず、ひたすら生命の誕生を待ちました。
無生物から生物が生まれるはずはないのに、ある日、生物らしいものが生まれました。40億年前、しずくのようなものに膜ができた。細胞の始まりです。
やがて細胞は代謝を行い、自己増殖ができるようになりました。本ものの生命の誕生である。原始細胞から多細胞へ複雑系の道を歩み始めました。
ある日、ある生物に性ができました。それまでぼくらの祖先は、単に複製するかたちで増殖していました。同じものが繰り返し生まれていたのです。個性は存在しませんでした。性ができて初めて二つの固体から、違う一つの個体をつくり始めました。
個性がつくられて、生物に老化や死が始まりました。こうやって時間の概念が広がっていきました。
海の中で広がった生物が上陸を始めたときは、感動的だったと思います。魚類から両生類へ、そして爬虫類へ、ぼくらの祖先は一歩一歩、階段を上っていきました。鳥類などの脊椎動物から、哺乳類が生まれました。ぼくの家の庭で誕生したコムクドリの雛も庭で飛び跳ねる青ガエルも、ぼくと似ているDNAを持っています。
人間の故郷は海の中にあった
今から35年前、医学生だったころ、発生学という講義を受けました。名物授業でした。このあとこの医学博士は芸大の教授になられました。太古の海に誕生した生命の進化の悠久の流れを医者のたまご達に示してくれました。
人間の受胎32日目の胎児は、古代魚類の顔をしていました。陸に上がるかどうか悩んでいる顔でした。受胎34日目には、両生類の面影になりました。原始爬虫類の顔を通って、ぼくらは間違いなく哺乳類へ激しく変身したことを教えられました。亀さんや鳥さんの面影が残っている仲間がときどきいます。
生命の記憶が、ぼくら一人ひとりの体の中にたたき込まれていることを知りました。

母親のおなかにいるとき、ぼくらは海に似ている羊水に守られ、ぼくを構成している細胞の一つひとつの成分の中にも、海に似た成分を取り込んでいます。十月十日、母親の子宮の壁を通して、血潮のざわめきを聞きながら、ぼくらは人間になっていくのでした。ぼくらは海を見て何かを感じる。40億年前、何かの偶然で、この地球の波うち際で生命が生まれ、その小さな命が進化して何10億年もかけて人間がつくられてきました。人間の故郷は海の中だったのです。
あるとき哺乳類は立って歩き始めました。徐々に脳が大きくなっていきました。700万年前、アフリカのサバンナの中でついに人類が生まれました。乾燥気候の中で、妊娠期間が短くなっていきました。母親と子どもが一緒に過ごす時間が長くなると、相互の思いが重くなっていきました。愛の意識が生まれました。ぼくたちには、ビッグバンという偶然から150億年もかけて自分でない他者を愛することを知りました。
人類は家族をつくり言葉をつくり宗教をつくり、地球上に広がりながら、よりよい生活をめざしてきました。人類の起源をたどっても生命の起源をたどっても、一つにたどり着きます。ぼくたちの命は、すべての生き物と命を共有していました。そして40億年もの命の流れにつながっていました。
何千万年か前、ぼくらの祖先は、ぼくの家の庭を飛び回っている鳥の仲間だったり、何億年か前には、海の中のプランクトンの仲間だったときがあるのだと思います。尚美さんやぼくの家の庭で鳴く鳥たちから、想像力が大空いっぱいに羽ばたいてしまいました。
尚美さんの中に生きる力を感じます
生き物の大いなる掟に沿って、下り坂を生きていこうと思っています。東京生まれ、東京育ちのぼくが、東京の大学病院から離れるとき、みんなから「都落ちしてはいけない」と注意をされました。
下野してがんばらないで生きていくはずが、がんばって生きてしまいました。
先月、出版した大人のための絵本『雪とパイナップル』というへんてこな題は、サンセット・モームの『月と六ペンス』を意識しているのです。主人公のゴーギャンがヨーロッパの文明社会からタヒチへ意識してドロップアウトする生き方にあこがれてきました。
物語をつくるとき、本の題名は、二つのつながらないものを並列しようと決めていました。ゴーギャンはすべてを失うことを覚悟していましたが、失ったものは何もありませんでした。
ぼくも都落ちしても、何も失いませんでした。今回もあえて早めに下り坂を選びました。どんなふうに生きても、しょせん40億年という命の悠久の流れのひとコマ。下り坂を丁寧に生きていきましょう。
乳がんは一筋縄ではいきません。完治しそうだったのに10年もたって再発したり、再発してもうダメかと思っていたら、ずーっと生き続けたり、わからないことの多いがんです。結局、先のことは、統計的な予測に過ぎないのです。本当のことはわかりません。余命告知なんて、ふざけるな。勝手に言わせておけばいい。先のことはわからない。ケセラセラです。
尚美さんの中に、生きる力を感じています。あなたは簡単に負けませんよ。確かに尚美さんもぼくも、限りある命の、下り坂を生きていることは間違いないでしょうが、先のことはわからないのです。夏の暑さの中で、がんばらなくていいけれど、あきらめないで、お互いに丁寧に精一杯生きていきていきましょう。
お互いの健闘を祈りたいと思います。
2004年夏
鎌田實
松村尚美さま
同じカテゴリーの最新記事
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者のこころの往復書簡 金子淑江さん編 第3回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者のこころの往復書簡 金子淑江さん編 第2回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者のこころの往復書簡 金子淑江さん編 第1回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 鎌田實から松村尚美さんへの最後の書簡
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第9回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第8回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第7回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第6回
- 「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第5回