「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第7回

発行:2004年12月
更新:2013年9月

若い医師に患者さんの話を聴き、心と向きあう技術を教えたい

鎌田實さん

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に

医療者・鎌田實さんから がん患者・松村尚美さんへの書簡

ご無沙汰しています。お手紙ありがとうございました。「まるで押し寄せてくるかのような濃い緑に、元気のない私は少しだけ疲れています」と言うあなたの言葉に釘付けになり、いつまでたってもお返事の書き出しの一行が始まりませんでした。

大変だろうと思います。吐き気も、次々襲ってくる痛みも、転移した皮膚のところからの血性を伴った滲出液も……。今のあなたを支えている医師たちが、丁寧に精一杯治療をしているはずで、僕らが出る幕ではないのは重々わかっています。でも、もしあなたが近くにいたら、痛みや吐き気を何とかしてあげられるのではないかと、なんの根拠もないのですが、つい思ってしまいます。とはいえ東京と信州の距離を考えると、なんとも暗澹たる気持ちに包まれてしまいます。

尚美さんの言われるとおり、痛みを止めることも、吐き気を止めることも、滲出液を少なくすることも、そして患者の心を支えることも技術なのだと思います。残念なことですが、いい医療が、あるいは患者さんの望む医療が日本全体に広がることは難しいことです。しかし尚美さんの主張どおり、医師が患者と向き合おうとする心も技術と考えるようになれば、患者のための医療が広がっていく可能性はあるはずです。

「治療の期待ができなくなった最後のときに、患者のそばに来なくなる、身を翻す『誠実な医師』」は、確かに正直な医師だと思いますが、やはり、そんな医者の存在は許したくないように思います。

技術に裏打ちされた高度医療や救急医療のことを、ぼくは「攻める医療」と表現してきました。一方、在宅医療や緩和ケアは「守る医療、支える医療」と表現しました。大きな医療のあり方を考えるときだけでなく、すべての医師たちの医療姿勢の中に、この技術と技術を超えた「支える」という医療が必要ではないかと考えてきました。とくにがんの先端医療をやられているドクターに、この支える心を期待しています。

命を救うため���、90数パーセントは技術に裏打ちされた医療が必要だと思います。でも数パーセントは技術を超えた支える医療が必要ではないかと、ぼくは思っています。この国の医療は攻める医療ばかりに力を入れ、守る医療を忘れています。

治ろうとしている細胞に呼びかける医療を

ノーマン・カズンズの『笑いと治癒力』という本があります。彼は強直性脊椎炎という原因不明の膠原病になりましたが、ビタミンC以外の薬をできるだけ使いませんでした。とくに膠原病の特効薬である副腎皮質ホルモンを使わず、その代わりにコメディのビデオをたくさん見て、毎日大笑いをしました。不思議なことに、彼の病気は自然に治っていきました。

カズンズはその本の中で、ある実験を紹介しています。患部から出血しているがん患者さんたちを二組に分け、一組の患者さんには、症状が軽くなることが確実な新薬が開発されたので、その薬を使うと医師が丁寧に説明しました。それに対してもう一つの患者さんの組には、まだ効果不明の新薬を試験的に使うと看護師が告げました。その結果、一組目の患者さんの70パーセントは明らかにがんの症状が軽快しましたが、二組目の患者さんは25パーセントしか同じ効果が得られませんでした。

これはプラシーボ効果による違いです。プラシーボとはラテン語で、「私は喜ぶだろう」という意味の言葉から始まったと言われています。効くはずのない偽薬でも、効くと思って飲むことによって、多くの研究で35パーセントぐらいの効果を示すといわれています。そのため新しい薬が薬として認可されるためには、プラシーボの薬と比較して、たとえばプラシーボの薬が35パーセントの効果を示したとすれば、新薬は50、60パーセントぐらいの格段の効果を示さない限り認められないと言われています。

カズンズは、このプラシーボ効果を単なる暗示や想像力と考えて放置せずに、もっと積極的に利用したほうがいいと考えました。ここが尚美さんの言う技術と重なり合うところだと思います。どの患者さんも、自分の病気を治そうとする細胞を自らの体の中に秘めている。これは間違いのないことだと思います。しかし患者さんたちはその事実に気がついていません。そして多くの医師たちも自らの手術や放射線治療や、抗がん剤の組み合わせによってでしか、がんを治すことができないのではないかと考えています。

攻める医療は病気を治していく上で大切です。しかしぼくは、自らの中に内在している治ろうとする細胞に、呼びかける医療というものがあっていいのではないかと思います。それぞれの体の中に潜んでいる治ろうとする細胞に呼びかけることが、今の医療には必要だと思うのです。

笑いやユーモアを大切にしたい

NHKラジオの『鎌田實いのちの対話』の企画で、命とユーモアをテーマに永六輔さんと話をしました。永さんが『無名人語録』の中で書かれている「やぶ医者でもいいから、ぞくぞくするいい男の医者がいないかしらねえ。だって医者には、身も心もささげるのよ」という話には笑っちゃいました。そのとおりだと思いました。

「役者か芸者に相当する魅力を持つ医者は名医です」。患者さんに希望を持ってもらえば、免疫細胞の一つであるNK細胞が増えることがわかっています。どんなときでも「希望」を持ってもらえるように、ときには医師は演じる必要があるのかもしれません。プラシーボ効果を上手に利用するためには、医師と患者の間に信頼が必要だと言われています。そのために医師の行動の中に、数パーセントだけでも演じるという側面が要求されているのかもしれません。これもあなたの言う技術なのではないかと考えました。医師にとって芸者のような一面を持ち合わせるというのは、どういうことを言っているのか考えてみました。

芸者さんは芸を見せることよりも、お客さんを大切にし、言葉を上手に引き出し受け止めてあげることが売れっ子になる条件ではないかと思います。ここはまさに、尚美さんの言われる患者さんの言葉に耳を傾ける医師にとって必要な技術と相通じるのではないかと思いました。

カズンズだけでなく、『人はなぜ治るのか』というベストセラーを書いたアンドルー・ワイルも、笑いやユーモアを大切にしているようです。生きていると悲しいことも苦しいことも、つらいこともたくさんあります。ピンチのとき苦難のとき、いやなことがあったとき、気の利いたユーモアは、その場の空気を変え、心に勇気を与えてくれます。うれしいとき、楽しいとき、晴れがましいときのユーモアは、人と分かち合うことができます。だからうれしさが何倍にも広がります。言いにくいことでもユーモアにくるんで言うと、相手の心を揺さぶることができます。

ぼくが青年医師のころ、白血病のおじいちゃんを看取りました。おばあちゃんだけには、おじいちゃんの病名を伝えず、貧血とうそをついていました。その後、ぼくはおばあちゃんと仲良しになりました。おじいちゃんが亡くなってからも、ぼくは1年に1回おばあちゃんの得意のいも汁を食べに、おばあちゃんの家に呼ばれて行きました。何年もたっておばあちゃんがポツリと言いました。

「先生、何で本当のこと言わなかった?」

いも汁がのどにつかえそうになったのを覚えています。

「先生が親切で、最後だからと思って、じいちゃんを外泊させてくれたときも、私は本当のことを知らなかったから、おじいちゃんを一人ぼっちで寝かせてしまった。知っていたらおじいちゃんのふとんに潜り込んで、一緒に昔話をしてあげたかったのに」

ぼくは反省しました。そうだ、と思いました。

それ以来、ぼくはできるだけ本当の話をショックなく伝えるように心がけています。おばあちゃんの教えを大切にしています。

30年近く前の青年医師のぼくは、おばあちゃんの心だけでなく、白血病のおじいちゃんの心を十分に支えたとは思えません。尚美さんの言われる「技術」が磨かれていませんでした。反省しています。これから、尚美さんの言われるような、痛みを受け止め患者さんの心と向き合う技術を、若い医師たちにどう教えるか考えてみたいと思います。

「痛みやつらさを抱え、まあるくなって体と心を抱え込んで、眠りたくなる」というあなたの言葉に一人の患者さんを思い出しました。白血病と闘っていた50歳の森野ゆりさんの短歌がすごいのです。彼女もこんな心を歌っています。

「はかない命を そっと抱き込む 命にいい一日」

彼女の人を笑わせ、自分も笑わせる能力はすば抜けていました。

「人の血小板いただき アレルギー発疹 けしからん体質だ」

副作用をユーモアではねのけていすます。

「全快をと 次々届く励まし 不安が潜む胸を アイヨと叩く」

こころの不安をユーモアでけっとばしています。

「久しく聞かない 夫のせりふを 娘が横取り『今夜は一緒に寝よう』」

小さな笑いがこぼれ、小さな物悲しさが広がります。人間の心の奥のほうにある、異性への思いがなんとも言えないユーモアに包まれて、玉川村のおばあちゃんも、ゆりさんの命も、なんとも言えずすがすがしく、さわやかで素敵です。人間ってすごいと思いました。命の瀬戸際にいるときも、前を向いて生きることができるのです。

ユーモアに包まれた二人の言葉の向こう側に、何かとても大切なものが、いっぱい隠れているような気がしてなりません。

二人の父とつながっている

今ぼくは、青森にいます。今日、下北半島の恐山で二人の父の魂と会いました。イタコが亡くなった人の魂に代わり、口寄せという技術で語ってくれます。尚美さん流に言えば、実にすぐれた技術だと感じました。


イタコの中村スワさんは86歳、おだやかな
優しい口寄せでした。育ての父、岩次郎さん
はとても恐い人でしたが、久しぶりに会った
父は「極楽にいるぞ。幸せだ、幸せだ。
よく来てくれた。よく忘れなかった」と
何回も言いました。まるで父がいるようでした

たくさんのイタコがいました。ぼくは一番高齢者で、一番おだやかな顔をした中村スワさんというイタコにお願いをしました。86歳と言っていました。「よく忘れずに遠くまで来てくれた。うれしい。ありがとう、ありがとう」と繰り返します。何も覚えていない生みの親です。1歳のときに別れてから会っていないはずです。初めに生んでくれた父が降りて来てくれました。ぼくの頭の中にはずっと、父は一人でした。育ててくれた岩次郎のことでいっぱいでした。生んでくれた父のことを考えることはほとんどありませんでした。でも「ずっとおまえのことを見守っていたよ」と生みの父親の言葉をイタコの口上で聞かされたとき、ああきっとそうだろうな、と思いました。岩次郎は昔の口調で「極楽にいるから心配するな、幸せ、幸せ」と語ってくれました。二人の父と、どこかでつながっていると実感することができました。

よく考えてみれば、これは簡単なことです。でもとても大切なことでした。ぼくには二人の父が必要だったのでしょう。どんな小さな出来事にも一つひとつ意味があると言われています。ぼくに二人の父がいたという事実は、それなりの意味があったのだと思います。そしてぼくはこうやって生きてきたのだと思いました。

本州最北の地、下北半島の恐山では、すでに紅葉が始まっていました。尚美さんの言われるとおり、人の話を聞くというのは、とても大切な行為です。ぼくは『病院なんか嫌いだ』(集英社)という本の中でいい医者の十箇条というのを書きました。十箇条の一番初めに、話を聞いてくれる医師というのをあげています。医師にとって最も大切な仕事だと思っているからです。

これからも聞くことの大切さを自分自身に言い聞かせ、若い医師や看護師たちにも話し続けていきたいと思います。

イラクの子どもたちを助けたい

ご心配をおかけしました。イラクのドクターたちと話し、無事に帰って来ました。

イラクの白血病の子どもや先天性異常疾患の子どもが、1991年の湾岸戦争の前より7倍ぐらいに増えていました。劣化ウラン弾のためかもしれないとイラクのドクターたちは心配していました。若いお母さんたちが、子どもを生むことを不安に思っているそうです。

戦争があれば、まず子どもたちの命が失われていきます。そして女性たち、年寄りたち、弱い人たちの命が失われていきます。「薬がないために、助かるはずの子どもが死んでいく。医師として耐えられません。世界中の国から支援してもらえるのを待っていたのに、だれも助けてくれません。助けてください、子どもの命は待ってくれません」とドクターから言われました。

ぼくらはイラクの白血病の子どもたちを助ける活動を始めました。10月末には、約4500万円分の医療機器と医薬品をバクダットにある二つの小児病院に送る予定です。第2陣は12月、そして来年2月には、子どもの白血病治療のために最も必要な輸血ができる機械を持って、ぼく自身が再びイラクへ入りたいと思っています。

ぼくらが始めた小さな支援は、間違いなく何10人かの子どもたちの命を救うことでしょう。薬が届くことでドクターたちに勇気が生まれ、このニュースが口コミで伝わることによって、イラクに広がる、うらみと暴力の連鎖を断ち切ることができればと期待しています。言葉の違いや宗教の違いを乗り越えて、お互いが理解しあうためには、医療者と患者さんが理解し合うために、尚美さんが言われる患者さんの声に耳を傾けることがヒントになるかもしれないと今、思っています。日本から送られた薬が平和への歯車を少しだけでも回せたらと願っています。『命の対話』(集英社)という新しい本ができましたのでお送りします。お目通しいただければ幸せです。

静かで穏やかな秋が尚美さんの状態を少しでもいい方向へ向かわせることを祈っています。

 2004年秋

鎌田實

松村尚美さま

イラク支援振込口座
郵便振替口座 00520-0-81078
加入者名 JCF/イラク支援

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