「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第8回

発行:2005年2月
更新:2013年9月

どうしたら隠れている「生きる力」を引き出せるのか考えてみたい

鎌田實さん

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に

医療者・鎌田實さんから がん患者・松村尚美さんへの書簡

美しい紅葉は、急ぎ足で過ぎて行きました。八ヶ岳に初雪が降りました。山波の木々はすべての葉を落とし、「山眠る」という言葉がぴったりの景色になっています。厳しい冬がぼくらの小さな田舎町に始まっています。山笑う春も、山滴る夏も、それなりの魅力があるのですが、ぼくは山眠る冬が好きです。

木の葉の1枚1枚の陰から、尚美さんが葉のいのちを深く感じ、健康に恵まれていたころよりも光と影をよく感じる……そうだろうな、と思います。

尚美さんの木の葉を見つめる視点から、2つの物語を思い出しました。1つは『葉っぱのフレディ いのちの旅』(レオ・バスカーリア著)。これは春に生まれたフレディという葉っぱが、冬になると枯れて死んでしまうけれど、枯れ葉は土にもどり、木を育てるという、いのちの循環の写真絵本です。いのちがバトンタッチされていくことをうたっていて、とてもいい話だと思いますが、実はぼくはこの作品があまり好きではありません。写真もあまり美しくありません。この絵本は何かとても教訓的なのです。いのちの有限性や再生や輪廻をむりやり押しつけられているような感じがするのです。ベストセラーになって大騒ぎになっているとき、こんな安っぽい話で、子どもの心を揺さぶれるのかなあと不思議に思っていました。

それよりは、オー・ヘンリーの『最後の一葉』という作品が好きです。死を前にした病人が自分の部屋の窓から見える木の葉を数える。1枚、また1枚と葉は木枯らしの中に落ちていきます。あの葉が全部落ちたとき、自分のいのちも消えると病人は思い込んでしまう。ところが1枚だけ不思議に葉が残るのです。今日落ちるだろう、今日落ちるだろうと、病人は自分の窓から1枚の葉を見ます。でもどんなに大風が吹いても葉は残り続けるのです。そして彼は1歩ずつ峠を越し、回復していきました。

最後の一葉は希望そのものでした。人間は苦難の中で生きるとき、必ず希望が必要になります。夢や希望は間違いなく、免疫力につながっているのです。オー・ヘンリーはみごとな短編でそのことを表現しました。体と心はつながっていて、体に重い病気があっても、心によい刺激を与え���ことによって体を支えることができることを示してくれました。

ぼくは絵本が好きです。なかでも『百万回生きたねこ』(佐野洋子著)は、『葉っぱのフレディ』のように無理矢理さとされることがなく、楽しい作品です。前回お手紙に書いたノーマン・カズンズの『笑いと治癒力』のように、笑うことが大切なのです。主人公のねこは、あまりにドジで、ついねこの死を笑ってしまいます。それでもねこはまた生き返ります。まるで無限に生き続けるように、ねこは何度も何度も生き返ります。笑ってしまうほどのドジと、常に生き返ってくるこのしたたかさが好きです。何があってもいいじゃないか、どんな失敗をしてもいいじゃないか、このふてぶてしさがとてもいいのです。

体と心と生き方はつながっている

人気映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公の少年役マイケル・J・フォックスが、30歳で若年性のパーキンソン病になりました。絶望の中に陥ります。酒におぼれもしました。そして彼は気がつくのです。「怖いのはみんな一緒。勇気とは怖がらないことではなく、怖がりながら前へ進むことだ」と。とても暗示的な言葉だと思います。彼は病気になったことで、お金や知名度で幸福を左右されることはなくなったと述べています。「今は自分の残りの人生がはっきり見渡せる。いちばん大事なことは、自分で納得できる充実した人生を送ること。病気にならなければ、これほど深く豊かな気持ちになることはなかったでしょう」と。

彼は自分のことを幸運な男と言い、『ラッキーマン』というタイトルの本を書きました。病気になる前、彼は次々にヒット映画に出演し、自信にあふれ、幸せで成功しているように見えましたが、内心では自分に自信が持てず、バランスを欠いていました。パーキンソン病になり、手は震えるけれど内面は豊かになり、そのチャンスを与えてくれた病を贈り物と考えたのです。

もちろん彼は若年性のパーキンソン病になって、自分の運命を呪ったでしょう。でも、その運命を変えることができないとわかったとき、彼は彼の運命を引き受けたのだと思います。自分の前に広げられた苦難そのものを、彼は意味のある人生と考えたのです。その病気と真正面から向き合ったときに、家族の大切さや人生の大切さに気がついていったのではないかと思います。

哲学者キルケゴールは『死に至る病』という本の中で、死は不治の病によることではなく、絶望が魂を死に至らせると言っています。日本でがんの自然退縮について、先駆的な仕事をしたといわれている九州大学医学部診療内科教授の池見酉次郎先生は、心と体、社会的環境と実存(生きることの意味)の4つが微妙に病気と関係していると言っています。またイギリスのがん専門医ティム・オリバー先生は、73人の腎臓がん患者に対し治療をしなかったところ、3人ががん細胞が消失する完全實解を、2人が部分的にがんが消失する部分實解を果たしたと報告しています。心に働きかけることによって、がんに大きな影響を与えるということが多くの研究者から声が上がり始めました。絶望を回避し、生きることの意味にめざめ、心によい刺激を与えていくことが、がんの治療に必要なのです。

いかにいい時間を長く保てるかが大切

いずれやってくるときのために、尚美さんは緩和ケア病棟の外来を見てまわられたとか。ぼくはがんの進行を徹底的に防ごうとする攻める医療と緩和ケアの間に、もう一つ大事な時期があるような気がするのです。日本の医療はこの部分が弱いのではいなかと、常に思っていました。乳がんは手術以外にも、化学療法などがよく効きますので、緩和ケアに早くたどり着くのではなく、いい時間をどう長く保てるか、ここが大切のような気がします。皮膚への転移があるためにその処置も大変で、洗濯の問題や、そのにおいがご主人に迷惑をかけるのではないかといった、一つひとつの具体的な問題の重さを考えると、いい時期を長く過ごすことは簡単ではないこともわかりますが……。

ぼくの病院で診ている乳がんの患者さんで、頸部のリンパ腺の腫瘍が大きく、皮膚にも転移が広がり、余命数カ月といわれていた方がいます。ところが積極的な化学療法が効を奏して、皮膚がんの分泌液も非常に少なくなり、もうかれこれ2年近く快適な時間を過ごしています。心の準備のために緩和ケア病棟を確認しておくことはとても大切だと思いますが、尚美さんはまだまだきちんとした治療を必要としている段階のように思います。

パソコンに向かっているときに、急に息苦しくなったと書かれていました。おそらく脳内物質の中のノルアドレナリンが分泌され、動悸や不安感が起きてきて、いてもたってもいられない状況になったのだと思います。ぼくも今までに何回か、大きな悩みごとを抱えているときに、軽いパニック障害のようなものに襲われたことがありました。人間の体というのはそういうふうにできているのだと思います。

ぼくは重い問題を抱え込んだとき、しばらくの間、精神安定剤を飲むことがあります。実によく効きます。尚美さんは「自力回復ですね」と主治医に言われるくらい、薬なしで精神的なパニック状態を自力で脱出したようですが、あまり薬を我慢しなくてもいいと思います。軽い精神安定剤を使ったからといって、将来ずっと薬が必要になるというわけではありません。つらいときには、いただいた薬を少し試して飲んでみるといいと思います。少しラクになるはずです。気持ちが楽になると体を動かすこともできます。上手に薬を使って、心を通して体を楽にしてあげ、少しでもクオリティ・オブ・ライフのいい状態をつくることが大切かと思います。

「がんばらなくてもいい。つらいんだと泣きました」と書かれています。その通りです。がんばらなくていいのです。自分の思いをその通り受け止めていけばいいのです。運命を変えることができるのなら、ときには変える努力をします。変えることができないとわかったときには、それを引き受けること。そうすることで気持ちが楽になっていくことがあります。

ノルアドレナリンとセロトニンの働き

ノルアドレナリンというホルモンは、気持ちを集中させたり、闘ったり、課題を乗り越えたりするときに働いてくれる大切な脳内ホルモンです。

しかしこれが多く出過ぎると、ときには抑えきれない怒りになったり、きれてしまったり、あるいは何かに怯え、フリーズといって体も心も凍ってしまうことがあります。

ほどほどのノルアドレナリンが出ていて、セロトニンという幸せ感や癒しと関係する脳内ホルモンが少し出ていると、副交感神経が刺激されて、リンパ球が増え、免疫機能が上昇すると言われています。急に息苦しくなったりするのは、恐らくノルアドレナリンが分泌されたためと思われますが、そういうことが起こるということは、実はまだ闘う準備が十分にあるということです。捨てたものではありません。がんばらなくてもいいのですが、あきらめずにがんに少し静かにしていてもらって、できるだけほっとするいい時間を1日のうちに多くとりたいものです。

セロトニンは幸せ感にかかわる物質です。女性が赤ちゃんを出産するとき、セロトニンとセロトニンに刺激されて出るエンドルフィンという脳内物質がお産の痛みをやわらげると言われています。がんばろうとするとき、ノルアドレナリンが出てきます。がんばらなくていいと思ったときに、セロトニンが分泌されてきます。

出産後はその赤ちゃんのにおいもまた、母親にセロトニンを分泌させると言います。そしてお母さんのお乳のにおいも、赤ちゃんのセロトニンを分泌させるそうです。恋愛をしたときも、セロトニンは関係すると言われています。人生のいろいろな場面で、セロトニンが関係していると言われているのです。

セロトニンの分泌が不十分だと、赤ちゃんをいとおしく感じ、穏やかな愛をそそぐことが難しくなります。生まれた赤ちゃんが成長していくうえで、幸福感や安定感を感じにくい人間になってしまう可能性が強くなります。

この国の危機が叫ばれています。教育の危機、環境の危機、でも本当に一番この国で大変なことが起きているのは、多くの人々にとって、生きる意味が見えなくなってきていることではないかと思っています。

次号では、病気と闘うために、生きる意味とは何かについて、ぼくのとても尊敬している心療内科の医師を招いて対談をしてみたいと思っています。

苦難の中で俳句を詠んだ小林一茶

ぼくは小林一茶が好きです。

「やせ蛙 負けるな一茶これにあり」

「やれうつな ハエが手をする 足をする」

楽しい俳句をたくさん作りました。しかし一茶の人生は、苦難の連続でした。3歳のときお母さんが亡くなり、新しいお母さんが来ましたがうまくいきません。

「我と来て 遊べや親のない雀」

一茶が詠んだ虫や鳥や動物の楽しい俳句の一つと思っていたのですが、実は一茶の悲しい心を示していたということに、後で気がつきました。一茶は父が死んだ後も、継母や弟と財産分けのことで争うことになりました。苦労の連続でした。
51歳のとき、遺産相続の争いが終わり、その年若いお嫁さんをもらいました。一茶が幸せなときです。長男、長女が生まれました。嬉しかったと思います。

しかし一茶がかわいがっていた娘は400日のいのちでした。

「めでたさも 中ぐらいなり おらが春」

どうすることもできない思いをぶつけています。人生最大の悲しみの中で、新しい春を「めでたさも中ぐらい」といっている一茶にすごさを感じます。一茶は運命を変えられないとするならば、運命を受け入れようと思ったのでしょうか。悲しみにあふれている冬もいつかは終わり、春がやってくる。そこに救いを求めていたのかもしれません。おらが春という俳句は、何かとても大切なものを示しているように思えてなりません。

 さらに不幸が続きます。生まれた次男、三男も亡くなり、妻のおきくさんも結婚して10年足らずで亡くなりました。やがて一茶は脳卒中で倒れました。一茶の住んでいた家は、信州柏原村の大火で丸焼けになります。そのときの作品が

「焼け土の ほかりほかりや 蚤騒ぐ」

なんともすごい男だなと思います。家族が亡くなり、家が焼け、そして自分は脳卒中で動けなくなっている中で俳句を詠んでいます。この俳句がすごいのです。

「ともかくも あなた任せの 年の暮れ」

自分の苦しみや苦難を冬空にポンと投げ出して、あとはどうにかなるよ、と一茶は思ったのでしょうか。焼け残った土蔵の中で一茶は生活をし、65歳で亡くなっていきました。

「雪解けて 村いっぱいの 子どもかな」

苦難の生活をしていても、いつか雪が溶け、春が来て、またそこにたくさんの子どもたちが遊びまわる世界が必ず築かれていくと思います。こうやっていのちのバトンタッチをしていくのだと一茶はやさしく語りかけてくれています。『葉っぱのフレディ』に比べてオー・ヘンリも小林一茶も上手だな、と思います。

尚美さんの手紙の最後の言葉に心が痛みました。「私はいつもぎりぎりのところに立っている。だれかに手を差し伸べることもできない。何もできない」。でもあなたは、たいしたことをしています。がんに負けないように必死に生きて、かたずを飲みながらこの往復書簡を読んでいる読者の方がいるはずです。尚美さんの書かれた1行1行が、きっとたくさんの読者の役に立っていることと思います。尚美さんが丁寧に生きていることを感じた読者の方は、勇気を持つでしょう。尚美さんが正直に心の揺れを表しているのを読んで、読者の方は自分の姿にすり合わせをしているはずです。そして自分の心が揺れているときも、ああこれでいいのだと、思えるヒントになっているのではないかと思います。

いい春の訪れを祈っています

いよいよ寒くなってきました。ぼくらの病院の唐松のすべてが、葉を落とし、八ヶ岳は雪で覆われ、朝病院へ出かけるときには、マイナス5度を記録するようになってきました。

ぼくが今一番気に入っている絵本を2冊尚美さんにクリスマスプレゼントとしてお贈りしました。『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし著)という、なんともほのぼのとした絵本です。『百万回生きたねこ』はぼくが繰り返し読んでいる絵本です。この2冊は何回読んでもニヤッとして、ほっとして、じーんときてしまいます。

昨年新潟中越地震が起きました。ぼくらの病院からもすぐに十日町市へ医師や看護師を派遣しました。たくさんの人たちが悲しみや不安の中で年を越すのだと思います。新潟の中越地震の被災者もイラクの子どもたちも、チェルノブイリの放射能の汚染地帯の子どもたちも、今は苦難の時期です。ともかくも、あなた任せの年の暮れ。なんとかなるさ。必ずなんとかなるのです。ときは巡っていきます。冬来たりなば春遠からじです。いつか必ず春が訪れるはずと信じています。

尚美さんのもとにいい春が来ることを祈っています。春は必ず来ます。信じています。

鎌田實

松村尚美���ま

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