「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 鎌田實から松村尚美さんへの最後の書簡

発行:2005年6月
更新:2013年9月

心のケアをするのも技術

彼女と往復書簡をするきっかけになったのは、『がん難民』という言葉でした。再発したがんの患者さんで行き場がない人たちがいる、日本の医療はどんどん冷たくなっている。そんな言葉があるのかとおどろきました。悲しい言葉でした。

その中で彼女は毅然と何かを変えたい、そう思っていました。がんが再発しても、当たり前の生活が何でできないのかと考えていました。

皮膚へ転移してそこから滲出液が出て、その滲出液の処置の仕方、徐々に痛みが強まっているときにその痛みをどう止めるか、そういう状況のときに、尚美さんは僕に、「先生、技術ですよ。傷を治すことも痛みを取ることも、そして鎌田先生が言おうとしている患者さんとのコミュニケーション、患者さんの心をとらえる、それも全部技術です」と言いました。

僕がいつも『がんばらない』『あきらめない』という本の中で心を大事にするということを言っている医者だということをよく理解した上で彼女はわざわざ「技術」と言った。目から鱗でした。若い医学生たちを教育していく上で、患者さんの心に寄り添うとか、患者さんに寄り添うと言うこと、ある意味あやふやでわかりにくいそれらのことを、彼女はそれだって技術なんだと言いたかったのです。技術だとくくってしまえば、それはたくさんの若い医師たちに教えることができるはず。そしていつか、日本の医療が変わっていくんだ、ということを彼女はたぶん言いたかったんじゃないかと思います。

彼女は全てを悟っていた

「がんが再発しても私は生きています。私は支えられるだけの存在でなく、支えることもできています」

そう言って尚美さんは、限りある命を生きながら、僕のことを心配してくれました。僕がヨルダンへ行くときには「気を付けて」。僕は彼女の役に立ちたいと思っていたのに、彼女から「僕の生きている時間の過ごし方は異常だ」とか、「もっと自分を大切にしなくちゃいけない」とか、ずいぶんたくさんのことを尚美さんから教えられました。

いつも大事なものがちゃんと見えている人でした。

最後に彼女の美しい文章をご紹介します。僕がこれからだと思い込んでいるとき、彼女はすべてを悟っている、彼女の最後の往復書簡です。実際は12月の末くらいに書かれた手紙だと思いますが、彼女の心の在り方を表している部分が、毅然としていて素晴らしい文章です。

八ヶ岳の美しい紅葉は終わってしまったのですね。

我が家の庭にはまだ少し紅葉が残っています。そっと指先で触れてもう少しと願っていますが、やがて散っていきます。もずがたくさんやってきました。庭の残った実を食べにやってくるのでしょう。雪と紅葉と実ともずと賑やかな冬景色です。

鎌田さんが好きだと書かれていた「山眠る冬」。そこにどんな景色が広がっているのでしょう。葉が落ちて、雪をかぶって厳しい冬の山が静かにそこにあるのでしょうか。生き物の気配はありま���んか。冷たい氷のような水と、葉を落とした枯れ木のような木が眠っているようにそこにあるのでしょうか。何度も思い描いています。遠くから見るとはっとするほど美しい山々でしょう。音の無い静かな山々でしょうか。「山笑う春」は春の山桜やツツジかしら、きっと花できれいなことでしょう。そう新緑も、「山滴る夏」は濃い緑にすっかり覆われているのでしょうか。

想像ができなくなりました。どんな様子をしているのでしょう。季節ごとの山々、野原、田んぼ。私の小さな庭と暮らしているとあまり季節の変化はありません。同じ季節が少し姿を変えていきます。それでも季節ごとに花や木が変わるようにと種類を変え、大切に選びながら庭木を植えていったのですが。大きな、大きな、自然を思います。大きな自然の中で生まれて死んでいく。あの2つの絵本と共通することがありますね。

いつかお会いできる日を夢に思っています。

お元気でお過ごしください。

松村尚美

鎌田實様

尚美さんは、風景のこと1つを書いただけでも、とてもほれぼれとするような文章を書いていました。本当に当たり前の生活を心がけていて、庭の木1本1本も彼女のセンスで選んでいたんだと思います。

僕は、いつか会える日を夢に見ていました。「いつでも信州へ遊びに来ませんか」と声をかけていたんですが、日時をちゃんと約束したことはなかった。彼女のセカンドオピニオンをし、彼女のレントゲンを見せて貰ったりしながら、もっと彼女のそばで、彼女を応援するやりようがあったんじゃないか、と反省をしています。力足らずで、本当に尚美さんごめんなさい。

尚美さんからの宿題

尚美さんが言いたかったことがいっぱいあります。尚美さんの思いを、友人の1人ひとりが1つでも汲み取って、この国がもう少し良くなるように、そして同じように病気で苦しむ患者さんたちが、もっと前向きに、良い医療を受けられるようにしていかなければいけないと思います。

尚美さんはイデアフォーの仲間を大切に思っていました。彼女たちが、尚美さんのバトンを受けとって、これからは走りつづけるでしょう。それがたぶん尚美さんの望んでいることだと思います。

4月1日東京全日空ホテルで、行われたあなたのお別れ会で、あなたが1番大切にしていたご家族にお会いしました。おだやかな、ハンサムな御主人が、これからはあの世のあなたと超遠距離恋愛をすると言っていました。往復書簡もサポートができなかった頼りない僕から、あなたの大好きな御主人にバトンタッチします。

あなたが意図した、それぞれが自立していて、なおかつ、きちんとした絆のある家族の姿がよくわかりました。2人のお子さんたちは立派でした。あなたの血をひいて、2人ともさわやかな若者でした。時おり、涙をみせながらも、とてもいい笑顔の青年ですね。できるだけ、子供たちにそう失感や、悲しみを残さず、前へ向いて生きていって欲しいという、あなたがしかけた作戦は成功していると思います。安心してください。再発がんを生きていても、支えられる存在だけではなく、支えることもできるんだという言葉を、今かみしめています。

あなたは最期まで、家族を支えてきたと思います。見事な家族の絆を見せてもらいました。尚美さんから与えられた宿題が残りました。日本の家庭を少しでも良くするために汗をかきたいと思っています。お別れです。力になれずにごめんなさい。

尚美さん。さようなら。ありがとう。

鎌田實

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