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がん患者さんはもっと声をあげて! 不安に満ちた被災地のがん患者さんたちの声

発行:2011年6月
更新:2013年9月

放射線に対する情報が欲しい

高橋厚子さん(乳がん)

写真:高橋さん

「放射線の影響について主治医から『心配ない』と聞いて安堵しました」と話す高橋さん

福島市で暮らしているからでしょうか。震災が発生してからは、原発事故にともなう放射性物質汚染の状況が気になって仕方ありませんでした。1度、がんを患った人は、放射線に過敏になっており、がんが再発しやすくなるのでは? テレビのニュースで放射性物質の拡散状況が伝えられるたび、そんな不安が頭をもたげていたのです。震災から1カ月ほどして、かかりつけの先生に心配ないといわれて、ようやく安堵に胸をなでおろしています。

治療ができずに一時退院を申し渡された

Y・Kさん(肺がん)

震災の日、私は抗がん剤による肺がん治療を受けるために入院中でした。揺れ始めると同時に、ベッドが前後左右に激しく動き、そのベッドの上で私はまるで宙を舞っているようでした。地震がどれだけ続いたかわかりません。しかし私自身は30分以上も揺れが続いていたように感じました。

病院では電気・ガス・水が止まったことから、食事は全て缶詰めで冷たく、またお風呂に入れなくなったことがつらかったです。

その翌日、病院にいても治療ができないために一時退院となりました。結局、その10日後に再入院しているのですが、その間は治療ができないことで、不安が募っていました。こんなことが再び起こらないよう、祈るような気持ちで治療を受け続ける毎日です。

ガソリン枯渇で散々の日々

S・Tさん(肺がん)

私自身は震災で大きな被害を受けたわけではありません。でも震災後、とにかくガソリンがないのが大変でした。

私は肺がん治療で肺の片側を全摘しており、もう一方の肺への転移がわかったため、この3月に入院が決まっていました。でも病院に行きたくてもガソリンがないため、市役所に陳情に行って、5リットルだけ譲ってもらいました。また私の家には老いた母親がおり、私の入院のときは母親を施設に入所させることにしたのです。介護を続けるには、母親自身の移動や買い物で車の使用が不可欠です。ところが、わずか2リットルずつの配給しか受けられない。母親を施設に入所させるときには、家族に配給されたガソリンを使ったほどでした。

そうして、何とか母親を施設に入所させ、私自身も予定通りに入院しています。今は治療の成功を願うばかりです。

一刻も早いインフラ復旧を

池田久美子さん(乳がん)

写真:池田さん

池田さんは「交通網がなかなか整わないのが不便」と話す

震災から何日か、自宅に帰ることができず、会社に泊まりこんでいました。4月中旬になっても、まだ交通網は復旧しておらず、仙台市内の会社から自宅までタクシーを使うこともあります。インフラが元通りに整備され、早く元の生活に戻ることを願っています。

医療スタッフをもっと使ってほしい

避難所保健士 A・Sさん

この避難所には2000人の人たちが暮らしており、そのなかには何人ものがん患者さんがいます。治療が一時中断してしまうことに対する不安の声を多く聞きました。実際、治療を続けたいから病院の紹介を依頼してこられた方も数人いました。もっとも、ほとんどのがん患者さんは症状を我慢して、私たちに何かを訴えることはあまりありません。もっと私たちを積極的に使ってもらえればと思うのですが……。

がん患者さんはもっと声をあげて

看護師、ボランティア 安斎紀さん

写真:安斎さん

「病院勤務が休みの日は、ボランティアで避難所に足を運んでいます」という安斎さん

ボランティアで二本松市の避難所を回っていると、被災した浜通りの病院から点滴を抜いて逃げ出してきたという患者さんに出会いました。やはり病院が被災したため、避難所で薬をもらっている乳がん患者さんもいました。でもそれは一部にすぎないでしょう。がん患者さんには、もっと声をあげてほしいと思っています。


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