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- 吉田寿哉のリレーフォーライフ対談
人の痛みや苦しみを体感した彼女が、自ら生み出した“LIVE FOR LIFE” 同じ境遇の人たちに勇気と希望のエールを。美奈子はそれをライフワークに選んだ
白血病と宣告されても、歌わせてほしいと懇願

吉田 白血病とわかったのは、たしか、クリスマス・コンサートのあとぐらいでしたね。病気の予兆のようなものは感じられましたか。
高杉 一昨年の12月でした。レコーティングとコンサートが続いたのですが、風邪に似た症状があったんです。微熱が続いていました。正月4日まで休みだから、医者に行こうと言ったのですが、風邪だから、主治医に栄養剤を打ってもらえば大丈夫と。
ところが、正月5日に神戸で震災のチャリティ・コンサートに出演したのですが、熱が38度ありました。三枝成章さんに言ったら、「大変だ。休んでいいですよ」と言ってくれたのですが、本人が頑として聞きませんでした。印刷物にも名前が入っているのに、出ないなんて絶対にできないと言ってね。そして、翌日は福井でまたチャリティ・コンサートです。
ですから、とにかく人間ドックを受けさせようと、13日~15日に予約を入れました。その直前の10日に主治医の先生から電話があり、「外来で血液だけとっておいて。そうすると、検査が早いから」とのことだったので、連れて行きました。そうしたら11日朝、本田の家に向かう途中、先生から電話が入って、「疑わしいものがある。緊急入院の用意をしてきてください」でしょう。でも、そんなに悪いなんて思いませんから、「長くなるんですか。4日後からコンサートが4件あって、チケットが完売しているんですよ。何とかなりませんか」と言ったくらいです。
がんが血液全体の90%に。2回目も寛解にならず
闘病の経緯 | |
2005年 1月12日 | 急性骨髄白血病と診断、入院 |
1月13日 | 病気を公表。「レ・ミゼラブル」などの降板を発表 3度の化学療法の治療 |
5月12日 | 臍帯血移植を受ける |
7月30日 | 一時退院 |
8月31日 | 染色体異常を発見 |
9月7日 | 再入院、再発も判明 |
9月24日 | 米国から輸入した新薬の抗がん剤投与 |
10月 | 一時退院 |
10月19日 | 白血病患者を支援するためのNPO“LIVE FOR LIFE”を設立 |
10月21日 | 染色体異常で再入院 |
11月6日 | 死去 |
高杉 病院では即、血液をとり、マルク(骨髄穿刺)を行いました。そのとき、これは大変だと思ったんです。そして翌日、本人とご家族とぼくが呼ばれ、医師団6人から急性骨髄性白血病、つまり血液のがんですと宣告されました。われわれも何が何だかわからない気持ちでしたが、本人はただ呆然と一点を見つめて涙を流していましたね。
でも、そんな最中に聞くんですよ。「先生、ここからコンサートに行けますよね」って。ファンの方に申し訳ないとね。もちろん、「それはだめだ。お客さんと話して、延期してもらうから、心配しないで早く治そうよ」と言いましたが、このときすでに数値は9割に達していたんです。
吉田 がんの血液が全体の90パーセントに達していたのですね。
高杉 すでに、そこまで悪かったのです。治療を延ばすことなど、考えられませんでした。
吉田 その通りですねえ……。
高杉 そして、翌日から第1回目の抗がん剤です。説明をばーっと受け、片っ端からサインさせられて、本人も何がなんだかわからないまま、早くしないと間に合わないと言われて。にもかかわらず、第1回目の結果は悪く、がん細胞が50パーセントも残ってしまいました。寛解できなかったんです。
吉田 うーん、きびしい。
高杉 そして、第2回目の抗がん剤ですが、ここでも5パーセントに行かず、20パーセントが残ってしまいました(骨髄中の白血病細胞が5パーセント以下に消えるのを完全寛解という)。
吉田 つらいですねえ。
高杉 本人もショック、先生たちもショックですよ。3回目でもしだめなら、覚悟しなければならない。実はこのとき、骨髄バンクを探して探して、6分の4という方(移植には白血球の型、HLA型が一致したドナーを探す必要がある。その場合、6抗原適合、あるいは5抗原適合で確認する)が2人、それから臍帯血は6分の6という方が見つかっていました。ですから、6分の4の移植を選ぼうとしたのですが、もう1人待っている人がいて、われわれのところには回ってこなかったんです。これで本人ががくっと来てしまいました。しかし、とにかく、できることをやらないと、状況が非常に悪いというので、臍帯血移植に踏みきったんです。 両親も妹も6分の2。「みんなのをあわせて6分の6にならないか」と、本当に思いました。
お風呂の中での発声練習。みんなが集まって聞き惚れた
吉田 自分と同じ移植をしたというニュースを聞く前から、本田さんのことは気にかかっていました。そうしたら、番組で生の声を聴くことができて。元気そうな声が、とてもうれしくて。
高杉 ビートたけしさんの『誰でもピカソ』でしたね。
吉田 そうです。そのあと、手紙を書いて自分の本を送りました。退院したら、一緒に白血病の方々のために活動してくださいと。
高杉 そうでしたね。ご本は本田に手渡しました。臍帯血移植を受けた方が社会復帰して活躍されているということは、彼女にとって最高の元気材料でした。
吉田 彼女は闘病中も、ステージ復帰を目指し、前向きに病気に立ち向かっていたと聞いています。
高杉 病室でも歌の稽古をしていました。死ぬなんて思っていませんから、春はミュージカルに出るからと、お風呂で湯気を立ててトレーニングをしていました。そうすると、患者さんも先生もナースも、「今日も本田さんのところからいい声が聞こえる」と、みんな部屋の前で聞いているんです。
それから、時間があると、患者さんたちと話をするのが好きで、患者さんが集まると表に出て行って、サロンみたいになって。
吉田 芸能界の人としては珍しいですね。抗がん剤で髪の毛もないわけでしょう。普通は、きれいな姿をテレビだけで見てほしいという気持ちがありますからね。でも、本田さんの場合、白血病の子どもの心配をしたり……。
高杉 この子たちが私たちと同じ治療を受けるなんて、見ていられないと言ってね。退院したら、こういう子どもたちの支援がしたいと、常々言っていました。
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