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- 吉田寿哉のリレーフォーライフ対談
人の痛みや苦しみを体感した彼女が、自ら生み出した“LIVE FOR LIFE” 同じ境遇の人たちに勇気と希望のエールを。美奈子はそれをライフワークに選んだ
誰もいない病室で彼女は1人泣いていた

吉田 プレスリリースにも、彼女の文章が載っていますね。ちょっと読ませていただきます。「本田美奈子.からみなさまへ いまこうして病室にいる私にできること、それは私自身がこの病気に正面から立ち向かって、1日も早く元気な姿をみなさまにお見せすること。そして、同じ苦しみの中で頑張っている人たちの代表として、みんなに勇気と希望のエールを贈ることだと思っています。LIVE FOR LIFEは私の思いから生まれた、小さな活動です。この活動趣旨を広く伝え、大きく育ててゆくのは私に与えられた使命だと感じています。そのために、私はこのLIVE FOR LIFEの旗を力一杯、振り続けてゆこうと思います。本田美奈子」と。
高杉 22年間のうちのこの闘病10カ月、ぼくは1日も欠かさず本人に会い、たえず勇気や希望を与え、明日という日に向かわせなければならないと考えていました。でも、逆に、ぼくがいろいろなものを教わったと思います。
吉田 それはどんなことですか。
高杉 やっぱり、生きる勇気ですね。注射の針を見ただけで泣いちゃうような女の子が、あんなつらい治療を必死になって、明日を信じて乗り越えようとするんです。あの姿にはとても教えられました。
こんなこともありました。第2回目の抗がん剤もうまく行かなかったあと、夕方飲み物をもっていくと、
「ねえ、なんだか暗い顔をしているよ。だめだめ。暗い顔をしていたら、いいことがみんな逃げちゃうから」
なんて言うんです。彼女に会うときは絶対に暗い顔をしないようにしようと決めていたのですが、出てしまったのでしょうね。ぼくは「わかったよ。ごめんな」と言って、飲み物を置いて帰ったのですが、携帯電話を忘れて取りに戻ったんです。
そうしたら、わんわん泣いているんですよ。その姿は本当に忘れられません。「ばれたか」なんて言って、またカラ元気を作るんですが、なんてすごい子だろうと思いましたねえ(涙)。
退院できると思った矢先に急変して
吉田 みんなに愛された人でしたね。白血病の治療は抗がん剤から移植��で、非常に激しい治療です。耐え抜くのは並大抵ではありません。ごつい男のぼくもあれだけきつかったのに、よく本田さんが、しかもあの細い体で耐えたと思います。
高杉 37キロですからねえ。
亡くなったときも、本当は家に帰れるという週末だったんです。月曜日に病院に行ったら、「今週の土日、帰れるの!」と言うんです。「よかった。薬が効いたんだねえ」と答えたら、「私が作ってあげるから、お鍋しようよ」と。鍋が大好きでした。ですから、私はその日も火曜日も病院に早く行って早めに帰ったのですが、水曜日に先生から電話があって、「急変した」と言うんですよ。
何がなんだか、わかりませんでした。取るものもとりあえず、朝一番に駆けつけると、胸を締めつけられるような痛みに七転八倒していて。それまで、モルヒネを打ったら終わりだから、と使わなかったのですが、あまりの苦しみように打っていただきました(編集部注 モルヒネはWHOでも推奨されている鎮痛薬で、初期の段階でも使う薬です。中毒も依存も起こりません)。あの3日間は地獄を見たような気持ちでした。ぼくらも一睡もしないでつきっきりでした。
人の痛みや苦しみを体感それをライフワークにと

吉田 ああ、つらいですねえ。それでも、本田さんができなかったことを、高杉さんが引き継いでおやりになっているのが、リブ・フォー・ライフということですね。これは本田さんが作った言葉だそうですが、生きるために生きる。素晴らしい言葉ですね。過酷な経験をしながら、それをライフワークにしようと思えることが、そもそも素晴らしい! 人の痛みや苦しみがわからなければ、まずできないと思います。
高杉 そのとおりです。彼女は自分で体感してしまった。ですから、退院したら、絶対にこれをやろうと考えたのでしょう。
吉田 このプロジェクトには私も微力ながら参加させていただいていますが、このたびNPO法人の申請を出しました。本田さん、高杉さんのお人柄なのだと思いますが、それにしても発起人の顔ぶれがすごいですね。
高杉 本当にありがたいですね。
吉田 この間はロック・グループ、クイーンのギタリストのブライアン・メイが、曲を贈ってくれたそうで。
高杉 なかなかないことですね。本田が以前デュエットしたピーボ・ブライソンもコンサートをやってくれて、今人気の倖田來未ちゃんや小柳ゆきちゃんも参加してくれて、収益を全部寄付しました。また、ロイヤル・チェンバー・オーケストラという、皇太子様のオーケストラが東京・紀尾井ホールで演奏され、その収益もご寄付いただいています。全部そういう形でやっています。
生きるために生きる。リブ・フォー・ライフ

吉田 まだ暗中模索ですが、彼女の遺志をしっかり反映したプロジェクトになればと思います。最初に話が出たのはいつ頃ですか。
高杉 本田がなくなる前、作詞家の岩谷時子先生や作曲家の服部克久先生など、何人かの方々が発起人になってくださいました。動き始めたのは7月ごろだったと思いますが、そのときに(株)ファンケルの社長や電通ミュージック・アンド・エンタテインメント代表取締役の三浦信樹さんなども、「それはいいね」と加わってくださり、そうそうたるメンバーになりました。
吉田 作曲家の井上鑑先生が、本田さんの退院後に歌ってほしいと、歌を作ってくれたのでしたね。
高杉 ええ、それをリブ・フォー・ライフのテーマに、全国コンサートをやることになっていました。でも亡くなってしまったので、アーティストの方々に歌っていただき、集まった収益を白血病やがん、難病で苦しんでいる人のために使っていただきたいと思ったんです。
吉田 ホームページも立ち上がりましたし、ぜひ読者の皆さんにも見ていただき、ご理解、ご協力をいただければと思います。
高杉 われわれがやれるのは、音楽を通じて実現できることになります。それが、ほかの団体とは違うところだと思います。もうひとつ、本田が気にしていた子どものことです。病気の子の支援を、きちんとしていきたいのです。
たとえば、病院における勉強のケアです。進んだ病院はすでに取り入れていますが、病児は勉強が遅れてしまい、そのためにいじめられたり、学校に戻るのがいやになることが少なくないと聞いています。ですから、そこをサポートするのです。
吉田 音楽は人の心をつかむ。プロジェクトは、まさに本田さんや高杉さんならではのものですね。
高杉 吉田さんのように臍帯血移植を受けて立派に社会復帰され、会社の中でも重要なポジションにある方に加わっていただき、私たちもすごい味方を得たと思っています。
吉田 ありがとうございます。
編集部 リブ・フォー・ライフとして、今後予定されているイベントはあるんですか?
吉田 地道な活動も日々行っていきますが、大きな活動としては、11月6日の1周忌に、東京国際フォーラムでコンサートを企画しています。
高杉 それから、11月のイベントに先立ち、秋頃には日本のいろいろなアーティストに参加していただき、CDを出します。詩は本田が残した詩から作ったもので、この収益も病気に苦しむ皆さんの支援に寄付します。その頃にはNPO法人化も実現していて、11月の1周忌がまさに追悼+プロジェクトのスタートになるのではないか、と願っています。
吉田 本田さんの美しい遺志が、きちんと行かせるものにしたいですね。今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
(構成/半沢裕子)
LIVE FOR LIFEとは?
白血病をはじめとする難病に苦しむ患者の支援や啓蒙活動を行う団体。本田美奈子.の生前の願いから生まれる。発起人に岩谷時子(作詞家)、服部克久(作曲家)、秋元康(作家)、山本寛斎(デザイナー)、ピーボ・ブライソン(歌手)、岩崎宏美(歌手)、杏里(歌手)ら
ホームページ
寄付について
振込先:郵便振替口座00190-7-354647
加入者名義:「LIVE FOR LIFE事務局」
問い合わせ先:〒150-0012 東京都渋谷区広尾1-3-17 OHTSUビル3F「LIVE FOR LIFE事務局」
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