シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・田原総一朗さん 闘病生活が長引いてこそ、闘いがいがある生活です

撮影:塚原明生
発行:2003年11月
更新:2019年7月

生き延びてこその新しい体験

節子 抗がん剤治療はずっと続いているのだけど、私は放射線治療もやっています。放射線というのは、浴びられる一定量が決まってて、すでに私は脊椎、胸椎、大腿骨頸部と相当広い範囲でかけてますから、かけられる部分がだんだん狭まってきているのね。

総一朗 抗がん剤は薬さえあれば、あとはいくらでもできるけどね。

節子 私は放射線にも強くて、50グレイぐらいは耐えられる。胸に60グレイかけたときは、皮膚が弱っていたので、悪化してしまったんだけど。でも、これ以上はそれをしなかったら生命を維持できないみたいにならなければ、しないかな。

総一朗 前に入院したときは、歩けなくなって、それを診てもらったら、神経がやられていた。それで車イスに乗るようになったわけだけど、車イスに座ってても痛いと言い出したんだよね。
それが、今度の入院のきっかけ、原因は大腿骨だった。

節子 次はどこへ来るのか。入院中、舌が荒れて味もわからなくなると、今度は舌がんかとかね。ちょっと腕が痛いと、胸骨に来たのかとか。爪が黒くなれば皮膚がんかとか。本当に何が起こっても心配になるのは困ったものだね。

総一朗 今は、爪はきれいだね。

節子 転移がどこへ飛ぶかわからないなかで、胃、腸、肝臓、それは大丈夫よと思っちゃうの(笑)。なぜか、何の根拠もないんだけれど。脈絡膜に転移なんていうのはとっても珍しいんですって。炎症性乳がんが始まったときも、非常に珍しいと言われて。珍しいと言われると、今度、どんな珍しいことになるのかという恐怖と、それから興味もあるし。さっきの、あなたが私のケアをやってて、新鮮で面白いって言ったけど、そういう一つの実験みたいな気分にもなれる。

総一朗 いや、基本的には大変なことですよ。君は本当に前向きで、類まれなる女性なんだから。どんな時にも君は参らないでしょう?だけど、大変だということを前提にして言うと、つまり君は、多分炎症性乳がんで記録的に生きてるわけ。だから、いろんな新しい現象がおこる。そういうものに襲われる前に亡くなってしまった人が多いなかでね。

コミュニケーションに支えられて

節子 生きているこの数年間に、本当に画期的に、すべての環境が変わりましたよね。
検査も変わった、薬も変わった。放射線を始めとするいろいろな治療法も。そのなかで、お医者様も患者も、関係者全部の意識がとくに変わった。

総一朗 僕が面白いなあと思うのは、主治医にとって、君がチャレンジの対象になっていること。君がどこまでいけるかチャレンジすると、君がまたチャレンジに応えるのに十分な気力を持っていて、その戦いの作戦がちょうどうまくいってる。だからあなたがどこかへ行きたいと言ったって、主治医は逃がさないんだよ。

節子 そんなことはないわよ。そういうことじゃないけど、私は結果がどういうふうに出ても信頼してる。信頼��ない先生だと、やっぱり再発したじゃないかとか恨むんですよね。ところが、信用できるお医者様が手を尽くしてくださるとなると、自分の試練として受け止めるのね。試練というのはちょっと大げさだけど、やってみようじゃないかみたいなね。支えられてるという感じがあって、自分も支えることができる。

総一朗 僕が一番すごいと思うのは、たまに先生に電話をかけても、君から聞かされている以外の情報がないの。いかに全面的なコミュニケーションがとれているかということだよね。

節子 先生は全部話してくださるし、そういう意味で、本当に私はとても幸せだと思っています。

総一朗 どんなに、何を言っても耐えられるということで、信用してるんだと思う。ほかの患者さんを見ていると、やっぱり患者本人にしゃべらないけれども、家族にはしゃべってることってあると思う。僕ら夫婦の場合は情報を共有していますよ。

節子 乳がんの患者っていうのは、おおよそほかのがんの患者さんより、よく勉強しているというか、知りたがってます。 まず告知をしっかり受けて、それから先生に質問をし、先生から説明を受けている。先生にお任せしてますみたいな姿勢で、自分で満足していれば、それでもいいと思うんだけど。
お医者様のキャラクターにもよると思いますが、やっぱりお互いにどうしようと言い合える関係のほうが、お医者様もやりやすいんじゃないかな。

総一朗 その患者がその情報をどこまで受け止められるか、という問題もあるよね。

方程式も回答もないことに気づく

田原節子

節子 痛いというのは本人しかわからないとよく言うでしょう? 気持ちが悪いとか気分が悪いとかだるいとか、そういうのも、測りようがない。
私も抗がん剤によって全部パターンが違う。Aの抗がん剤とBの抗がん剤、Cの抗がん剤の違いというのを患者自身は体でわかるから、それを伝えるとお医者様が対応してくださる。受け入れていただける、ということが患者にとってすごくありがたい。で、その抗がん剤はもうやめようとかね、もう少し続けようとか。だんだん患者キャリアが長くなってくると、もうこれは嫌だなとか、いいたいこともたくさんでてくる。

総一朗 はじめは、抗がん剤の副作用についても、患者は医者が全部わかってると思ってる。でもだんだんと治療も長引いてくれば、実は医者もそんなにちゃんとわかってるわけではないとわかってくる。というのは、患者によって全部違うわけだから。

節子 医者のほうも、言ってもらったほうがありがたいはず。あっ、そんなにひどかったのかという。必死で耐えてがんばっても、大したことはないんだと思われたりしてて。
病気になる前の私は、がんは患部を取れば、それで治るものと思っていたのが、まず第一の誤解。第二の誤解は、乳がんなら乳がん、胃がんなら胃がんで治療法が確立してて、どの患者も、こうなったら次の段階はあの療法というふうに、しっかり決まっていると思ってた。そしてダメなものはダメ、治るものは治ると、単純に考えてた。
ところが、抗がん剤の種類は多いし、量も投与の仕方も間隔も組み合わせも個々のケースで違う。同じ乳がんでも、その人が発症したときの状態が全部違うから。

総一朗 もうちょっと簡単に言えば、最初患者は、乳がんになれば、治療法の方程式がすでにできてるはずだと思ってたわけだよね。

節子 だから答えもきちんと決まってるはずだと。

総一朗 ところが、だんだん医者とのコミュニケーションが密になってくると、方程式なんてないとわかってくる。医者によって抗がん剤の使い方は違う。そういうことから、つまりコミュニケーション、痛いのは痛いとか、いやなのもはいやだということが、医者にとっても、実はありがたいことなんだということがわかってきた。

節子 それと、ここ数年で薬が変わってきたでしょう? そのなかで、一人ひとりがそれぞれに違う、揺れ動くデータの中で、お医者様も試行錯誤する。そうなると、全部知ってて、その上でこういう治療をやるのが名医ではなくて、むしろ迷って、試行錯誤して、本当に患者の元気、状態がいいか悪いかを見ながら治療してくださるのがいいお医者様というふうに、患者の求めるものもすごく違ってきた。

総一朗 医者のほうも、患者にどこまで自分の不安を見せていいのかという判断が難しいんだと思う。これまでは医者が不安で迷ったら、患者はより不安なんじゃないかというふうに思っていたと思う。

節子 今回、松葉杖ひとつであっても、私が不満な部分をいくつか申し上げたら、それに対して、その部分を既製品でない物で工夫してくださった。私が伝えた希望を聞いておくだけでなく、答えを出してくれる。医療も、やっぱりそういう方向に向かっていくんだろうと思うし、そういう患者の求めに応じたものをやっていくことが大事なのだと思う。患者も自分がわがままになればなっただけ、ちゃんとその恩恵を受けられる、ということが実感できるはずよ。

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