シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・田原総一朗さん 闘病生活が長引いてこそ、闘いがいがある生活です

撮影:塚原明生
発行:2003年11月
更新:2019年7月

根拠のない励ましはいらない

総一朗 君が副作用で苦しんでいるとき、それが抗がん剤の副作用なのか、新しいがんのせいなのかということの不安はいつもある。たとえば、ものが曲がって見えるということが起こって、それは抗がん剤の副作用なのか、それとも再発転移なのか。
その不安に対して、やっぱり僕がやるべきことは、まず君を励ます。それから一番的確な、できる限りの最高の医療を受けられるよう全面協力する。大丈夫だよという励ましだけではなくて、これはやっぱりもう1回病院へ行って、先生と相談したほうがいいとか、必要だと思われる方法を一緒に考える。

節子 隠さなきゃいけないことなんて、何もないから、それができるのね。

総一朗 根拠のない励ましなら、しないほうがいい。無責任に楽観的なことはいえませんね。まだこういう風じゃないから大丈夫だよ、なんて言って、後からそうなってしまったら、励ましが裏目になってしまう。

節子 病人は家族に対して、感情フル全開だから。私はわがまま全開にして、ブレーキをまったくかけない。制限ゼロ状態でいます。だから安易に大丈夫だよ、なんていわれたら、怒ります。

総一朗 君の持っている意志の強さ、この強さが重要なんだ。だから不安を無理やり否定するのではなく、具体的にこういう手がある、こういう方法はどうだろう、という言い方をするんです。

仲間に与える力、もらう力

田原総一朗

節子 波が押し寄せるように、次々に再発転移が頭から全身に広がっていくことは、覚悟していたけど、新しい障害が出てくると、恐怖を感じて、衝撃を受ける。できなくなっていくこと一つひとつにやきもきしたってしょうがないって思うんだけど。 でもその後で、小さいときからそういう障害を持った人もいる。働き盛りにそういうことになった人もいる。大勢の人たちが通り抜けてきた道であって、その仲間たちがいるからまだ大丈夫よ、ってそう思う。その繰り返し。

総一朗 君が元気でいられることが一番だから。
病気の自分を見られたくない、人に会いたくない、という人もいるけれど、君は人が来ても疲れないよね。むしろ生き生きしてる。

節子 病気になって、なぜか初めて私の言葉をけっこう聞いてくれる人がいるって、わかったの。仕事のこと、女が生きるということ、結婚とは何か、子供を生むこと……。私が今まで何を考えてきてどういう人間なのか、ということを聞いてくださる方がいる。私に何かを尋ねてくださる、必要としてくださる。それが素直にうれしくて。それで元気になります、みたいに言える。
抗がん剤の副作用がつらいときでも、患者仲間と電話で話してるうちに元気がでてきたり、ね。

総一朗 そういう相談に1時間、2時間かけてるよね。取材もできるだけ受けて、君がやりたいことをいいタイミングで続けていってほしい。

節子 時間がね、とってももったいないって思うの。それは死ぬとか生きるとかいうことがいつある、ということ、明日に回したらできなくなるかもしれない、っていう可能性が、いつだってあるんだということ。普通に、あたりまえに生きている人間として、やれるときにしかやりたことはできないんだって、しみじみ思います。

総一朗 僕は自分ががんを体験したのではないけれど、君を見ている中で感じたのは、がんというのは世間のイメージとずいぶん違って、ある程度コントロールしながら、十分仕事をしたり、生活したりしていけるのだということ。イメージはずいぶん変わりました。

節子 今までとまったく同じというわけにはいかなくても、それまでと違う生き方をせねばならない立場になったときに、それを楽しんじゃったほうがいいと思うの。そんなに病気を恐れなくても、その時間を十分に生きられるんだということを、もっと病気になる前に知っていれば、最初のショックも少ないのにね。

総一朗 がん患者が増えてきている、ということは、それだけがんでありながらも生きていられる時間が長くなった、ということ。最新の医療のなかで、どんどん対症療法もでてきて、そこに期待をかけていきたいね。

節子 でも、つらくても私が病気をしている間は、あなたは多分死なないから、総一朗という人を長生きさせるためには、私が死ぬわけにはいかないのよね。

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