シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・荻野尚さん コンピュータと情報の時代の申し子 陽子線治療は手術に匹敵する治療法

撮影:板橋雄一
発行:2004年6月
更新:2013年5月

陽子線は手術に代わる治療

「体表面から浅いところの病巣には、陽子線の場合、病巣と同じだけの量が皮膚にも当たってしまいます。皮膚のダメージはX線より強くなりますので、田原さんの場合、この病巣の治療にはX線でいいと思います」
「体表面から浅いところの病巣には、陽子線の場合、
病巣と同じだけの量が皮膚にも当たってしまいます。
皮膚のダメージはX線より強くなりますので、
田原さんの場合、
この病巣の治療にはX線でいいと思います」

田原 その50年の間に、どれぐらいの人が治療を受けたのでしょうか。

荻野 昨年末までに、世界でおよそ3万6000人ぐらいの患者さんが治療を受けられました。私たちの施設では、まだ250人ぐらいです。

田原 陽子線で治療するがんは、どんなものがありますか。

荻野 一番多いのが、目にできた悪性黒色腫です。陽子線で治療すると、5年間、その部分のがんを抑えられる率が、96パーセントです。でも実は、日本人はメラニン色素の関係で、目に悪性黒色腫ができることは非常に少ないです。

田原 せっかく使えるのに、なんだかもったいないような。他には?

荻野 2番目に多いのは今日本人にも急速に増えている前立腺がん、3番目に、脳を支える頭蓋底という骨にできる腫瘍です。これも、陽子線で6割から9割の人で完治が望めます。4番目が、これは日本の実績ですが、肝臓の原発がんである肝細胞がん。5番目が肺がんです。

田原 それはみんな、今までは手術しかなくて、治療が難しいといわれていたがんですよね。

荻野 ほとんどがそうです。特に目のがんや顔にできたがんは、脳が近くにありますし、容貌の中心です。手術すれば顔が半分なくなってしまうような場合でも、陽子線治療ですとそれが避けられます。眼球の温存率も90パーセントぐらいです。頭蓋底も脳や視神経が近くにあるので、他の治療手段では脳への副作用や視力への悪影響があって治療が難しかったのですが、陽子線ですとそれがクリアできます。
肝細胞がんの方は、もともとウィルス性肝炎から肝硬変を起こしていて、肝機能が非常に悪い方が多いのですが、陽子線は残った肝臓への負担が最小限で済みます。最近はヘリカルCTなどで非常に小さな肺がんも見つかりますが、高齢で手術ができないという方もけっこうおられます。こういう場合にも、陽子線照射で手術とほぼ同じくらいの治療成績が上げら��るということがわかってきました。

田原 治療の難しいがんに光が当たってきたというわけですね。手術や抗がん剤だと、がんでないところにも副作用がけっこうある、というのが今の問題ですよね。それが改善される可能性がある。

荻野 まだ広く行われている治療ではありませんから証明はされていませんが、それが期待できるということです。陽子線の目的は、ひとつは治癒率を上げること、もうひとつは副作用を少なくするということです。基本的には手術に置き換わる治療と位置づけています。

ヘリカルCT=X線カメラを患者の体の周りをらせん状に回転させながら撮影する新しいCT。直径1センチより小さな病巣も見つけ出す。

さらに厳密に、副作用を抑える工夫

田原 陽子線は究極のピンポイント照射ということですが、実際にはどのようにがんだけに当てるんですか。

荻野 患者さんごとに、ボーラスやコリメータという型を作るんです。真鍮という金属を、陽子線照射の方向から見た腫瘍の形にくりぬいた患者コリメータというものと、ポリエチレンの塊を腫瘍の形に等高線状に彫った患者ボーラスというものを組み合わせます。真鍮のコリメータで腫瘍のほかのところに陽子線が当たるのを防ぎます。ボーラスを通して照射された放射線は、ポリエチレンの厚いところを通ると体の浅いところで、逆に薄いところを通ると体の深いところまで届きます。

[患者ボーラス・コリメータ]
患者ボーラス・コリメータ
真鍮製のコリメータで横方向への陽子線の
拡散を防ぎ、ポリエチレン製の
患者ボーラスで陽子線の強弱を
調整することによって、
腫瘍の部分のみを狙った治療が可能になる

田原 そうやって陽子線の強弱をつけるわけですね。

荻野 患者さんは固定具をつけますが、固定しても3ミリから5ミリはずれます。そこで毎回、治療の直前にX線で位置を確認して、ズレを0.5ミリ以内に微調整します。

田原 ずいぶん厳密ですね。IMRTでは動く部分への照射が難しいということでしたが、人間は生き物ですから呼吸しますよね。そのあたりはどうですか。

荻野 陽子線では、呼吸同期照射ということをするんです。患者さんにセンサーをつけて、息を吐いたところだけ陽子線が出るようにします。

田原 昔、レントゲンを撮るときには「はい、息を吸って、止めて」と言われましたが、陽子線のときは、患者は普通に呼吸をしていてもいいんですか?

荻野 普通にしていてください、と言います。人間は息を吸う時間と吐いている時間では、吐いている時間のほうが3倍長くて、しかも安定しているんです。そこを狙って照射するわけですね。

田原 放射線治療で「動くな」と言われるのがつらいんです。緊張しますから。

荻野 放射線治療は何回も繰り返し行いますから、そのうち慣れるもののようです。患者さんは何も感じない治療ですから、そのうち寝ちゃう方がいます。寝ちゃうと呼吸が止まる方もいて、そうなるとセンサーが作動しなくて陽子線が出っぱなしになってしまうので、マイクを使って「起きてくださーい」と呼びかけるんです(笑)。

田原 寝ちゃいけないって言われたらまた緊張しちゃいますね(笑)。

巨大な施設も患者の負担を減らすため

直径10メートル、重さ120トンの回転ガントリーを搬入しているところ。巨大な装置は、患者への負担を減らすために工夫されたものだ
直径10メートル、重さ120トンの
回転ガントリーを搬入しているところ。
巨大な装置は、患者への負担を
減らすために工夫されたものだ

田原 本当に患者は何も動いたりしなくて、普通にしていていいんですね。それは負担が少なくていいですね。

荻野 患者さんは、固定具はつけますが基本的にただ寝ているだけでいいんです。回転ガントリーといって、機械のほうを360度動かして、最適な方向から陽子線を照射します。この回転ガントリーが、陽子線治療の装置で一番大きな構造物です。直径10メートル、重さは120トンあります。

田原 人間の体に対する治療器具とは思えませんね。医療用としては世界最大級ですよね。

荻野 医者ってわがままで、患者さんを動かしたくないから機械を動かしてくれと注文を出す。それに技術者は応えるんです。

田原 でもこんな大きなものが入ると知らされたら病院側は……(笑)

荻野 たまげますね(笑)。まるで工場のような建物になります。

田原 大変な費用もかかると思いますが。

荻野 初期投資で60億から80億ぐらいかかります。

田原 それで今まで患者さんが250人では、もとが取れるんでしょうか?(笑)。その陽子線の治療施設が、日本では5施設?

荻野 若狭湾エネルギー研究センターが研究用を兼ねていて、国立がん研究センター東病院、静岡がんセンター、筑波大学、兵庫県立粒子線医療センターの4カ所が医療専用施設です。

田原 治療費は288万3000円とのことですが、他の施設もほぼ横並びですね。保険は利かないんですね。

荻野 私たちの施設では高度先進医療として行っていますので、陽子線以外の、検査や入院などには保険が利きます。高度先進医療は申請できる施設の基準があるので、ほかの4施設では申請できない場合は自由診療で行っています。費用の点は、確かに問題です。

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