シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・青木正美さん 大いに語り合った医師と患者がよい関係を築く秘訣

撮影:板橋雄一
発行:2004年7月
更新:2013年5月

がんとその他の病気では痛みも意味あいが違う

田原 今度、がんが左の大腿骨に転移したので、左足をかばって右足だけで歩いていたら、右足の坐骨神経痛になったんです。青木さんに神経ブロックをしていただいているんですが、「やっと私の領域の病気になった」っておっしゃった(笑)。がんという病気はがまんできるけれども、痛みはがまんできないということに気が付いたんです。

青木 がんは、孤独じゃない病気なんです。もちろん、死というものが浮き彫りになるので精神的に非常に苦しい時期がありますが、周囲の人はみな、親切にしてくれる。ところが私が専門としている、命にかかわりなくて痛みだけがある病気の患者さんは、すごく孤独なんです。
たとえば、家族の誰かが痛いと言い始めると、最初の2週間ぐらいは「どうしたの」と言ってもらえる。けれども、そのうちみんなが「うるさい」と思い始めるんです。

田原 「がんだぞ」は水戸黄門の印籠になるけれども、坐骨神経痛が痛いと言っても「あ、神経痛ね」で済まされてしまう。

青木 私の母も、直腸がんで4年間闘病して、10年前に亡くなりました。闘病の最後の頃は、「いいかげんにして」と思うこともありましたが、それでも最後まで親切にしなきゃと思うわけです。でも、10年も20年も痛みだけがある患者さんは、どんどん孤独になって愛されなくなってしまうんです。

田原 がんは痛みが出れば神の思し召しで、死に近づいている。ところが坐骨神経痛は痛いだけで神様がまだ連れて行ってくださらない。ゴールがないんです。

青木 私の母も、最期は痛みが強かったのですが、「がんだからしかたがないわ」という部分があった。痛みが強くなると、一番怖い死のことをも、痛みがかき消してくれるという場合もある。ところが、痛みだけで命にかかわりない方は、どこにも持っていきようがないんですね。

田原 私は今回、がんと痛みだけの病気と両方を見て、ちょっと大げさに言うと「ああ、がんでいたほうが楽だ」って馬鹿なことを考えちゃったんです。

青木 健康な者にはわからないこともあると思いますが、がんの患者さんは、精神的なものを整理したあとは、周りから愛されて、考える時間も向き合う時間もたくさんあって、苦しい反面、いい部分がありますね。

田原 物語を作れる、生きるテーマがあるという意味で、病気になった幸せのようなものも見えます。

医者と患者の関係は人間力 第一歩は「話す」ことから

「医者と患者というより、節子さんは同じ働く女性としての大先輩なんです」「青木さんを通じて、たくさんの信頼できるドクターとも知り合えました」
「医者と患者というより、
節子さん���同じ働く女性としての
大先輩なんです」
「青木さんを通じて、
たくさんの信頼できるドクターとも
知り合えました」

田原 青木さんは患者に「一緒に走りましょう、マラソンの伴走はできますよ」っておっしゃいますね。決して見捨てないで一緒に走ってくださるというのは、本当に心の支えです。

青木 一緒に走るためには、お互いにイヤだというときもあるんですよ。人間同士ですから。

田原 おなかが痛いとか、機嫌が悪いときもありますものね。

青木 もしかしたら、たまたま私の機嫌が悪いときに「なにさ」って思われた患者さんがいるかもしれない。そのときに「次にまた行くのはおっくうだな」と思ったら、そこで「降りる」というのも、患者としては、ありなんです。でも、また戻って来られたときには、こちらは快くお迎えする。
セカンドオピニオンで他のドクターのところに行ったときも同じです。患者さんがセカンドオピニオンを求められたら、快く検査や診療の内容をお出しして、「行ってらっしゃい」といって送り出し、帰ってこられたらちゃんと迎え入れる。

田原 前なら、患者は元のドクターのところに戻りにくいという感覚がありましたが、「戻れるんだ」となると、患者は行くところがたくさん増えますね。

青木 この数年で、それが普通になりました。一つには制度として、診療情報提供にきちんとフィーがつくようになったことがあります。医者にとって、自分の治療方針を他の医者に見られることは勇気が要ることですが、それが習慣になれば、当たり前になる。患者さんにとっても、自分の情報は見ていい、セカンドオピニオンは受けていいと思うようになってきているのは、とてもいいことですね。
ただし、医療情報だけをオープンにしても意味がない。人間の信頼関係がそこになければ、医療事故などのときに、対立関係だけになってしまうんです。

田原 「なぜこうなったんですか」と気軽に聞ける信頼関係があれば、テレビの記者会見で、あんなふうにドクターがお辞儀をすることもないわけですよね。ミスはミスでも「どうしようもなかった」部分も、きっとあの中にはあると思うんです。でも、その「どうしようもなくて」という言い訳が、聞かれなさすぎる気がします。

青木 もっとコミュニケーションが取れていれば、ほかに方法があったということは、いくらでもあると思います。医者と患者の関係を、そこへどうやってもっていくかが、これからの課題ですね。システムはいいところまできている。検査の精度や薬など、物質的なクオリティはずいぶん向上している。でもそこに、人間の力としてのクオリティをもっと上げようとする余地はいっぱいあると思います。 その第一歩が、患者さんと医者がたくさんお話をするということではないかと思うんです。

田原 私が病気になってからの6年で、急速に医療は良くなってきた。ドクターと患者の関係も良くなってきています。患者も努力して、ますます良い関係を築いていきたいですね。

同じカテゴリーの最新記事