特別対談・日本のがん医療を考える 養老孟司(北里大学教授、東京大学名誉教授)×中川恵一(東京大学助教授)
生物の多様性、がんの多様性
養老 僕が現役の頃にも、がん研究を随分やった。そのとき、いつも思っていたのは、そういう科学研究的な方法論でがんの研究が可能か、ということ。臨床研究に限らず基礎研究でもそうですけれど、要するに1人ひとり違うものを一括して扱おうとするということに、そもそも問題がある。私は動物学に近いことをやっていたからよくわかるんです。たとえば、昆虫だって種類を数えたら、多い人は3,000万種と数えます。少ない人でも500万種。大変な数の種類がいる。それを我々は一言で「虫」っていうんですよ。一言 「虫」でおわりなんて(笑)
中川 先生がよくおっしゃっている虫の多様性というのはそういうことですか?
養老 そう。だけど、多様性という言葉自体がもはやそれを1つにしちゃおうということなんです。
中川 それは先ほどの悪性リンパ腫と同じですね。
養老 そうです。現代社会っていうのは違うものを1つに、同じにしようとする世界だから、それをずっとやってますとね、苦しくなりますよ。実際苦しくなっている。それをストレスとかね、いろいろな言葉で呼んでいる。
生物多様性ということも、環境省は生物多様性国家戦略というパンフレットを作った。それで環境省の言い分は、多様性の説明が非常に難しいと。当たり前で、多様性というのは根本的には説明を拒否するんですよ。それが多様性ですから。1個1個違うんだから、それは見てもらうしかないですよ。
不動産屋の扱うアパートで説明しましょうか。1戸1戸違うじゃないですか。それを言葉で説明できます? 面倒くさくってやってられないでしょ。お客さん見てくださいって順繰りに見せて回るのが当然でしょ。その世界が消えてっちゃうんですね。要求されるのは間取りの図だとかね。一般論としての話を要求されてそしてそれを片付けていくということが、大量生産とかああいう思想と結びついているんでしょうね。同じような考え方なんです。同じにしていくという。
中川 なるほど。僕らが言うプロトコールという概念ですね。
養老 そういうもので本当に人間がくくれるのかと。もちろんそういうものが有効だった時代だってある。しかし、がんなんかそういうものが極めて有効でない。
中川 そうですね。ずいぶん違いますね。
養老 それに患者さんも様々でしょ。
中川 そうなんです。がんがそもそも1つとして同じものがない。極端にいうと1人のがんでも体の中でいろいろな挙動をする。今、たまたまぼくの病棟にいる乳がんの患者さんなんですけれども、脳から肺、肝臓と全身に多数転移しているんですね。そこで抗がん剤治療を行うわけですが、肺の転移はみるみる小さくなる。ところが肝臓の転移はどんどん多くなるんですよ。勿論そこにいるがんのDNAの突然変異が起こっていると言うこともそうなんですけれど、そのがんがどこに今いるのかということで違ってきますね。
最近では、テーラーメード医療というものが提唱されているんですが、僕はこれもちょっ��何か違うような気がする。
養老 それはねえ、本当に難しいと思います。それでね、もっと根本的に言えば、私は昔から単純なことに興味がなくてややこしいことばかりに興味を持っているんです。ところが単純なことに興味がないと今の科学の世界ではやっていけないんですよ。つまり、単純化しないと説得性がない。
中川 そうですね。僕もそう思います。ただ、複雑なことをやっていると寿命が足りるのかなっていう気はしますね。
養老 そうそう、足りないんですよ。ただね、1つ言いたいのは、一番基礎的に何が欠けていると思っているかというと、システムの理解の問題が欠けている。それは政治も経済も全部同じですよ。だけど、そういう問題って多くの人たちに関わってくるだけに、ますます考えなくなっちゃう。それで、雀が外に出ようとしてガラスに頭をぶつけるような試行錯誤ばっかりやっている。
そこに一番欠けているのは、システムというのは我々が頭で考えて果たして理解できるのかっていうことと、そういうものを理解するためにはどうしたらよいか。その2つの問題がどうもずっと引っかかっている気がしますね。
中川 なるほど。がんもそういうところがありますよ。
養老 がんって多様性そのものでしょ。ある意味で人間の体が持っていて、しかも自分が造ってるんですからね。そうするともう1つの問題があって、人体って言うものを1つのシステムと見たときに、がんをどのように位置づけるかという。なぜああいった逸脱が発生するかということは、システムを考える場合には基礎的にはおもしろいのかもしれませんね。
中川 そうですね。ところで、先生が『自分を生ききる』の中でがんは老化の一種であると書かれていますね。実は僕はその概念というのは初めてだったんです。時間がたって、細胞分裂の回数が増えれば、当然がんが発生する確率は高くなる。そういう意識はあったんですが、老化といわれると、非常に楽になりますね。実際そうなんですよ。たぶん昔は、多数の老衰で亡くなる方の中にもがんもあったんだと思います。無治療のがんは案外症状を出さないんです。そんなに痛くもないみたいなんです。
養老 それは僕もしみじみ思う。そうじゃないかなあと。
中川 そこで治療行為が加わったときに、初めて寝た子を起こすような反応が起きる。
養老 だからそれが先ほどのシステムの問題でしょうね。
人は必ず死ぬことを理解する
中川 話は変わりますが、患者さんにとっても最後まで死ぬというのはあり得ないことになっている気がします。たとえば、我々が仮に3カ月しか生きられないということをお話ししても、モルヒネを飲む段階で、そんなもの飲んだら寿命が縮まるというふうに思ってしまう。そうした、死を排除した患者さんにがんの治療をするというのは実は非常に難しいんです。
がんの場合には初回の治療というのがかなり大きなウエイトを占めます。おそらく95パーセント以上はそこで決まります。そうすると現実にはそれが勝ち組負け組という非常に二元的なものに結びついているんです。ただ、先生がおっしゃるように人間の死亡率は100パーセントな訳で、根治、非根治というのは所詮相対的なものでしかないんです。ところがそのことをなかなか患者さんも、ひいては医師も思い至らないので、亡くなる直前まで根治を目指すという、そういう愚かなことが行われているんですね。
その根底にはそもそも俺は死ぬんだと思うことが、欠けている気がするんですね。それをどうするのか。とくにゲーム世代というのは画面の中でしか死を見たことがない。
養老 リセットだもんね。日本人は昭和20年までは死ぬというのは普通の人がある意味で当たり前の感覚でいた。ところが、戦後の60年の間に、死から逃れることが医療の役割のようになったわけです。そうすると、今度はその反動のようなもので、人間は死なないみたいなものが当たり前になってきて、日常生活ではむしろ死ぬのは異常なことだというようになってきましたね。
中川 そうですね。避けられない死は病院に閉じこめ、病院でしか死なない。そうすると若い子は病院にもきたがらないですよ。場合によっては死ぬまで死体を見ることがない。患者さんの問題ですけど潔癖で体に何の問題も作りたくないと思っている。その気持ちはわかるんですが、ただそうやって治療法を間違って選んだりする、結局そのほうが不幸になるんですよね。それで我々が個別にその方に説得しても、結局その方は無意識にそういう生き方を選んでおられるわけですから、なかなかそれは変えられない。
そうした集団的無意識を変えていくために、人は死ぬんだということを、患者さんも医者も理解しなければいけない時代になっているように思いますね。

BSジャパンの同タイトル番組を元に、養老孟司氏と中川恵一氏の対談を中心に、日本におけるがんを主とした緩和療法を考察し、それを通して「人間らしく生きるために必要な死生観」や「生きている間をどう生き抜くのか」を考える。
自分を生ききる 中川恵一×養老孟司 小学館 1,470円(税込)
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