遺伝子検査が可能にした「オーダーメード」のピロリ菌除菌治療

監修●古田隆久 浜松医科大学臨床研究管理センター准教授
取材・文●祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2011年6月
更新:2019年8月

薬の分解速度には個人差がある

代謝が速いタイプだと、どんどんプロトンポンプ阻害薬が分解され血中濃度が低下、胃酸を抑制する効果も低くなってしまう。古田さんによると「速いタイプと遅いタイプでは、血中濃度に10倍も差がある」という。

代謝が速いタイプの人は、プロトンポンプ阻害薬を服用して1時間後の血中濃度は、中間の人に比べて3分の1しかない。血液中の薬の濃度が低いのだ。そして、わずか5時間で血中からほとんど消えてしまう。そのため胃酸を抑える力も弱く、効果の持続時間も短い。

これでは、抗菌薬の効果を十分に発揮させる環境が整わない。反対に、代謝が遅い人では、プロトンポンプ阻害薬がなかなか分解されないので、効果的に長時間抗菌薬が効いてくれる。薬によっては効きすぎて困ることもあるが、プロトンポンプ阻害薬の場合はそういう心配もない。

酵素の働き方の差が、除菌治療の成否に大きく関わっているのである。実際、分解が速い酵素を持つ人のほうが除菌の成功率が低いことが知られている。

一方で、除菌治療に使われるクラリスロマイシンに耐性を持つピロリ菌も増えてきた。古田さんは「クラリスロマイシンは耐性ができやすく、除菌に失敗した患者さんの半数以上から耐性菌が見つかっている」という。

遺伝子を解析して薬の使い方を工夫

この2つの問題をどう克服するか。そこで古田さんが行っているのが、遺伝子検査によるオーダーメードの除菌治療なのだ。

酵素の働きが速いか、遅いかは「遺伝子多型」によって決まっている。遺伝子は、いわば体の設計図。酵素の働きも遺伝子によって規定されているのだが、この設計図にほんの少し違いがあると、同じ酵素でもその働き方に違いが出てくるのだ。これが遺伝子多型といって、個人差の正体なのである。

古田さんたちは、この遺伝子多型を胃から採取した粘膜組織や胃液を使って調べている。古田さんによると「日本人の35パーセントぐらいは代謝が速い酵素を持ち、遅い酵素を持つ人が15パーセントぐらい、あとの半分ぐらいの人は、代謝速度が中間の酵素を持つ」という。

その結果、代謝が速い酵素を持つとわかれば、プロトンポンプ阻害薬の投与量を増やす。ふつうは、1日2回プロトンポンプ阻害薬を服用するのだが、代謝が速い人の場合、これでは十分な酸分泌抑制効果が得られない。そこで、服用回数を1日3~4回に増やす。こうすれば、代謝の速い人でも抗菌薬が胃の中で効果が発揮できるようにすることができるという。

一方、抗菌薬のクラリスロマイシンに耐性があるかどうかは、採取したピロリ菌の遺伝子解析からわかるそうだ。もし、耐性があれば、クラリスロマイシンを、別の抗生物質に変えている。

もう1つ重要なことは、抗菌薬のそれぞれの薬理学的な特性に従った投与をすることである。

たとえば、アモキシシリンの投与は通常では1日2回であるが、これを4回に増やす。これは、アモキシシリンは、半減期が短く、すぐに血中濃度が低下してしまうため、朝晩2回アモキシシリンを服用する今の方法では、抗菌薬の作用が全くない時間帯ができてしまい、除菌治療の失敗につながる。そこで、アモキシシリン効果を高めるために、投与回数を増やして有効血中濃度が達成できている時間を長くしているのである。

一方、クラリスロマイシンやメトロニダゾール()は1日2回の従来の投与方法でよいということである。

また、キノロン系の薬は1日1~2回で十分ということであり、飲みやすさも大事であるが、個々の薬物の特徴に応じた投与方法を行うことも重要としている。

さらに除菌治療が難渋した場合では、除菌治療の期間を2週間に伸ばすなどの対策をとる。

こうして遺伝子検査を利用して薬の使い方を変えることで、70パーセントほどだった除菌率は96パーセントまで上昇している。実際には「諦めないで、除菌できるまでつき合う」のが古田さんのモットー。薬を変えたり、投与方法を変えてほとんどの人で除菌を成功させている。

メトロニダゾール=一般名

胃がんリスクを総合的に評価

[胃がんのリスク評価]

  PG法陰性
PG1>70ng/mlまたは
PG1/2比>3
PG法陽性
PG1≦70ng/mlかつ
PG1/2比≦3
抗ピロリ菌抗体陰性 A群
抗ピロリ菌抗体陰性、
PG法陰性
D群
抗ピロリ菌抗体陰性、
PG法陽性
抗ピロリ菌抗体陽性 B群
抗ピロリ菌抗体陽性、
PG法陰性
C群
抗ピロリ菌抗体陽性、
PG法陽性
A群
胃がんの発生ほとんどなし
C群
胃がんの発見率0.59%、
内視鏡定期検査2年に1回
B群
胃がんの発見率0.07%、
内視鏡定期検査3年に1回
D群
胃がんの発見率1.55%、
内視鏡定期検査1年に1回
胃粘膜の委縮の程度は血清ペプシノゲン(PG) の測定でわかる。胃がんのリスク評価は、ピロリ菌抗体とともにPG法(ペプシノゲンⅠの数値、そしてペプシノゲンⅠとⅡの比)から測定する。PG法陽性(ペプシノゲンⅠが70ng/ml以下、そしてペプシノゲンⅠ、Ⅱの比が3以下)の場合、胃がんのリスクが高くなるが、抗ピロリ菌抗体陽性であれば、PG法陰性でも胃がん発症がある。つまり、B群のようにPG法陰性の場合でも、抗ピロリ菌抗体陽性の場合は、胃がんになる可能性がある。だからPG法だけでなく抗ピロリ菌抗体を併せて調べる必要がある

古田さんは、すでに遺伝子検査によるオーダーメードの除菌治療を、2007年から一般外来で行っている。

今回、改めて専門外来を開設したのは「胃がんのリスク評価と遺伝子解析によるオーダーメードのピロリ菌除菌治療をトータルに行いたかったから」。

ピロリ菌の感染が長期に続くと、胃粘膜の炎症からやがて胃粘膜の萎縮が起こる。この状態がひどくなっていくと、胃がんのリスクも上昇することがわかっている。

萎縮の程度は、血液に含まれるペプシノゲン1と2という酵素の測定でわかるそうだ。この酵素の値とピロリ菌に対する抗体の有無で胃がんのリスクは表のようにAからDまで4つの群に分けられる。除菌が必要なのはB群から。感染を放置すればB群もやがて、胃がんリスクの高いC、D群に進んでしまうのだそうだ。実は、冒頭のAさんもB群だった。

除菌治療後は「B群は3年に1回、D群は1年に1回胃がん検診が推奨されていますが、内視鏡治療ですむ段階で胃がんを発見するという意味では、できれば年に1度は検査を受けてほしい」と古田さんは語っている。

除菌治療に遺伝子検査を導入している病院はまだ少ないが、「除菌に失敗した人は漫然と除菌治療をくり返すのではなく、遺伝子検査で自身の体質やピロリ菌のタイプを知り、薬の特性を活かした治療を受けてほしい」と語っている。

内視鏡検査や薬の処方は健康保険が適用。遺伝子診断は自費で1万2千円ほどかかる。


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