手術痕を残さず、後遺症も防ぐ甲状腺がんの内視鏡補助下手術

監修●原 尚人 筑波大学大学院人間総合科学研究科疾患制御医学専攻外科学(乳腺甲状腺内分泌)教授
取材・文●祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2011年5月
更新:2019年8月

視野の確保に内視鏡を用いる

「この後遺症を何とかしたい、最小限の手術で残せるものは残したいと手術法の研究を始めたのです」と原さんは語る。

10歳のときに、原さんは乳がんで母を亡くし、医師になることを決意した。それだけに、患者のQOL(生活の質)に対する思いは人一倍強いのだろう。

どうするか考えたときに、思いついたのは、首の筋肉の隙間から甲状腺を切除することだった。腹部の手術でも腹筋を切らずに腹筋の間から分け入って手術をする。首でも同じように、筋肉を切断しないで隙間を広げて奥に入り、甲状腺もリンパ節も切除できるはずだ。

こうして生まれたのが「前頸筋群完全温存法」だった。その結果、傷痕は5~6センチにまで縮小。

写真:内視鏡補助下手術の新技術

わずかな傷で甲状腺全摘やリンパ節郭清を行えるのが、甲状腺がんの内視鏡補助下手術の新技術だ

筋肉も切断しないので、以前のような萎縮や激しい肩凝りもほとんどなくなったという。1991年のことだ。

しかし、そこで終わりではなかった。どこまで傷痕を小さくできるか、原さんの挑戦は続いた。首の切開を小さくする上で、1番大きなネックになったのは視野だった。

切開部位から1番離れた甲状腺の上部や脇にある側方リンパ節は深い部位にあるので、なかなか小さな切開からは見えにくい。

それならば、見えづらい部分は内視鏡を入れて、モニター画面で確認しながら手術をすればいいのではないか。そう考えて生まれたのが、「内視鏡補助下手術」だったのである。

傷は2センチ余りに縮小した

写真:シリコンのリング
写真:摘出した甲状腺の右葉

(上)原さんが工夫したのがシリコンのリング。切開した皮膚にはめこみ、皮膚を保護しながら内視鏡を動かす。切開���わずか2.4cmですむ
(下)摘出した甲状腺の右葉。白くなっているところが、がんの部分

もう1つの工夫が、シリコンのリング。切開した皮膚にリングをはめこむと、皮膚を保護しながら、ある程度リングの位置を動かすことができる。皮膚は伸縮力があるからだ。見たい方向、手術したい部位にリングを引っ張って内視鏡を動かすことができるのだ。

リングの直径は2センチ。それより少し大きく、2.4センチの切開で手術が可能になったのである。数カ月後にはほとんど傷痕は見えなくなってしまう。

だが、切開が小さくなったことで、リンパ節郭清が不十分になることはないのだろうか。

この点も、きちんと原さんは検証している。「耳の下から鎖骨窩まで、ふつうの手術と同じか、むしろ広い範囲のリンパ節郭清ができます」というのである。それならば、通常範囲のリンパ節郭清は十分に行える。

さらに、手術で原さんが大事にしているのは、副甲状腺を残すことだ。副甲状腺は、甲状腺の裏側に2対4個ある臓器で、カルシウムの調節に欠かせないホルモンを分泌している。といっても、大きさは米粒の半分ほど。リンパ節と大差ない。原さんが摘出した小さな組織を鑑別に出したのもそのせいだ。

「甲状腺を摘出すると甲状腺ホルモン剤を服用するのですが、これは1錠10円ほど。ところが、副甲状腺が失われると、カルシウムの量を調節するためにビタミンDを飲まなくてはならないのですが、この薬は少し高くて一生飲むと何百万円とかかってしまうのです」

だから、必ず副甲状腺を残すようにする。今日の患者さんも最低3個は副甲状腺が残ったので、薬はいらないそうだ。副甲状腺が残せるかどうかに、甲状腺手術のプロとそうでない人の差が現れるともいう。

先進医療で認可

内視鏡の手術対象になるのは、乳頭がんで2センチぐらいまで。だが周囲への浸潤がなくて縦長のがんならば、5センチぐらいまで適応になるそうだ。先進医療の認可を受けているので、手術には14万1千円かかるが、検査や入院には健康保険が適用される。

内視鏡を導入した手術は、傷痕の縮小が目的なので、手術時間や入院期間、出血量などは、前頸筋群完全温存法とほとんど変わらない。平均的な手術時間は2~3時間。手術後3~4日の入院が必要なのも同じだ。といっても、比較する温存手術が、平均よりかなり高いレベルの手術であることを忘れてはならない。

傷痕は、最近のデータでみると温存法だと平均6~8センチだが、内視鏡では2.4~3.2センチと明らかに小さい。もっとも他病院では15センチも切開しているのだから、どちらの方法でも比較にならないほど小さいのだ。

高い技術が必要な内視鏡手術

写真:出血量も平均40ccとわずか

手術跡の傷が小さいだけでなく、出血量も平均40ccと、わずかだった

ただ、ネックは内視鏡手術は誰でもできるものではないという点だ。首には大事な血管や神経が多く走っている。甲状腺自体血液が多く、出血しやすい臓器だ。それを、これだけ小さな切開から、わずかな出血で後遺症もなく摘出できるというのは、今のところ、世界中で原さんしかいないのである。ちなみに、今日の手術の出血量はわずか20cc、平均でも40ccほどだ。

「今後は、超音波メスの幅を傷口に見合うぐらい細く改良したいですね。それから内視鏡がさらに細くなって、自由に曲がるように進歩すれば、胸部など別の部位からアプローチして首に傷が残らないようにしたい」と原さんは将来を語る。同時に、内視鏡下の手術ができるように、医師の教育にも励む。

ちなみに、原さんは年間60~80例ほどの甲状腺がんの手術を行っているが、3カ月待ちがふつう。早期の乳頭がんなら3カ月待っても問題はないそうだ。


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