輸血ゼロ、勃起神経温存にうってつけの、膀胱がんこそロボット手術
輸血の頻度が激減
その結果、前立腺がんの全摘手術にも大きな変化があった。同病院では、現在前立腺全摘手術の85パーセント以上がダヴィンチによって行われている。
橘さんは「手術時間は、開腹でも腹腔鏡下でもダヴィンチでも、大差ないのです。しかし、1番大きいのは出血量の減少です」と語る。海外のデータをみても、ロボット手術は出血量が少ないので、腹腔鏡下手術より、輸血する率が低い。同病院でも、204件前立腺の全摘手術を行った段階で、輸血が必要になった患者はたった2人だそうだ。
「出血量が多いと体にも負担がかかり、回復にも時間がかかります。ですから、患者さんの負担を減らす意味でも、出血量が問題なのです」と橘さんは話している。
もちろん、がんの治療成績は開腹でもロボット手術でも変わらない。こうした前立腺がんの全摘手術でのデータをもとに、2年ほど前からダヴィンチによる膀胱がんの全摘手術に踏み切った。
膀胱全摘の合併症予防に有利
「膀胱がんでも1番出血が多いのは、前立腺部分の尿道の剥離なんです。前立腺を摘出して残った尿道と膀胱をつなぐ処置がうまくできれば、膀胱を摘出するのは、そう難しいことではないのです」と橘さんは語る。
前立腺全摘術の経験から、膀胱の全摘手術に自信がもてたのだ。かつ、ダヴィンチで手術を行うメリットは、膀胱のほうが大きいと橘さんは指摘する。
「機能温存のために勃起神経を残すのですが、勃起神経は前立腺にへばりつくように存在し、神経と血管の束が一体化して見分けがつかないのです。これを残すのは至難の業。しかし、ダヴィンチで10倍に拡大して前立腺部尿道を見ながら処置をすると神経を見分けやすいのです」
尿道を締める尿道括約筋もすぐそばにある。これを傷つければ尿失禁、勃起神経を傷つければ勃起障害が起こる。いずれも、膀胱全摘の代表的な合併症だが、これを防ぐのにもダヴィンチが向いているのだ。
膀胱全摘では輸血が必要になることが多いのだが、これまでダヴィンチで膀胱全摘を行った6例の患者さんで、輸血が必要になった人は1人もいない。
冒頭の患者さんは、ダヴィンチによる膀胱全摘術を受ける7��目の患者さん。筋層浸潤以上が、膀胱全摘の対象になるが、この患者さんは「病期でいうとT3以上(膀胱周囲の脂肪組織に浸潤(*)。術前の検査では、がんの大きさは3~4センチ。転移は認められませんでしたが、経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-Bt*)で削りとることは困難だったので、ダヴィンチによる全摘術が適応になった」そうだ。
最近は、化学療法でがんを縮小させてから手術に持ち込む例もあるが、膀胱がんの化学療法は有効率65パーセント。3コースは必要なので、化学療法に3カ月はかかる。万が一化学療法が効かなければ、無駄に3カ月を浪費することになる。そこで、橘さんたちは手術を先行し、病理診断の結果をみて必要ならば術後に化学療法を行う方法をとっている。
*浸潤=がん細胞が周辺の細胞に広がっていくこと
*経尿道的膀胱腫瘍切除術=尿道から膀胱内に内視鏡を挿入してがんを切除する方法
膀胱の切除まではロボットで

ダヴィンチのアームに付く手術器具はおよそ10種類。サージカルコンソールボックスの中で、執刀医は足でクラッチを踏み、切断用や保持用の鉗子、縫合用のニードルホルダーなど、必要な手術器具に変更する。電気メスの操作は、足でバイポーラを踏んで通電する。
ハサミを開くように鉗子を広げて組織を分け、鉗子で組織をつかんで電気メスで焼いて止血するなど、アームの動きは人間の手そのもののように細やかだ。ダヴィンチには触覚がないが、触れた組織の反応で視覚がカバーして経験的に固さがわかるという。
その動きで、尿管と精管、精嚢腺まで剥離し、膀胱につながる尿管を切断。米粒より小さなリンパ節も切除する。切除したリンパ節は、助手の医師が別のポートから取り出す。3次元画像ではないが、周囲のスタッフもモニター画像で執刀医が見ている術野を共有しているのだ。
最後に操作が難しい前立腺部尿道の処理をして、「とりますよ」の声とともに膀胱を尿道から切断。ここまで約2時間半。実は、ここでダヴィンチの仕事は、終了する。
出血量が少なく、術後の回復が早い
ここからは、ヘソの下に長さ10センチほどの切開を入れて、切除した膀胱を摘出。そのまま尿路変更の手術を行う。つまり、1番膀胱全摘術で難しい部分をダヴィンチが担当しているのだ。
「私たちは、できるだけ自然に排尿できるように回腸を使った新膀胱を作っています。しっかり縫わないと尿が漏れてしまうので、今の段階では新膀胱は開腹手術で作るのがふつうなのです」と橘さん。新膀胱は回腸を60センチほど切って開いて袋状に縫い合わせ、尿管と尿道につないだもの。精密な縫合機ができない限り、ダヴィンチで行うことは難しい。
同病院では、臨床試験として10例を目安にダヴィンチによる膀胱全摘術を行い、成績を検討する。今のところ「輸血の必要がないので、術後の回復が早い」と橘さん。尿路変更術の方法にもよるが腹腔鏡ならば2週間は入院が必要だが、ダヴィンチで膀胱全摘をした人の中には、10日で退院した人もいたそうだ。
今、日本で稼働しているダヴィンチは13施設で16台。
まだアメリカには遠く及ばないがようやく研究も本格化してきた。患者にとってよりやさしく、安全な手術の普及が待たれるところだ。