低侵襲・高精度治療を目指すダヴィンチによる肺がん手術
出血が怖い肺がん手術

ダヴィンチによる肺がん手術は、今回で23例目。肺がんの手術は、長く開胸手術が行われ、胸腔鏡手術の導入も遅かった。
須田さんによると、「腹部は、血管が傷ついても大出血する危険がないので、割合早くから腹腔鏡手術が行われました。しかし、肺には肺動脈や肺静脈など太い血管があり、ちょっとでも傷つけると大出血する危険があります。ですので胸腔鏡手術の導入にも慎重だったのです」と話す。
だが、開胸手術は患者さんの負担も大きい。肺は意外に大きいので、傷も大きいのだ。背中から胸にかけて30cmほど皮膚を切開し、5番か6番の肋骨を切断して行われる。さらに開胸器を使って1cmほどしかない肋骨の隙間を20~30cmにまで広げる。そのため、骨や神経にも負担が大きく、退院まで2~3週間かかるのが普通だ。
患者さんの負担を軽くしたい、と考えた須田さんたちは、2004年の1月から胸腔鏡による手術を開始したが、これも「胸腔鏡手術で、手の代わりに圧迫止血ができる道具ができたから」だ。ソラココットンという長い棒の先に固くガーゼを巻いた綿棒が登場(写真6)。胸腔鏡手術の際に万が一大出血した場合でも、これを挿入し、圧迫止血ができるようになった。
胸腔鏡手術の場合は、肋骨を切断する必要もなく、3~4cmの傷が1個と1cmの傷が2つできるだけですむ。患者さんの負担も格段に軽くなるのである。
操作が難しい胸腔鏡手術

現在では、胸腔鏡手術も保険で認可され、多くの病院で行われるようになった。
ただし、海外では胸腔鏡手術といえばすべてを胸腔鏡下にモニター画面をみながら行う完全鏡視下手術だが、日本では部分的に胸腔鏡を使う手術も多い。この場合は、切開も5cm~10cmと大きくなり、開胸器も使われる。胸腔鏡手術といっても、きちんと確かめないと予想と違う手術が行われる場合もある。
須田さんたちが導入したのは、完全鏡視下手術。胸の脇にあけた3~4cmの切開と1cmの切開2カ所から、すべての手術操作が行われる。
胸腔鏡手術に移行してから、開胸手術では退院まで手術後2~3週間かかっていたのが1週間に短縮。手術時間そのものはあまり変わらないが、出血量も平均400ccから100cc以下に減ったという。「胸腔鏡手術だと、カメラで拡大して術野を見ているので、細かい出血も気になります。それをきちんと止血するせいではないか」と須田さんは話す。
手術後に排液を出すために管(ドレーン)を留置する時間も短縮した。開胸手術では4~5日留置していたが、胸腔鏡手術では2~3日で抜けるようになったそうだ。患者さんにとっては、傷が小さく、回復が早いのが、大きな利点だ。「完全鏡視下手術では筋肉を切らないので呼吸筋が保たれ、呼吸機能が低下しないことも大きい」と須田さんは話す。
といっても、胸腔鏡手術がすべてに優れているわけではない。胸腔鏡手術で難しいのがリンパ節の郭清や切断した気管支の手縫いだ。
胸腔鏡手術は、モニター画面をみながら行うので、2次元の平面的な画像をみながら、鉗子やメスを操作しなければならない。しかも、胸腔鏡手術専用の長い柄のついた器具を使わなくてはならないので、「部位によっては、極めて操作性が悪い」のだそうだ。とくに、リンパ節郭清は、難易度が高い。
日本で、胸腔鏡手術といいながら完全に胸腔鏡だけで肺がん手術を行うところが少ないのも、1つにはそのためである。また、気管支近くにがんが浸潤している場合は、気管支を切断して手縫いで閉鎖したり、吻合しなければならない。しかし、これは胸腔鏡では至難の技。動きの制限された器具で、正確に気管支を縫うのは難しい。
肺がんの手術には、合併症の危険は少ないが、気管支をしっかり縫わないと気管支が損傷したり、漏れを起こす原因になる。そのため、気管支の手縫いが必要な手術は、開胸で行われているのが現状だ。
こうした胸腔鏡手術の限界を打破できるのではないかと、須田さんが注目したのがダヴィンチだったのである。
細かい作業に利点が
ダヴィンチは、手術する部位が肉眼でみるように立体的にみえること、ロボットアームの関節が多関節で、人間の手首よりはるかに自由に動くのが、最大の利点だ。手振れも補正してくれる。操作するのは人間だが、細かい作業は、ダヴィンチのほうがむしろ精度が高いのである。「触覚はありませんが、まるで自分が胸腔内にいるように感じる」と須田さんは、その感覚を評している。
これならば、深部のリンパ節や円形の気管支も、立体的にみながら、好きな方向からメスや針を近づけて、郭清や縫合ができるのではないかと、須田さんは考えたのである。もちろんその前提にあるのは、「安全性とがんを確実にとりきること」だ。
「開胸手術からいきなりダヴィンチで手術というのは問題があると思いますが、ダヴィンチも胸腔鏡手術の方法の1つです。訓練は必要ですが、胸腔鏡手術に慣れた人なら、そう難しいことではないのです」と須田さん。むしろ、習得に要する時間は、一般の胸腔鏡手術より、ダヴィンチのほうが短いそうだ。
先進医療にして医療費の軽減を
こうして須田さんは2009年11月、日本で初めて肺がん手術にダヴィンチを導入した。胸腔鏡の適応になる肺がん手術は、すべてダヴィンチで手術できるが、さらに胸腔鏡ではできなかった気管支の手縫いが必要な肺がんも、ダヴィンチで手術できるようになったのである。
まだ症例数が少ないので、全国規模で治療成績を集計中だが、手術時間こそまだ多少長いものの、出血量やドレーンの留置期間、合併症の出現率、入院期間など、完全鏡視下手術と全く遜色はないそうだ。むしろ「リンパ節郭清など、ある部分では人間より精度の高い手術ができるので、ダヴィンチで他の手術法より再発率が高くなることはありえません」と須田さんは語る。
また、長い棒状の器具を入れて長時間操作する完全鏡視下手術に比べて、自在に関節を動かせるダヴィンチは肋間神経を圧迫しないので、痛みも少ないといわれている。これも、患者さんにとっては大きなメリットだ。ただし、まだダヴィンチには保険が認可されていないので、自費で220万円ほどかかる。
同大では、3つの手術方法が可能な場合、それぞれの特徴を説明し、患者さんに選んでもらっている。現状では、90%が胸腔鏡による完全鏡視下手術を選択しているが、これも費用の問題が大きいからだろう。
まだ、肺がん領域では始まったばかりの治療法だが、「まず先進医療の認定を受け、混合診療を可能にして患者さんの経済的負担を軽くすることが必要です。すでに人間の手で行う手術には限界が見えてますが、ロボット手術はこれから改良されていく可能性が大きいと思います。近い将来、ダヴィンチが完全鏡視下手術にとって代わる時代が来るかもしれません」と須田さんは期待している。