腹腔鏡によるがん治療を拓き、進歩させ続ける
盟友との挑戦、腹腔鏡手術の道を拓く
今や、渡邊さんが行った大腸がんの腹腔鏡下手術は千数百例。日本の先駆者であり、第一人者である。しかし、そのスタートを語るときに忘れられないのが親友であり、天才医師と呼ばれた故・大上正裕さんの存在だ。
渡邊さんは、当初内視鏡手術には、あまり「興味はなかった」という。それを一変させたのが、腹腔鏡だった。
腹腔鏡手術は1987年、フランスで始まった。バンクーバーに留学中だった大上さんはフランスで腹腔鏡手術を見学して感動。渡邊さんに「これからは腹腔鏡手術の時代だ」と興奮して電話をしてきた。
日本では、1990年に行われた胆のう摘出術が最初の腹腔鏡手術だった。その2カ月後には、大上さんも腹腔鏡手術を開始。1992年6月には慶應義塾大学附属病院で大上さんと渡邊さんが組んで日本初の大腸がんの腹腔鏡手術を行った。
1例目は78歳の男性。「開腹手術ならば1時間半で終わる手術に、何時間もかかった」という。しかし、渡邊さんは術後の患者さんの状態に驚いた。
「世界初の腹腔鏡による大腸がん手術が行われたのはその前年。まだ試行錯誤の段階でした。ところが、患者さんがすごく元気なのです。開腹手術だと1週間は食事ができないのに、腹腔鏡で手術をした患者さんは、翌日には歩くし、食事ができる。それを見たときに、腹腔鏡にはまったのです」。渡邊さんが39歳のときだった。
もちろん、時間はかかる、視野が狭いなど周囲からの反発は大きかった。しかし、外科医が実際の手術画像を見て納得していくのである。腹腔鏡ならば手術野を拡大して肉眼よりはるかに精密にみることができる。だから出血も少ないし、骨盤神経叢も見極めやすいので合併症も減る。
「術後の腸閉塞も少ないし、癒着が少ないのも腹腔鏡下手術のメリットです」
その後、大上さんは1998年の世界内視鏡学会で見たダヴィンチ*の将来性を先見して日本への導入の道筋をつけた後に、この世を去る。モニター画面を使った遠隔操作の可能性にも注目し、「将来、いろんな学会でお前が腹腔鏡下手術について話すようになる」と、渡邊さんの今も看破していたという。
*ダヴィンチ=手術支援ロボット
機器の著しい進歩で適応拡大

その間に、機器も進歩した。カメラの性能が著しく向上し、腹腔鏡もハイビジョンや3Dに移行した。血管を凝固して切断する超音波凝固装置が登場し、自動で切断と同時に部位をつなげる自動吻合器も登場した。
こうした機器を利用して、詳しく内部を観察し、渡邊さんたちは「腹腔鏡でみた解剖学」を作り上げてきた。そして、1996年にはT2(固有筋層に浸潤したがん)の進行がんに腹腔鏡下手術の適応を広げた。
早くから進行がんの手術を行ってきた欧米では、一時期ポート周辺部からの再発が問題となったが、これは技術的な問題と判明。現在では1%以下になっている。
「欧米では、1990年代の終わりから開腹手術と腹腔鏡手術を比較する無作為化比較試験(RCT)が行われてきたのですが、いずれも死亡率・合併症とも同等あるいは腹腔鏡のほうが優れているという結果でした」
日本の大規模試験でも、短期で良好な成績が示されており、長期予後についてもまもなく結果が出るそうだ。
進行がんに対する適応には、まだ病院によって違いがあるが、渡邊さんは、進行がんで腹腔鏡下手術ができないのは、「極端に大きいがんや他臓器にも浸潤してその臓器も一緒に切除の必要がある場合」と語る。
逆に言えば、そうでない多くの進行がんは腹腔鏡で手術が可能といえる。実際に、今では大腸がんの腹腔鏡下手術は早期がんより進行がんの比率のほうが高い。
直腸がんの場合、化学療法は術前か術後かなどまだ治療法自体が確立されていないが、狭くて神経叢が集まる骨盤内の直腸の手術には、腹腔鏡は極めて有効な武器だ。渡邊さんたちは、前向きの臨床試験で0~1期の直腸がんで腹腔鏡下手術が安全に行えることも報告している。
腹腔鏡手術を標準治療に

腹腔鏡下で大半の大腸がんを手術するところがあれば、早期のみを適応としているところもあるなど、まだ施設間の差が大きいが、ある調査では大腸がんの腹腔鏡手術を行う施設は38%と出ている。しかし、渡邊さんは実際にはより多くの施設で腹腔鏡を導入しているのではないか、とみている。それだけ、患者さんのニーズが高いからだ。
傷が小さく回復が早い、出血が少なく術後の腸閉塞や癒着も少ない、体力のない高齢者でも可能など、腹腔鏡の利点は多い。ところが、まだ日本では標準治療になっていないのである。
そこで、「腹腔鏡下手術の利点を伝えるのが自分の使命」と語る渡邊さんは「技術格差をなくすために日本内視鏡外科学会では技術認定医制度も設けられました。しっかり教育をしながら質の高い手術を行い、標準治療として認められるだけのデータを出していきたい」と、今後の課題を語っている。