時にエビデンスをも越え、患者さんの〝生きる〟に寄り添う
大切にしているのは医師としての心
外科医としての技量は当然のこととして、坪井さんが大事にしているのは、医師としての考え方、ポリシーだ。
坪井さんは祖父を胃がんで亡くしたことがきっかけで早くからがん医師を目指した。呼吸器外科を専門としたのは、専門医が不足していると知ったからだ。
坪井さんは、「医師は初期教育が大事」というが、それは自身の経験によるところも大きい。坪井さんは、恩師や先輩に恵まれてきた。
東京医大時代には、肺がんの培養細胞を樹立し、肺がんの光線力学的治療法を開発するなど、天才的外科医といわれた早田義博さんが教授だった。赴任した国立がんセンター(現・国立がん研究センター)には、胸腔鏡手術の先駆者であり、肺がん手術を開拓してきた成毛韶夫さんや土屋了介さんがいた。試行錯誤の時代に成毛さんの胸腔鏡手術の助手も勤めた。
日本の医学史に名を残す名医に出会い、その手術を見てきたのである。そこで学んだのは、技術だけではなく、彼らの考え方だった。
こんなこともあった。医師になって間もない頃、32歳の女性患者さんを受け持った。すでにがんは進行し、彼女のご主人は故郷の青森で死なせたいと希望していた。ところがある日、本人が「死にそうな気がする」と坪井さんに言う。まだ、そんな状況ではないはずだ。だが、坪井さんの回診が終わって15分後、喀血して彼女は亡くなってしまったのである。
動転した坪井さんは、何とか蘇生したいと懸命に処置をする。それを一喝したのが先輩だった。「どこから出血したのかわからないのか、そんなことをしてもダメなものはダメだ」
治療の影響で、肺動脈が破れ、気管支に通じてしまった結果の出血だった。しかし、先輩は冷徹な科学者ではなかった。「ご主人が来るまで、温かくしておいてあげたいと話をしていたら、毛布を持ってきてくれたんですよ。それがうれしくて」
そう語る坪井さんの目から涙が溢れ出す。今もそのときのことが、坪井さんの胸を熱くさせるのだ。
この人は、どんなに忙しくても名医と言われても、患者さんの痛みや死に慣れることなく、丁寧に、真正面に向かい合って心を砕く。その姿勢を忘れない人なのである。
ガイドラインは患者さんを縛るものではない
今、坪井さんは「手術の成功とは、元の生活に戻ること」と考えている。
肺がんも早期発見が増えて、大学病院では35~40%、一般病院でも3割近くが手術可能な時期に発見されるようになった。「80歳以上の患者さんの手術も日常的にありますが、手術でがんは取れたけど寝たきりになったでは、困るんです」
大事なのはリハビリだというのである。
手術は2~3時間ほどで終わるが、リハ���リは葉単位の切除でも3~6カ月。全摘ならば、1年は必要になる。リハビリをして術後1カ月でゴルフ、術後3カ月でフルマラソンができるようになった人もいるそうだ。
それだけ頑張れるかどうか。最適な治療法を選択するためには、患者さん本人の理解度やこれまでの生活、環境、本人の希望などをじっくり聞いて方針を打ち出す。

そこで向き合うべきは、家族ではなく、本人だ。家族が手術を希望しても、本人が様子をみたいと言えば、そうする。
逆に、完治や延命のチャンスがありそうな治療法があり、患者さん本人が一緒に頑張りたいと希望すれば、たとえガイドラインから外れても治療をする。
坪井さん自身もガイドラインの検討委員だが、「どれだけ患者さんと向かい合って一緒にやろうとするか、患者さんが頑張ろうと思ってくれたら、ガイドラインは縛りにならないんですよ」と話す。そのために重要なのがコミュニケーションだ。
そして、患者さんを診ることと同じように大事と語るのが看取り。「現実的には難しくても、関わった患者さんは最後まで診たいという気持ちが大事なのです」。それを教えてくれたのも患者さんだ。
骨転移で下半身麻痺になった女性がどうしても病状を知りたいという。話そうとしない主治医に代わって、坪井さんたち若手が説明した。気丈に受け止めた彼女は、最後に家で家族に食事を作ってあげたいのだと話した。
「最期の時まで、医師として患者さんの思いを全うさせる努力をすることが大事なんです」と坪井さんは語る。
「僕が諦めたら、先がない」
その結果、奇跡を起こした患者さんもいる。
28歳で肺がん、胸膜播種のため手術不能、余命半年と診断された男性がいた。彼は、諦めきれずに化学療法を求めて坪井さんを訪ねてきた。この患者さんは再発して亡くなったが、4年半、延命した。
「3年半たった頃に、すごくうれしそうに『ボクは3年半生きれました』と話をしてくれました。あのさわやかな笑顔は今も忘れられません」
肺がんで転移した縦隔リンパ節が、るいるいと腫れた女性のケースでは上大静脈にがんが食い込んでいたために、手術中に大出血を起こしたところに呼ばれ、がんが残っている血管を何とか人工血管につないで急場をしのいだ。
常識的には早い時期に再発、転移してしまう状況だ。しかしこの患者さんも抗がん薬と放射線治療を行い、9年経った今、再発なく元気にしている。
「僕らが諦めたら、もう先はないのです。ベストな治療法を積み重ねれば、助かる人がいると思うのです」と坪井さんは言う。
指導者になった今、坪井さんは技術だけではなく、こうした医師としてのマインドやポリシーを受け継いで欲しいと願っている。代替療法も、むげに否定するのではなく、患者さんのために検証が必要と考えている。患者さんが情報交換のために立ち上げた組織にも関わり、維持したい。
坪井さんが患者さんのためにしたいこと、そこに終わりはないようだ。