体と心の痛みを緩和して、患者さんの命に寄り添う

取材・文●祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2014年3月
更新:2015年8月

苦痛の原因をとらえる

余宮さんが、緩和医療が症状の緩和だけでは十分ではないと思い至ったのは、がんセンターに来て間もない頃だった。

ある時、患者さんの部屋を訪ねると、こう言われた。「痛みも呼吸困難も楽になったけど、なんかかゆいところに手が届いていないような。でも、そんなの贅沢よね」と話を打ち切ろうとする患者さんの言葉を余宮さんは聞き逃さなかった。こういう時こそ、患者さんの言葉にできない感覚をとらえるチャンスなのだ。

「私がこの部屋から出て行ったら、その後は、どう過ごしているのですか」

見舞いの家族も来院するのは午後。患者さんは、狭い部屋で一人、窓の外を見ながら昔の思い出をたどるだけだという。

そこで余宮さんはハッとした。活動できたらどうなのだろう。

「車イスで散歩しますか」

それで患者さんは「病院がどんな構造で自分がどこにいるのか初めてわかりました」と微笑んだという。狭い部屋の中で寝たままでいることが患者さんには苦痛だったのだ。

この時余宮さんは、緩和ケアは痛みをとればゴールではない、たとえ痛みがなくなっても患者さんが満足しなければ十分ではない。逆に、症状が少し残っても患者さんが満足すればよきケアなのだ、と気づく。

「もちろん100%わかるわけではありませんが、患者さんの満足を得るには何が気がかりで苦しんでいるのかを考えることが大事。それは時間のかけ方ではなく、スキルなのです」と語る。患者さんの抱える苦痛の源をとらえること、それこそが緩和ケア医の腕だというのである。

朝は病棟でのカンファレンスに始まる。看護師とのしっかりとした連携が患者さんのケアを満たすものになる

「道具はいろいろもっていますし、カルテを見れば標準的な治療はすぐに浮かびます。しかし、その中でどれを使うかを教えてくれるのは患者さんです。それをキャッチするために、質問力が大事なんです」と余宮さんは語る。よきケアのためには患者さんの思いを引き出すコミュニケーション能力が極めて大事だというのである。

オールマイティな知識が必要

もちろん、もう一方の手にはつらい症状を緩和する確かな医療技術をもっていなければならない。痛みがあると、当たり前のようにオピオイドを出す医師は少なくない。だが、同じ右季肋部の痛みでも肝転移が原因ならオピオイドでいいが、がんによる脊髄圧迫が原因ならば全く治療が異なる。漫然とオピオイドを処方されて嘔吐し、緊急入院をした患者さんもいる。

便秘だからといって、それが���閉塞を原因とする患者さんであるのに腸の動きを活発にする薬を投与すれば、余計苦しくなる。「原因として何が考えられるか、検査や症状を十分に分析して必要な処置をしなければなりません。緩和ケア医はオールマイティに対処できなければならないのです」と余宮さんは語る。

がんの患者さんの症状は、脳や口腔から内臓、整形外科とあらゆる領域に及ぶ。その全ての症状に対応できなければ、緩和ケアはできないのである。だから、一般診療医よりもその点に関してはレベルが高いと自負している。

短時間で、症状の分析、評価を行い、適切な処置をする。同時に患者さんの心に寄り添い、残された日々を満足して過ごしてもらえるケアを行う。誰にでもできることではないように見えるが、それも患者さんから学んだことだという。

オピオイド=オピオイド鎮痛薬のこと。体内のオピオイド受容体に結合することにより、骨髄と脳への痛みの伝達が遮断され、痛みを抑える 季肋部=上腹部で、肋骨の下あたり

着たことのないパジャマ

余宮さんが、医師を目指したのは小学校3年の時。給食の時間テレビで見たカンボジア難民の姿に強く心を動かされた。「かわいそう、何とかしてあげたい」。そういう気持ちが人一倍強い人なのである。

忘れていたその志を思い出させてくれたのは今は亡き父だった。やがて、講演を聞いたのがきっかけで緩和ケア医こそ自分が進むべき道と直感したという。

「その人の人生の最期を輝かせてあげるのが自分の仕事と思ったのです」

緩和ケア医はオールマイティでなければできないと言われ、まず内科。次いでリハビリ医として研鑽を積み、埼玉県立がんセンターで緩和ケアを始めたのは34歳の時。「補助具も使って最大限に活動能力を上げることが緩和医療でも大事なのに、ここに来たらみんな寝たままで驚きました」と余宮さん。

しかし、そこには厳しい先輩医師がいた。すでに内科、リハビリでは自立できるだけのスキルをもっていた余宮さんだが、「1から教えるからトイレ以外はオレに付いてこい」と言う。

それが今の余宮さんを作った。「苦痛が緩和できるまで、患者さんの側を離れるな」というのが先輩の方針。朝の申し送りで、「Aさんは、つらくて眠れなかった」などと言おうものなら、患者さんが眠れないのに何で自分が寝ているんだと、叱咤する。それから今日に至るまで余宮さんはパジャマを着たことがない。常に出動態勢でいる。

苦しんでいる患者さんの側にいると、何とかしなくてはといろいろな知恵が出てくる。

「本当に困らないと知恵も生まれてこないのです。そこから、患者さんの苦痛の原因を短時間でつかむ質問の仕方も学んできたのです」と余宮さんは語る。

今後は、後進の育成が課題。

午後のカンファレンス。医師、看護師だけでなく、理学療法士などの医療従事者も交えて情報交換と議論を行う。患者さんに関わるすべてのスタッフが正しい情報を共有し、患者さんのケアに尽力する

「緩和ケアには、症状の緩和とその人らしく生きるためのケアがあります。医師は、患者さんの苦痛に対し漫然とオピオイドや制吐薬を使うのではなく、その原因をつきとめて、最低限苦痛のケアを施せるようになってほしい」と余宮さんは語る。そのために、講演活動も活発に行っている。

「患者さんに、心からありがとうと言ってもらえばそれが私たちの生きがい。安心して頼んでください」と語っている。

このような志をもつ医師やスタッフが増えたら、患者さんはどれほど幸福だろうか。

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