〝街角がん診療〟のフロントランナー がん治療のコンビニ化を目指す

取材・文●伊波達也
発行:2014年10月
更新:2015年8月


がんを追究したくて、総本山へ飛び込む

渡辺さんは、医学の道を志して、北海道大学医学部に進んだ。そして、卒業後は同大の呼吸器内科の医局に入る。

「当時の医局長が肺がんの専門家だったので、肺がんの患者をどんどん受け持たされました。ACTHという、正常では脳下垂体から分泌されるホルモンを無秩序・無限に産生する肺がんの患者を担当した時のことがその後の人生に決定的な転機をもたらしました。ACTHの作用により血液中のカリウム、ナトリウムなどの電解質や血糖値が乱れてしまいます。

私は、研修医として毎日、点滴の量を細かく計算するなどを、取りつかれるようにやりました。様々な患者さんの症例を体験する中で、がんは単にシリコンボールのように腫瘍の塊を作って機械的に圧迫するだけではなく、体の調整系をかく乱する生物体であることを認識したんです。それでいろいろ勉強しているうちに国立がんセンターで阿部薫先生がホルモン産生腫瘍の研究をしていることを知って、レジデント(研修医)に応募しました」

合格して、卒後2年で国立がんセンターに移った。その後、アメリカへも5年間留学した。阿部医師より、腫瘍内科部門を強化したいので帰ってこいと言われ、がんセンターに戻ると、肺がん、乳がん、血液がんを担当することになった。臓器縦割りを排して、横断的に様々ながんの治療に当たった。中でも乳がんをその中心に据えた。

「外科医が中心の乳がん診療の世界に内科医として参画した当初は、内科医に何ができる? という感じでした」。渡辺さんは「まるで四面楚歌ならぬ四面外科の状態でした」と冗談交りに当時を振り返る。

志のある開業が、地域がん医療を実現する

国立がんセンター時代には後輩の育成にも努めた。その後輩たちは、現在、日本の腫瘍内科医の主力メンバーとして数多く活躍している。渡辺さんはこう話す。

「後輩の先生たちに考えてもらいたいのは、一生涯の医師人生を通じて、どういう志で医療に当たるかということです。例えば、ある程度年齢が進んで、独立開業するとしたら、腫瘍内科の専門を諦め、生活習慣病などに対応するという普通の道はもちろんあります。でも、それは自分にとっても国家にとっても大きな損失ではないでしょうか。腫瘍内科医として培ってきた考え方、技量、経験、知識などを、出身地などに戻って活かしていけば、私が実践しているような「街角がん診療」を普及させることができるのです。これぞ、がん医療の『均てん化』なわけです」

全国にがん診療拠点病院を配して、大病院に患者さんを集中させるやり方は、20世紀型の医療態勢だと渡辺さんは言う。

「私の経験から外来薬物療法を診療所で安全かつ効果的に実施するノウハウは伝えることができます。街角がん診療というコンセプトで全国に同様の診療所が多数開設されることが、患者のニーズに合致したがん診療の本来の姿であると信じています。

例えば、点滴室として必要なハードウェアをユニットとして統一規格で作るといったことをメーカーがやってくれれば、建設コストを下げることも可能でしょう。電子カルテの共有化、薬物療法レジメンの統一などあらゆる点で標準化に務めていけば、〝街角がん診療〟は効率的に実現できるはずです。生活を犠牲にして、遠くの大病院に入院したり毎週点滴を受けに行くのではなく、朝、出勤前に外来で点滴して仕事に行くとか、子どもを送り出した後に点滴を受けて、少し休んで子どもの帰宅までに家に帰るとか、普段の生活を保ったままでがん治療を受けられる。そんな理想型を、皆に模索してもらいたいのです」

そんな渡辺さんの取り組みに注目して実践しようと考える人も徐々に増えつつある。人材は育っている。あとはその環境の整備だ。そこに収益が伴うかどうかは国の政策次第なのだが……。

「はっきり言って、収益性は悪いです。茨の道かもしれません。また、このような形態でやってみて初めて見えてくる難題はたくさんありますが、1つひとつ解決策を探していくのも、フロントランナーとしてのミッションだと心得ています。私の好きな本の一冊に、ジェームズ・アレンという人の『「原因」と「結果」の法則』というのがあるんです。これは、正しい思いがあれば、行動になって表れる。そうするとそれが習慣になり、その習慣が積み重ねられれば、いずれ人格となる。そうするとその人格を慕って人が集まってくる。そしてそのサイクルで自分も、集まってきた人も成長できるというものです」

だからどういう志を持って開業するかが大切なのだと渡辺さんは強調する。

NPOを立ち上げ、地元の人々への啓蒙活動

「市民講座」開始前のスタッフミーティング

渡辺さんは、開院以来、患者や地元の医療従事者に対する啓蒙にも力を入れてきた。2007年に認証された、NPO法人がん情報局では、理事長も務める。人々の「がんに対する誤解」、「不安」、「不透明感」を解消し、適切ながん医療を行えるようにと、様々な活動をしてきた。

取材当日開催していた『乳がん市民講座』(年2回開催)もこの日で18回目を迎えた。その内容はとても充実していた。基調講演の後、パネラーの医師たちが、事前に募った患者の具体的な質問に対して、1つひとつ丁寧に答えていく密度の濃いものだった。

あらゆるがん患者の中でも、乳がん患者の病気や治療を知ろうとする熱意は群を抜いていると言われるが、同講座は、地域の医療レベルを向上すると同時に、患者さんの乳がん治療に対する意識や知識もさらに向上させていることが実感できた。

これらの蓄積が、昇華された形で実現したとも言えるのが、2013年に浜松で開催NPOを立ち上げ、地元の人々への啓蒙活動された『第21回日本乳癌学会学術総会』だ。通常は大学教授が務めることの多い会長を、渡辺さんは務めた。しかも、外科が主力の同学会で、初めて腫瘍内科医としての会長だった。

「市民講座としての活動をずっと続けてきたことによって、地域での協力態勢ができていました。正に手作りの学会で、今までとは趣の異なる学会を実現して、一石を投じることができた思いでした。本当に日頃からの仲間たちのお陰で、感謝の気持ちで一杯です」

〝スーパー開業医〟のパイオニア的存在

最近、医療界では、専門知識と技術を武器に、地域医療に貢献する〝スーパー開業医〟が注目されているが、渡辺さんは正にそのパイオニア的存在といえる。

「自分の生まれ育った町で、安心して医療を受けて、亡くなっていくというのが、多く人々が望むことだと思います。そのためにはあらゆる病気の専門家が、地域医療の大切さを認識して、実践するべきだと思います」

渡辺さんは、同じ志で、地域医療に注力してくれる医師が増えることを願いつつ、自らも、さらなる目標の実現のために日々、その努力を惜しまない。

1 2

同じカテゴリーの最新記事