乳がんのすべてを診る 低侵襲治療へのあくなき挑戦
PET-CTで治療効果判定
福間さんが大切にするのが、診断だ。「マンモグラフィ、超音波、MRI、PET-CTが代表的な検査です。そこから得た所見をどのように手術室のベッドに持ち込むかが一番大事なのです」
PET-CTは、放射性造影剤を体内に入れ、その放射線をカメラでとらえて画像化するもので、全身を一度に調べることが出来るのが大きな特徴だ。手術前に行えば転移のチェックとなるが、福間さんは術後の治療効果判定にとくに有用だと話す。
「再発は判定が難しいのです。その際にPET-CTが重要になります。オリゴメタ(oligometastases)と呼ばれる転移の数の少ない再発のチェックにはとても有効です。早く見つけることに意義があります」
再発の早期発見に加え、福間さんが強調するのが、患者さんへの負担軽減だ。効かない抗がん薬を早く判定できれば、国としての医療費削減にもつながるのが重要だと考えている。
そして、治療の分野で、福間さんの個性はさらに際立つ。
世界初の内視鏡による乳房全摘手術
都内の大病院に勤務後、30代に入ったばかりの1985年に帝京大学医学部附属溝口病院に移った。ここでの経験が大きな転機となる。
当時は、侵襲の小さい乳房温存手術が広がり始めた時代だったが、全摘が必要な症例は依然として多く、皮膚ごと大きく取る手術が行われていた。福間さんは、全摘においても小さな傷で出来る新しい方法はないかと模索していた。
同病院では1990年に山川達郎教授(現名誉教授)が日本で最初の内視鏡手術(内視鏡下胆嚢摘出術)を施行するなど、内視鏡治療分野では日本をリードする存在だった。
「様々な内視鏡の機器がどんどん集まってくる環境でした。それらを見て、何とか乳がん手術にも応用できないかと考えたのです。乳房の皮膚を残して中の組織だけを内視鏡で取れば体への負担も少なく、美容面でも格段の違いがあります」
福間さんが目を付けたのは、心臓血管(冠動脈)のバイパスのために大腿部の大伏在静脈を採取する機器だった。
「先端がくちばしのような形をしていて、それを筋肉の膜の間に入れて剥がしていくという仕組みです。それを転用しようと閃きました。乳房の後ろ側からアプローチすれば可能なのではと思いました」
乳房に内視鏡や器具を挿入するために、腋の下と乳輪周辺に小さな切開をし、乳房の組織を内側から筋肉や皮膚から剥離して取り去るという方法だ。
「乳房の奥から施術可能で、血管を最初に叩けるということにもなります。出血も少ないし、がんも飛び散らないと考えました」
研究を重ね、1995年12月、世界で初めて内視鏡による乳房全摘手術を行った。センチネルリンパ節生検、乳房再建まで内視鏡で行い、6時間かかった。96年には年間20件だったが、次第に認知が広がり2004年には保険収載されたことで急速に広まっていった。
「学会から『小さな創で取り切れるのか』という批判もありましたが、ポイントは乳腺を残さずにきちんと取り切ることで、内視鏡による温存手術では乳房内再発が1%と、日本の平均3~4%と比べてかなり低い数字が出ています。全摘でも同様な傾向です」
凍結療法というメスを入れない治療
2000年に亀田総合病院に移ってからも、福間さんのチャレンジは続いた。さらなる低侵襲な治療法を求めて、研究を続けた。03年、講演で米国を訪れた際に全米を駆け巡って情報を集めていたときだった。
「アナポリス(メリーランド州)の病院で、医師が見せようとしない機器があったんです。教えてくれないので、メーカー名だけ覚えて帰り、そこに直談判しました。それが凍結療法との出会いです」
メーカー側は国外への販売を渋ったが、3度訪米してようやく購入し、06年に日本で初めて導入に成功した。その後、入手しやすい液体窒素を使用するイスラエルのメーカーに切り替えるなど進化を続けている。
凍結療法とは、直径3.4㎜の針を超音波画像を見ながらがんの病巣に刺し、液体窒素を使って針先を−170℃まで低下させて病巣周辺を含めて凍結させ、がん細胞を破壊するというものだ。
対象となるのは、病変の大きさが1㎝以下(現在は1.5cmまで適応拡大)の悪性度が高くないタイプで、サブタイプ別では「ルミナルA(ホルモン受容体陽性・HER2陰性)」が多いという。局所麻酔で日帰りできるが、原則としてセンチネルリンパ節生検と治療後の放射線治療を行う。保険適用はなく自費治療となる。
「凍結療法でもゴールは同じ。根治性を高めることです」
今や福間さんはこの分野の世界的権威となり、同病院のプロトコルが米国医療界のモデルになっているという。
「乳がんが生活のハンデにならない世界へ」

治療ポリシーを改めて聞いた。
「乳がんに関わるすべてを知った上で、それを診療に反映したいということです。手術にこだわるのではなく、化学療法、放射線療法、ホルモン療法などベストな治療を目指しています。女性にとって、乳がんであることがハンデとならないような生活をお届けしたいと思っています」
乳がん治療界の風雲児は60歳。今は、これまで確立してきたことを次世代に伝えることも大きな任務と思っている。
「画像診断から化学療法、術後のケアまで一連のことができる領域です。患者さんにメリットとなることを、乳腺外科という範疇にこだわらず広く考えて欲しいということが基盤です。そして、新しいことにチャレンジすることがすごく大切です」
自らの執刀の姿を見せながら、技術の伝承と創造力の喚起に努めている。