チーム一丸となって 肺がんの攻略に取り組む

取材・文●伊波達也
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年12月
更新:2019年7月


東病院で腕を磨く

そしてその後、当時開院から3年目だった東病院に在籍することになった。

「始めは無給研修として入ったんですが、当時の上司である永井完治先生が見るに見かねて非常勤にしてくれました」

このとき、鈴木さんはすでに奥さんと子ども2人がいたのにもかかわらず、月収はわずか13万円だった。知識も技術も他のレジデントと比較して箸にも棒にも引っ掛からなかったという鈴木さんは、半年間がむしゃらに修業し、平日は病院に泊まり込みで働き、日曜日の夕方だけ自宅へ帰る生活を続けながら、半年目にようやく1例目の手術をさせてもらえた。

「5時間50分かかって、しかも出血500㏄以上でした。今から考えるととんでもない手術です。患者さんは無事に退院されたのでよかったですが」

それを機に少しずつ手術ができるようになり、それから4年間、手術手技を身に付け、論文を量産した。

手術を90例ほど経験した時に、国立がんセンター中央病院へ移れることになった。

「少しは自信がついていたのでとてもうれしかったのですが、中央病院で先輩の諸先生方の手術をみて唖然としました。〝これはまた一から出直しだな〟と思いましたね」

中央病院で一から出直し、スリートップの1人に

当時、土屋了介医師以下、近藤晴彦医師(現・杏林大学呼吸器外科教授)、淺村尚生医師(現・慶応義塾大学呼吸器外科教授)という全国屈指の肺がん手術の名手の中に入り、毎日圧倒される手術を目の当たりにした。

「99年から2000年頃までは、僕の手術は合併症が多く、カンファレンスではいつも罵倒されていました。上の先生たちは皆、経験に基づいて的確に手術適応を決めていくんですが、僕はまだそこまで至っていなかった」

しかし、鈴木さんは難症例の手術をする機会が多く、そこで気管支形成や大動脈形成などの手技を徹底的に学んだ。この時の経験が今の自分を支えているという。

2003年頃からは、鈴木さんは、肺がん術者のスリートップの1人として手術に邁進した。

「今思えば、僕は常にいいタイミングで病院にも指導者にも恵まれました。どの順番が狂っても恐らく今の自分はありません。最初に中央病院に入っていたら、全く歯が立たずに止めていたかもしれないし、中央病院を経験しないで、大学教授になんてなっていたら今のようなチームは絶対に作れなかったです。人生の巡り合わせにしみじみ感謝しています」

気管支形成術をできる外科医が激減

昨今、肺がんのタイプも変わり、それに対応して治療も変貌してきたという。

「昔は肺がんイコール、ヘビースモーカーのイメージが強かったと思いますが��1965年を境に喫煙者数がピークアウトして、現在では、タバコが原因の扁平上皮がんより、タバコに関係ない、肺の末梢にできる腺がん(adenocarcinoma)が増えてきました。

そのため、以前は肺葉切除の時に実施していた気管支形成術が激減して、今では1.4%くらいになっています。それでこの手術をできる人がいなくなってきました」

鈴木さんのチームはこの手技にも長けているため、他院で断られた患者さんも大勢紹介されてくるという。

「もちろんリスク(危険性)の高い症例の場合、手術ができないこともありますが、ある程度のリスク覚悟でいらした患者さんやご家族とはとことんお話をして、その強い意思を確認できれば、手術をします」

延命が可能であれば積極的に施術

現在、肺がんは、薬物療法の進化とともに、根治できずとも、がんと共存しながらできるだけ延命を図るという傾向にある。その時に重要なのが、胸の中の局所制御だという。

「肺にがんが残っていることで、喀血したり、QOL(生活の質)が悪くなり、場合によっては、それが原因でお亡くなりになる場合もありますので、そのときには手術の役割が重要になります」

手術の適応は治るか治らないかで決めることが一番重要だが、例え治らなくても、患者の寿命を、半年を3年に、1年を5年にと延ばせるのであれば、積極的に手術を行うべきだというのが鈴木さんたちのポリシーだ。

チームの合言葉は “move on forward”

「国立がんセンターのレジデント時代、ある先生から、80代の患者さんの1日は若い人の1カ月分に相当するほど貴重なのだと教えられました。確かにそうだなと。例え再発して亡くなっていくにしても、3、4カ月を3年に延命できたら、その人にとってはその3年間が20年、30年の価値があるかもしれないんです」

鈴木さんのチームの合言葉は“move on forward”。

「文法的には間違っていると思いますけど、〝前に出る〟ということです。やるべきか止めるべきか迷ったときには、患者さんのためになると思ったらやるということです。リスクをとるというよりは、患者さんとリスクを共有するということでしょうか。きちんと話し合い、お互いに心が通い合って、患者さんが覚悟してくれれば、必ずいい結果が訪れます」

根治を目指せる人には、安全な根治術を行い、元気で社会復帰してもらう。例え根治が見込めない人でも、残りの人生を少しでも豊かに過ごしてもらう。

鈴木さんたちチームは、それを日々実践し、さらに進化していくために、今日も努力を続ける。

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