病院全体に目を向け、様々な改革に取り組む
がんセンター中央病院で腕を磨く
中山さんが外科医になった理由を聞くと、人に誇れるような動機はないと笑う。
ただし、自分の腕で患者さんを治すことができる点で、外科医には魅力を感じていたと話す。
医学部を卒業後、初期研修の日本赤十字社医療センターを皮切りに、母校ではない大学の医局へ入り、その関連病院などで様々な手術を経験した。
「血管をつなぐ手術をしたり、甲状腺、消化器の手術はもちろん、大動脈瘤の手術までしましたよ」
そんな日々を送る中、ある時、関連病院の上司にあたる部長から、「これからは肺がんが増えるから呼吸器外科を目指すといい。目指すなら一番優秀なところで学んだほうがいいよ」と言われた。
そして、卒業後5年目に国立がんセンター中央病院(当時)のレジデントとなる。
「呼吸器外科のレジデントとして入りましたが、1年目は病理と内科、それから3カ月ずつ呼吸器外科以外の外科をローテートして、呼吸器外科にいたのは9カ月だけでした。がんセンターのレジデント時代は、全国から優秀な人が集まってきていましたから、正に他流試合みたいなものでした。
先輩や上司の医師からは、指導を受けるという感じではなかったですね。レジデントは誰しもが、自分で技術を奪い取る、盗むといった感じで手術を見ていました。僕もスケッチしたりしながら見ていました。執刀している先生の後ろへ回って何とか手術を見ようと近づくと、『お前の鼻息が首筋に当たってむず痒いんだよ』なんて言われていました(笑)」
新天地で1から作り上げていく
さらにがんセンターには、スタッフとして5年半在籍した。手術に明け暮れ、がんセンターでの手術以外にも、呼吸器外科のいない他の病院に呼ばれて、消化器外科医や心臓血管外科医を助手に肺がんの手術をしたことも数知れずだという。
「これらの経験で度胸がつきましたね。当時の経験はすべて、その後に活かされました」
そして99年、請われて神奈川県立がんセンターの呼吸器外科部長に就任した。
「異動する当時は、ちょうど国立がんセンターの現在の建物ができたばかりの頃で、そこからいきなりここに来てカルチャーショックでした(笑)。でも、新天地で自分で1から作り上げていけるんだ、という意気込みと楽しみがありました」
そこで、まず中山さんが目標にしたのが、呼吸器外科を、神奈川県でナンバーワンの手術数にしようということだったという。手術時間を短縮し、質の高い手術で入院期間も短縮した。そして患者を紹介してくれる各地域の医師に、手術後には手厚い報告をし、患者をより良く回復させて紹介元に返すことを繰り返し、信頼感を勝ち得た。
その結果、神奈川県下ナンバーワンの手術数を実���した。肺がんは手術適応になる症例は全体の約3~4割と言われるが、2015年には310数例の肺がんの手術を行ったという。
チーム医療の確立も目指す
そして、同時に併行して行ってきたのがチーム医療の確立だった。
「僕たち外科は7人で、朝に回診して、当日の手術はその回診後に全員で術式・手術に際しての注意点の最終確認をします。次の週の手術についても、もちろん皆で検討します。これは内科、病理、放射線科ほか、手術に関わるスタッフ皆で行います」
そして、診療の担当は主治医制ではなく、全員で患者の情報を共有している。
「うちは、ある患者さんの具合が悪いというと、誰に聞いても状況を把握していて、すぐに対応できます。手術の術後管理も、医師同士お互いにフォローし合います。
当初、看護師は『主治医が決まっていないと誰に連絡すればいいかわからない』と戸惑っていました。『誰でもいいんだ』と言ってもなかなか納得してもらえなかったです。他にも様々なシステムをことごとくスクラップ・アンド・ビルドしていったので、当初は大変でした。でもそれも慣れですし、きちんと説明して理解して貰えた後は、むしろその良さがわかってもらえるようになりました」
その結果、アットホームなチーム作りを実現した。現在では院内の他の科にも波及しているという。
〝オール神奈川県立がんセンター〟
そして、副院長としての現在、「チーム医療は多職種医療であることが大切だ」と中山さんは強調する。
「医療スタッフ以外にも、事務スタッフほか、病院の運営は、そこで仕事に従事する人々皆で成り立っているわけですから、患者さんにより良い医療を提供するためには、病院スタッフが一丸となって協力しないといけないんです。〝オール神奈川県立がんセンター〟です」
そう話し、病院全体のことに目を向け、病院幹部の一員として、中山さんは様々な改革に着手する。全国で5番目に導入された重粒子治療施設i-ROCK(Ion-beam Radiation Oncology Center in Kanagawa)の総責任者も務める。その治療現場の責任者は、実妹である放射線腫瘍科部長の中山優子医師が担当している。
「重粒子線治療はこれから期待できる治療法です。治療適応は限られますが、症例を蓄積しながらデータ作りをし、その他の治療との組み合わせ、例えば化学療法や免疫療法との組み合わせなども試行錯誤されていくでしょう」
手術室の中で 若い医師を育てていきたい

そう話す中山さんだが、やはり今も一番の仕事場は、手術室の中だ。
「これからは小さく取る低侵襲の手術が増える一方で、化学療法や放射線療法を行った進行がんでも、局所だけにがんが残存し、それを手術で取るという救済手術も増えるでしょう。この手術は血管や気管支をつないだり、胸壁ごと切除するなど難易度が高くなります。とくにこういうがんの専門施設では、両極端の治療になっていく可能性があります。外科医としての腕の見せ所でもあると思っています」
肺がん治療の最前線で日々陣頭指揮を執る中山さんが、医師としての大切な心構えについてこう話す。
「これからの医者は勉強だけできてもダメだし、技術だけでもダメです。臨床医は人と接してこその仕事です。コミュニケーション能力と、人としての最低限のエチケットとマナーがないと診療は円滑に回っていかないということを、とくに若い医師には肝に銘じて欲しいです」
中山さんの言葉1つひとつは、実に教育的で示唆に富んでいる。
最後に、将来の夢について聞いてみると、「やはり外科医ですので、手術室の中で若い医師を育てていきたいという気持ちはまだまだありますね。数年前から行っている手術体験セミナーである『ブラック・ジャックセミナー』などに参加して、子どもたちの好奇心に触れると、未来の外科医を育てる大切さも痛感しています。
でも引退したら、全然医者とは関係ないんですが、焼鳥の屋台でも引きたいなんて思うことも、冗談じゃなくあるんですよ(笑)」
大きな体躯で、そう笑う優しい笑顔の中山さんは、人間味溢れるハートウォーミングな凄腕の名医だった。