胃がん腹腔鏡下手術のパイオニア 日々難症例にチャレンジを続ける

取材・文●伊波達也
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2016年3月
更新:2019年7月


いろんな領域の術式を身につける

福永さんが医師を志したのは、高校3年の大学受験間際だった。

「元々、理学部か工学部が志望で、将来はエンジニアなどになりたいと思っていました。ところが高校3年のときに腎臓を悪くして入院したんです。そのときに親から自分の健康管理ができる医者を目指したらどうかと言われて、ふと医学部に入ろうと思いました」

琉球大学医学部に進み、外科を目指す。

「外科に進もうと思ったのは、患者さんを治すには、この目で患者さんの患部を見て診療できる科がいいなと思ったからです」

当初、脳神経外科か消化器外科か迷っていたが、学生時代から興味を持っていた胃がんの治療をできる消化器外科を選んだ。

消化器外科に進みたい旨を当時の恩師に相談すると、順天堂大学医学部教授で当時胃がんの権威だった榊原宣医師を紹介してくれた。そして、順天堂大学の第2外科に入局。その後、アメリカへの留学などを経て、帰国後、浦安病院に赴任した。

「僕はこの病院で育ててもらったと言っても過言ではありません。勉強する立場として、当院の外科がありがたかったのは、診療が外科全般だったため、専門の胃・食道以外に、大腸がん、肝がん、膵がん、そして甲状腺がん、肺がん、乳がんと様々な手術を経験できたことです。いろんな領域の手術とその術式を知ったことで応用力がついたのです」

腹腔鏡下手術普及の活動遍歴に

2004年、当時、大塚にあった癌研病院で腹腔鏡下手術を立ち上げて欲しいと請われて赴任した。現在では、胃がん腹腔鏡下手術で全国屈指となったがん研有明病院の始まりは、福永さんらの努力の賜物だったのだ。

「伝統ある胃がん手術の総本山のような病院でしたので、最初はいろいろと苦労もしました。しかし、我々の手術を見てもらったり、術後の患者さんの回復の度合いなどをつぶさに見てもらうことにより、腹腔鏡下手術の良さについて、徐々に理解してもらえるようになりました」

福永さんの胃がん腹腔鏡下手術の遍歴は、手術普及の活動遍歴ということもできる。

「腹腔鏡下手術を始めた当時は、宇山(一朗)先生(藤田保健衛生大学教授)や僕が学会で発表すると、大御所の先生方からはけちょんけちょんに言われました(笑)」

2005年に有明に移転し、がん研有明病院

手術を徹底的に研究することでのみ、手技は上達する

当時から考えれば隔世の感があると言う。しかし、大腸がんの腹腔鏡下手術が進行がんに対しても標準治療として確立してきたのに対し、胃がんは未だに研究的治療だ。

「だからこそ、再現性のある手術を実現して、誰でも安全で確実に行えるよう���することが僕の目標です」

そのためには、後進の指導はもちろん、腹腔鏡下手術を志す消化器外科医に対して少しでも技術が伝授できるのであれば、東奔西走、海外までも出かけて行く。日常的にアドバイスを求める医師たちのメールもひっきりなしに入る。

「僕が後輩や部下にいつも言うのは、自分の手術の映像を100回見ろということです。人の手術を見るのはもちろん大切なことですが、その前に自分が行った手術を何度も見直すことで、そこから気づいたり、手順を覚えたりするべきなのです。大好きな映画は何十回と見て次がどんなシーンかわかるのと同じことです」

手術を徹底的に研究することでのみ、手技は上達すると福永さん。そして、現代は、学んだ手技を有効に活かせる技術革新があると話す。

「あるとき、昔の達人の先生は、視力が落ちてもなぜ出血しない正確な手術ができるんだろうと考えたときに、臨床の応用力なんだと気づいたんです。あらゆる症例をたくさん経験して、そのバリエーションが頭に入っているんだなと。

例えば人間国宝の人が、0.01㎜を正確に削るといった技は、もはや見えているのではなく体が覚えているんですよね。見えていないのにこの角度で切れば血が出ないというのを体得していたんでしょう。我々はデバイスの進化を借りてできるんです。拡大視できることで、昔は見えていなかった血管や神経を我々は視ているし、教科書にも載っていない無名の血管や神経を視ることができるのです。そして出血を防げたり、合併症を防げる。これはすばらしいことです。だから僕らはもっとうまくならなきゃいけないんです」

治療法として確立されるまでがんばる

昨今、腹腔鏡下手術についてのネガティブな話題が世の中を駆け巡っているが、その点について福永さんはこう話す。

「外科手術の歴史は皆、導入→検証→成熟を経験してきました。新しい術式は、導入当初は様々な弊害や問題点が取沙汰されます。そこを熱意を持った人間ががんばって続けていく。それである程度トラブルが解消され、利点がわかってくると実施する人が増えてくる。そうすると標準的治療との優劣を検証しようということになります。そして効果が認められれば成熟期に入り、そうでなければ廃れてなくなるのです。

腹腔鏡下手術で言えば、最初は胆のう摘出手術で、その5年遅れが大腸がん。さらに5年遅れが胃がんです。今後は食道や肝胆膵も必ず同じ道をたどっていくでしょう。今は分が悪くても必ず治療として確立されるはずです。我々医師はそのためにがんばらなくてはいけないんだと思っています」

少ない休日は、自転車でのロードツーリングを楽しむという福永さん。青空のもとでのリフレッシュを糧に、日々新たな難症例に立ち向かう、凄腕の医療人のチャレンジは、まだまだ続く。

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