「長く生きる」から「治癒」へ トータルテラピーで骨髄腫に挑む
トータルテラピーで治癒を達成
鈴木さんが取り組むのは、トータルテラピー。1人ひとりをどのように治療していくかということだ。
「長く生きさせるのではなくて、薬剤や自家末梢造血幹細胞移植を集約して治療を行い、いかに治癒に持っていくかということで、臨床医には非常にやりがいがある仕事です。30代の女性が妊娠中に骨髄腫であることが分かりました。どうすればいいか。15年生きればよいのではなく、治らなければ。本格治療で治癒に持っていくしかない。必ずできる。達成するのが志であり、夢です」
これまでの治療は、治療成果が出たら経過観察となり、再発したら治療、また再発したらまた治療というのが典型的な流れだった。それを、患者個々に応じた薬剤の組み合わせによる強い治療を治験を含めて最初から行い、再発しないようにわずかに残る骨髄腫細胞までたたくようにする。
わずかに残った骨髄腫細胞をMRD(微小残存病変)と呼ぶが、2~3年という期限を設定し、mCR(分子的完全寛解)やsCR(厳密完全寛解)よりも深いレベルまで骨髄腫細胞を減らしてMRD陰性にすることが目標だ。
「コストはかかるかもしれませんが、その後患者さんが5年、10年と働けること、再発対応がいらなくなることなどを考えると医療経済的にもプラスだと思います。今使える薬の一番いい組み合わせで、いかに副作用少なく治すかです」

息子も父の姿を追って医師に
鈴木さんが生まれたのは埼玉県羽生市。実家は地元で名のある庄屋だった。姉と妹はいるが鈴木さんは1人息子だった。
「祖母には『勉強はするな』と言われて、勉強すると叱られたものでした。後継ぎが都会に出ていなくなってしまうという気持ちのようでした」
勉強の代わりに身体を鍛えろと言われて外で遊び、小学校では3年間陸上部に入って長距離ランナーとして活躍した。
「そのおかげか、これまで病気はしたことがありませんね」
結果的には、勉学の魅力にのめり込み、新潟大学の医学部に進学した。ともに学んだ仲間には、現在の新潟大学学長の高橋姿氏もいる。卒業後、実家の希望に沿って臨床医として関東に戻ったが、まだ庄屋は継げていない。
病院に入ってからは、休みのない毎日。一男二女に恵まれたが、遠出もできずにお出掛けはいつも病院近くの有栖川公園。そこからもポケベルで呼び出される日々だったという。長男の一史さんは現在、父親の後を追うように骨髄腫を専門とする医師になっている。
医療経済も大きな課題
鈴木さんが骨髄腫ア��ロイドセンターで取り組みたいことの1つに医療経済がある。
「患者さんの経過を全て見て、毎月どれくらいの医療費がかかっているかを調べます。薬剤によっては平均100万円かかっており、国としての医療経済は危機状態にあります。我々はガイドラインに沿ってただ治療をすればいいということではありません。効く薬は高価でも仕方がありませんが、タイミングを見てうまく使うことが大事です」
骨髄腫治療のブレークスルーを
鈴木さんが気に入っているフレーズがある。
*“It’s time to see what I can do. To test the limits and break through. No right, no wrong, no rules for me. I’m free.”
という、映画「アナと雪の女王」(2014)の「Let It Go」という歌に出てくる一節だ。EBM(エビデンスに基づく医療)を理解した上で、患者さん個々に応じた治療のアレンジをするのが医師の使命と思っている。
「ブレークスルーという言葉が好きです。僕らの世代は『Let It Be』ですけどね。退屈している暇はありません」
鈴木さんの挑戦は続く。
*Let It Go:「ありのままで」 今がその時 私の力を知り 限界を試して それを超える 正しいことも 間違ったことも ルールもない 私は自由よ!