千里ペインクリニック どんな状況であっても医療・介護を必ず提供してくれる「在宅ホスピス」

取材・文:守田直樹
発行:2007年6月
更新:2013年9月

苦しんでいる人を助けるのが先決

川合さんは、在宅医としては1年を超えたばかりだが、麻酔科医としては10年の経験を持つ。

「いまはどこの病院でも麻酔科医が足りず、そのために手術が遅れたりもしているんです。この制度上の問題で、勤務医だと手術での麻酔が中心で、痛みに苦しむ人たちのために緩和ケアを学ぶ時間がなかったので、去年の4月にここに来ました」

川合さんも松永さんと同様、集中治療室で多くの死と向き合ってきた。

「ここへ来て、いちばんびっくりしたのは、遺族の方々の反応です。在宅でのご家族は、やることをやり尽くした達成感からか、悲壮感はほとんどありません。亡くなられた瞬間とかは涙を流されますが、しばらくすると和やかな雰囲気になって、笑顔も出る。ここまで集中治療室と違うとは正直思っていませんでしたね」

写真:松永さん

松永さんのとびっきりの笑顔で、多くの患者や家族が救われる

ただ、患者数がどんどん増えていることには危機感もある。

「松永さんのすごさは信念を持ってはるところです。スタッフから無理やという意見はよく出ますが、松永先生は『患者さんを放っておけない』と、どなたも受け入れています。でも、患者さんが増えれば増えるほど、1人に対する時間やケアが浅くなるというジレンマはあるんです」

しかし、松永さんの気持ちは揺らがない。

「手厚いケアができればそれに越したことないけど、多少レベルが落ちるのは仕方ないと思うんですね。うちは2日とあけず家に行き、何かあったら飛んでいきます。何の医療的サポートも受けられず、苦しんでいる人をまず助けるのが先決やと思うんです」

在宅ホスピスを受ける1人のがん患者

写真:森本優子さん

森本優子さんは、「夫が教えてくれた」というパソコンでメールや情報収集をしている

「千里ペイン」にサポートを受けているのが森本優子さん。クリニックから車で15分ほど北に行った山すその一軒家に住み、日中は仕事に出ている夫や息子に代わり、実母に身のまわりの世話をしてもらっている。

森本さんが乳がんと知らされたのは12年前。熟慮の末、ホルモン療法など、手術以外の方法を選択した。子どもが小さかったし、心臓病で倒れた父親の看病もあった。それに、手術をすれば100パーセント治るという確証もなかった。そして、がん告知のされ方も医療不信へつながった。

「翌日に細胞診の検査を受けたあと、結果を教えてもらうことになっていたんです。でも、なんの準備もしてないときに、『悪性の乳がんやからすぐ手術しましょう』と流れ作業みたいな言い方をされて……。急に言われて頭が真っ白。すごいショックでした」

2006年の正月ごろから腰が痛みはじめ病院に行くと、脊髄転移を告げられた。いったん入院していたが、2006年6月に「千里ペイン」の在宅ホスピスを受けることを決断。ただ、不安もあって入院していた病棟スタッフには、「すぐまた病院に帰ってくるからお願いね」と、言ってきたという。

しかし、再入院することもなく、退院時にあった痛みも、いまは疼痛コントロールがうまく行っている。

「千里ペインさんの先生は、痛いところはないですかと親身になって聞いてくれます。足が不自由になったのは想定外でしたが、痛みはほとんどありません」

森本さんは53歳のため、以前なら65歳以上に限られていた介護保険の適応にならなかったが、2006年の法律改正で使えるようになった。いまは半身麻痺のため、介護度は重いほうから2番目の要介護4。毎日夕方30分ほどヘルパーさんに来てもらっている。

「ヘルパーさんにしても、看護師さんにしても本当、大変な仕事。本当にありがたいです」

大阪の郊外というのに、いまも近くの川にはホタルが舞うという閑静な地。お話をうかがっていると、静けさのなかから「プシュー」という音が聞こえてきた。

「エアーマットの空気が抜ける音です。なかでエアが動いて圧が変わり、床ずれを防止するんです。介護保険のおかげで月々わずかなお金でねえ、使わせてもらって本当に感謝しています」

いまは本を読んだり、テレビを見たり、自宅でゆったりと過ごしている。

取材中も笑顔を絶やさず、多くの来訪者があるというのもわかる気がした。

「まるで仏さまみたいな方ですよ」と、ドクターの川合さんの言葉が頭をよぎった。

伝えたい、「在宅ホスピス」の素晴らしさ

写真:ボランティアで活躍する満中雄二さん(左)、岡本里美さん(中)、大谷千賀子さん(右)

ボランティアで活躍する満中雄二さん(左)、岡本里美さん(中)、大谷千賀子さん(右)

2006年2月には、クリニックの誘いかけで家族会も動き始めた。その中心的役割を果たす1人が岡本里美さん。岡本さんも「千里ペイン」で母親を看取られ、新たな一歩を踏み出した。家族会による新たな地域ネットワークづくりに取り組みたいと、通信教育で福祉を専門的に学びはじめたのだ。

「どこの病院でも、ボランティアとの協働を目指していますが、私は千里ペインさんほど協働意識が強いところはないと思います。遺族のみなさんの感謝の気持ちがすごいんです」

「千里ペイン家族の会」では有志らが組織化に向けて毎月会合を開催。月に1~2回は、患者の話し相手となる「傾聴ボランティア」として患者さん宅へも行き、遺族同士が話し合う茶話会も行ってきた。

茶話会に欠かせない大谷千賀子さんは、2005年に65歳の夫を見送った。

「最初、退院時に松永先生の在宅ホスピスのことを教えていただいたときは、やっぱり主人も私も先生に見放されたと思いました」

しかし、このときの主治医の言葉は「最後まで病院にいてもいいけど、ずうっといたら患者さんはハッピーじゃないよ」と、温かみのある言葉だった。

それでも大谷夫妻の「在宅ホスピス」への抵抗感は拭い切れない。退院後も月1回の通院で7カ月間を自宅で過ごしたという。

このクッションとなる時間が必要だ。松永さんもこう言う。

「いまの制度はワンorナッシング。積極的治療をしておられる方も、一見元気そうに見えてもいろんな不安やちょっとした症状に苦しんでいるんです。早い段階からの在宅医のサポートが必要なんです」

大谷さんの夫は車椅子での通院が難しくなったとき、『千里ペイン』へ相談に行くよう妻に頼んだ。

「お会いしたら松永先生の人柄もすごく良かったし、看護師のみなさんも、時間をちっとも気にしない。私の気がすむまで何時間でも相手してくれはり、夫も訪問を心待ちにするようになったんです」

3カ月後に夫を見送り、大谷さんも死をことさら特別視しなくなったという。

「誰も在宅(ホスピス)を『ああ、それします』って言う人はいないと思う。みんな不安やったと思うんですよ。でも、実際にやってみると、自分自身も死が怖くなくなったんです。いまは在宅のすばらしさを1人でも多くの人に伝えていきたいと思っています」

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