神宮寺 「いのちの現場」に身を置く住職が目指す、温泉場でのホスピス運営

取材・文:守田直樹
発行:2007年3月
更新:2013年9月

元看護師も驚く情報量を持って、檀家と接する

写真:齋藤京子さん

神宮寺の専属スタッフとして働く齋藤京子さんは、身に付けたタイ語で、タイの現地事務所で活躍した

写真:飯島恵道さん

宗派を超えて高橋さんのサポートをする飯島恵道さん。元看護師だけあって、物腰がやさしい

大学卒業後、支援の仕事のため3年間にわたりタイに行っていたのが齋藤京子さんだ。齋藤さんは大学で学んだタイ語を生かし、NPO法人「アクセス21」の現地事務所を切り盛りし、2005年に後継者にバトンを渡して帰国した。いまは日本国内での営業を行うかたわら、神宮寺の専属スタッフとして働いている。作務衣販売で利益をあげるのは大変だが、月産200着のオーダーを継続しているそうで、

「内輪では『アクセス21』のことを『あくせく21』と呼んでいます」

と仕事を楽しんでいる。

また、高橋さんが中心的役割を果たすNPOは「アクセス21」のほか、県内のNPO支援などを行う「長野県NPOセンター」を含めて全部で5つ。さらに、年間大小100以上の講演をこなし、住職としても、お盆の8日間におよそ600軒の檀家さんをまわる。

「一番多いときは148軒です。朝5時に出て、1軒あたり移動時間を含めて5分。1時間で12軒ペースで12時間かかります。私、糖尿病を患ってるんですが、お盆が終わるととたんに数値が上がるんです」

この「3分診療」を連想させる檀家まわりも、けっして檀家をおざなりにしているわけではない。住職の仕事をサポートする飯島恵道さんはこう話す。

「高橋さんは、ただお経を読んで帰るだけじゃなく、よく見ておられます。檀家さんと付き合いが長いうえ、誰がお嫁さんで今どうなっているといった家庭の事情や状況をびっくりするぐらいご存知です。その情報は、私が看護師をしていたら、ぜひもらいたいと思うくらい正確なものです」

尼さんの恵道さんは、元看護師というユニークな経歴を持つ。松本市の東昌寺というお寺で拾われたという境涯も関係するのだろうか、人を助ける看護師の仕事に憧れて、この資格を得た。そして、鎌田さんらの諏訪中央病院において地域ケア科に所属した後、発足当初の緩和ケア病棟にも参加。4年間の勤務の後、地元に戻って亜麻色の見事な髪をバッサリ落として出家した。現在は東昌寺の副住職だが、神宮寺の宗教部スタッフとして加わっている。高橋さんからは、「ホスピスケアにもかかわりたいという気持ちを捨てる必要はない」と言われ、自らも勉強会を開いたり、患者のサポートも行ったりしている。

恵道さんがいる東昌寺は曹洞宗で、神宮寺は臨済宗。それでも高橋さんは、宗派の異なりをまったく意に介さない。

「うちは宗派を問わない『皆の宗』。そして、私は臨機応変派の“とび職”ですから……」

お寺が地域住人の社交場に

写真:杉本博志さん

「東御殿の湯」管理者の杉本博志さんは、女性たちのアイドル

写真:高橋住職が話し始めると、会場は爆笑の渦に包まれる

高橋住職が話し始めると、会場は爆笑の渦に包まれる

神宮寺の檀家の情報は、毎月、お寺で行う懇親会「ごく楽倶楽部」でも自然に入ってくる。

記者が取材した日も「ごく楽倶楽部」には檀家さんだけではなく、近くの老健施設の入所者や、一般の地域住民など30名ほどが参加していた。

大きな鍋を囲んでの食事はおいしく、会話も自然にはずむ。参加者が持参したショウガのような「きく芋」の漬物が、昔は田んぼの畦にたくさんあった話で盛り上がる。また娘時代には、火を落としたばかりの炭をかついで山を降り、火をつけられた狸の「かちかち山」のように「途中で煙が出ているよって、からかわれてねえ」というような昔話などに花が咲く。

そんな楽しい会話の合間に、1人の女性がぽつりと呟いた。

「定年まで年金もらわないでがんばったんだけどね。これからいろいろ旅行にも行こうと言っていたのに……。食道がんがわかったときには手遅れでね」

同席していた女性のほとんどが他所の土地から嫁ぎ、夫を先に見送っている。夫に先立たれるつらさがわかるためだろう。参加者は涙ぐみながら声をかけあっていた。

食事が終わったあとは、楽しいカラオケ。参加者のリクエストで「銀座の恋の物語」をデュエットしていた杉本博志さんは25歳。神宮寺の職員だが、「東御殿の湯」に管理者として出向中だ。

「ケアタウン浅間温泉の可能性は無限です。介護だけでなくもっと幅広い、別の形やデザインが提示できればと思っています」

すべてを閉じず、開いてゆく

写真:新井満さんとの対談

尋常浅間学校の82時間目には新井満さんを招いて対談を行った

『千の風になって』

『千の風になって』は、いわさきちひろさんの絵とともに多くの人に広がっている

神宮寺の山門は閉じたことがない。常に「開く」ことを大事にし、高橋さんの給与やお布施などの経理も全面公開している。だからこそ信用を得て、いろんな人が集まってくるのだろう。スタッフ6人のなかには中国の同化政策へ反対して帰国できない内モンゴル人の男性もいれば、引きこもりの少年をあずかったりもしている。

加えて、神宮寺では「尋常浅間学校」という学校も運営してきた。その校長は永六輔さんで、教頭は無着成恭さん。1997年からスタートし、授業は筑紫哲也さんや谷川俊太郎さん、おすぎ&ピーコさんなどとの対談や、上々颱風のコンサートなど多種多彩。地域に学びの場を提供してきた。

2005年6月には芥川賞作家の新井満氏を招いて対談を行った。実はこの後、高橋さんが誘った場所で1冊の本が誕生している。

「日本で一番気持ちのよい『千の風』が吹いている場所にご案内しましょう」と、高橋さんが新井さんを連れていったのが近くの「安曇野ちひろ美術館」だった。そこで、いわさきちひろさんの1人息子で館長の松本猛さんとの出会い、やさしい絵と新井さんの訳詩などがコラボレートした絵本『千の風になってちひろの空』(講談社)が完成した。

私のお墓の前で

泣かないでください

そこに私はいません

眠ってなんかいません

千の風に千の風になって

あの大きな空を吹きわたっています

作者不詳の詩を日本語訳し、曲をつけて世に送り出したのがほかならぬ新井さん。高橋さんは患者さんのサポートにいく際、作務衣姿で「千の風になって」のCDを持っていったりする。

「この原詩はネイティブアメリカンによってつくられたことにほぼ間違いありません。先住民族たちは近代人に攻められても勇猛果敢に戦いますよね。なぜ死を恐れないかというと『死よりも自分たちの土地が違う人間の手にわたり、自分たちの魂が還っていく場所がなくなることがつらいからだ』というんですね。山尾三省さんという詩人の言葉にも、『魂の源郷は地球であり、固体としての源郷は地域や家庭』とあり、ここらあたりに意識の昇華の可能性があると思います」

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