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取材・文:守田直樹
発行:2006年11月
更新:2013年9月

痛みの放置は暴行障害と同じ犯罪

写真:診療所のようには見えないクリニック

診療所のようには見えないクリニック

山崎さんが著書『病院で死ぬということ』で医師たちの疼痛緩和の意識の低さに鋭い批判を浴びせたのは90年のこと。しかし、今もその点はあまりにも遅れている。

2006年6月に「ジャパン・パートナーズ・アゲインスト・ペイン」がインターネット上で医師に行ったアンケートで、がんの痛みの治療の世界指針である世界保健機関(WHO)の基本5原則を「聞いたことがない」と「聞いたことはあるが知らない」という回答を寄せた人数を合わせると47パーセントにのぼったという。

山崎さんは、怒りの表情でこう語る。

「20年、30年前はがんの痛みのコントロールは難しかったし、知識も経験もありませんでした。でもホスピスなどの除痛率はいまや9割なのに、一般病院は5割以下とされている。僕はもう正直、医者の自発的な努力を待つ時期は過ぎたと思ってます。患者さんの痛みの放置は医療の不作為による暴行障害と同じ犯罪。どこかで象徴的な裁判を起こし、徹底的に闘うしかないんじゃないかと思っています」

実は杉山さんは2006年に入り、もう1つ別の大学病院で最後の抗がん剤治療に挑戦している。その際、あまりにも屈辱的な言葉を医師からかけられた。

腰や背中に痛みが出てきたことを医師に訴えると、「不思議ですね、そんなはずないんだけど……」と言われ、モルヒネを頼むと、「出してもいいけど、モルヒネは便秘になっちゃいますよ」。

モルヒネが効きにくい神経組織が侵されたことによる痛みだったのかもしれないが、除痛の方法はある。痛みの原因を尋ねると、「杉山さんはちょっと我がままなのかもしれないですね」と言われ、堪忍袋の緒が切れた。

「もう死ぬかもしれないっていう患者が、死ぬときぐらい我がままになったっていいんじゃないですかって言いました。そしたら先生は苦笑いして『杉山さんは先を急ぐ』って。その先生にも好意はもっていたから、一生懸命信じたいんですけど、痛みを取ってくれる気なんてまったく無いんです」

人とのかかわりを通じて人間は最後の瞬間まで成長する

写真:杉山夫妻と知人たち

手作りピザを食べながら団らんをしている杉山夫妻と知人たち

写真:長男の結婚式

あれほど痛くてつらかった痛みが山崎さんによる治療で取れ、杉山さんは長男の結婚式に出席できた

杉山さんは治療��無くなった場合は家で過ごしたい旨を伝えており、その大学病院のソーシャルワーカーから紹介されたのが山崎さんだった。

テレビや著書では見知っていたが、まさか自分がそんな先生に診てもらえるとは夢にも思っていなかった。緊張してクリニックに出向くと、ラフな格好の山崎さんの笑顔にすぐに引き込まれた。

「抗がん剤は後悔しないようしっかり考えて選択するよう言われましたが、会った瞬間から先生にお願いしようと決めました」

3回目の抗がん剤治療で腫瘍マーカーの数値は半分になっていたが、がんの大きさに変化はなかった。「4回やらないと分からない」と大学病院の医師に言われたが、中断を申し出て在宅ホスピスにギアチェンジした。

5月の末から山崎さんの在宅医療がはじまると、あっという間に背中の痛みも取れた。出席を諦めかけていた6月半ばの長男の結婚式にも、普段どおりの姿で出席できた。7月には、がんを内緒にしていた高校時代のクラスメイトに告げ、涙の別れもしてきた。

「再発後にはすごく苦しく、孤独で、つらい日々を送った時期もありました。でも、私は家族みんなが私の死を受けとめてくれて、一番の安らぎになりました。もう特別あそこに行きたいとか、これをしたいとか、これが欲しいとかは何にもありません。今こうやってお話ししてるのも、娘と2人で会話しないでぼうっとしてる時間もすべて満ち足りてるんです」

杉山さんは無神論者で、お墓に入ることも望んでいない。許可されている山に散骨するよう家族に頼んでいる。 「ただ、子供たちが『うちのお母さんよくパンを焼いてくれたよね』と、たまには思い出して、命日とかに手を合わせてくれたら充分です」

無に帰すことへの恐怖心は無いのだろうか。

「昔はありましたけど今はないです。夜寝るとき家族におやすみって眠るのと同じような感じで『お母さん先に寝るからね』みたいな捉え方です。理想ではお互いに笑ってですが、泣きながらでも『じゃあ、さいなら』って言えたらいいなと思ってます」

写真:帰り際にしっかり握手する杉山さんと山崎さん

帰り際にしっかり握手する杉山さんと山崎さん

杉山さんは最悪の医師と、すばらしい医師の両方に出逢った。恨みの気持ちが募ってもおかしくないが、感謝の念のほうが強い。

「山崎先生に出逢って宝くじに当たったようで申し訳ないなっていう気持ちなんです。いい母親でも、いい妻でも無かったのに、家族にもこんなよくしてもらって……。残念ながら治療が無くなった人たちに、苦しいだけの抗がん剤治療を止めるきっかけになる早く正しい情報さえあれば、こんなに心豊かにすばらしい日々を送れるってことを伝えたいんです」

山崎さんは、ある医療関係者の講演で「人は生きてきたように死んでいく」と聞いたとき、会場から疑問を投げかけ「自分は変わる可能性に賭けたい」と訴えたことがある。

「僕は死の間際でも人間は変わりうると思っています。変われるかどうかは周囲の人的環境などが大きい。丁寧なケアや、人と人とのかかわりを通じて人間は最後の瞬間まで成長すると信じています」

その言葉を、杉山さんがしっかりと体現している。

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