渡辺亨チームが医療サポートする:緩和ケア編
強い痛みが出たが、「住み慣れた我が家で過ごしたい」と希望
森田稔さんの経過 | |
2007年 1月5日 | 吐血し、ホームドクターを受診 |
6日 | 内視鏡検査の結果、要精密検査 |
2月11日 | 2度目の吐血 |
13日 | K市立病院を受診、精密検査 |
20日 | 4期スキルス胃がん |
3月1日 | TS-1の服用開始 |
4月10日 | 伊豆・箱根方面へ旅行 |
7月1日 | 入院 |
手術不能のスキルス胃がんであることを知らされた森田稔さん(55)は、経口抗がん剤を携え、妻とともに富士山周辺を巡る旅に出る。
無事に旅を終え1カ月を過ぎるころから、痛みと疲れやすさを覚えるようになり、入院した。
しかし、森田さんは「できる限り住み慣れた我が家で過ごしたい」と希望する。
(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)
TS-1を持って富士を見る旅へ
「あなた。諦めないで、最後までがんと闘って。治る可能性があるなら、それに賭けて」
森田稔さんが主治医から緩和ケアの提案を受けたとき、隣で妻・久子さんは悲痛な声をあげた。夫が全身のリンパ節や肝臓にも転移した手術不能のスキルス胃がんであると知らされても、久子さんにはなかなか状況を受け入れることができない。
「どういうふうに治療を進めていくかは、今すぐ決めていただかなくてもけっこうです。来週月曜日に改めて時間をとって話し合うことにしましょう」
山口医師がこう話す。
2月26日の午後3時、森田さん夫妻は指示された通り、前週と同じ面談室に入る。待っていた山口医師は森田さんの具合を尋ね、本人から「今のところ具合はとくに悪くありません」と聞くと、こう切り出す。
「先日の話の続きですが、治療について何かご希望はおありでしょうか?」
すると、森田さんは少し沈黙の後、口を開いた。
「先生、私はまだ体が動かせなくなったわけではありません。動けるうちに妻を連れて旅行にでも出かけたいと思います」
「何を言っているの、あなた。病気を治すのよ」
が、森田さんは、きっぱりとこう言った。
「私たちの新婚旅行は伊豆と箱根でした。私はあのとき初めて富士山を見て、なんて美しい山かと思いました。最後に1カ月ほど、妻と2人で毎日、富士山を眺めながら過ごすことができたら、と思っています」
久子さんの目から思わず涙がこぼれ��。山口医師には夫婦それぞれの思いがよく理解できるようだった。
「森田さんのご判断はすばらしいと思います。がんだからといって必ず入院して抗がん剤治療をしなければならないこともないでしょう。それに緩和ケアだから緩和ケア病棟(*1)で過ごさなければならないわけでもありません。TS-1(*2一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)というがんの進行を遅くできる可能性のあるお薬もあります。森田さんの今の状態なら、このお薬を飲みながら奥さんと一緒に1カ月や2カ月くらい、ご旅行をなさることは可能でしょう。ぜひお出かけください。応援しますから」
森田さんはこの日、TS-1の服用に同意すると、TS-1の服用法を説明した冊子を手渡された。そして、その翌週の3月1日から薬を処方される。服用1週間を過ぎて便がやや柔らかいのを感じたが、それ以外はほとんど副作用は現れていない。食欲はあまりないが、「旅行に行くには体力をつけておかなくては」と考え、できるだけきちんと食事を摂るようにした。
4月2日、旅行に出発する前の最後の診察を受けるために森田さんは山口医師を訪れる。このとき、森田さんは体調のよさを覚えていた。そして採血を受けたあとうれしい話を聞く。
「腫瘍マーカーが下がっていますね。CEAが400あったのが200まで下がっている。とてもTS-1の反応がいいですよ。当面は安心して旅行に出かけていただけそうです。しかし、具合が悪くなったら、すぐに戻ってきてくださいね」
WHO方式の疼痛管理
4月10日に森田さん夫婦は、憧れの富士山を眺めながら温泉を巡る旅に出た。まず箱根に行くと桜が満開で、その後伊豆へ来るともう若葉の季節に移ろうとしている。旅はとても快適だった。もちろんTS-1を飲み続け、その後休薬期間となったが、それでも症状は現れていない。森田さんは毎日夢中でカメラに富士の雄姿を収め続け、時にはがんに侵されていることを忘れるほどだった。
こうして6月始めになって、2人は2カ月近くに及ぶ旅行から無事に東北の我が家に戻ってくる。森田さんは「もしかすると、TS-1でがんが治ったのでは」と思うほど快調だった。
やがて梅雨を迎え、蒸し暑くなってくる。「今度は梅雨のない北海道にでも出かけようか」などと森田さんは妻に話していた。
ところが、6月下旬になると森田さんはお腹のあたりにシクシクと痛みを覚え始める。最初は「たいしたことはないだろう。北海道から帰ってから病院へ行こう」と我慢をしていた。すると、数日のうちに痛みはどんどん増していき、食事も急に食べられなくなってきたのである。
「すまないが、北海道へ行くのは無理なようだ」
森田さんは妻にこう話さなければならなかった。もちろん久子さんは、「すぐに病院へ行きましょう」と応じた。
7月1日、森田さんはK市立病院を受診した。さまざまな痛みが体のあちらこちらで起こり始めている(*3がんの身体的疼痛の種類)。
「今はどんな痛みですか?」
山口医師は森田さんと対面すると、すぐに聞いた。
「そうですね。お腹全体が張って重苦しい痛みがきてあまり眠れない状態です。それに腰がだるくて重たくて……」
「そうですか。0から5に分けると、どのくらいの痛さですか?(*4痛みスケール)」

医師が笑った顔や泣いた顔を描いた図を示す。痛みの程度が0~5の6段階で評価できるようになっている。
「やはりこの4か5くらいですね」
「そうですか。痛みはかなり強いのですね。明日入院していただいたほうがいいですね」森田さんも「そうですね」と了承した。
「今日は消炎鎮痛剤と医療用麻薬のモルヒネを出します(*5がんの痛み治療に用いる鎮痛薬の種類)。まず帰ったあとすぐ1錠飲んで、あとは痛いときに何回でも飲んでください。これで少し楽になると思います」
「これからどんどん痛くなるわけですね。覚悟はしていたけど、とうとう病院から戻れない日がやってきたわけだ」
すると、山口医師は意外にあっさりとこう言うのである。
「いや、お帰りになれないことはないと思いますよ。とりあえずお疲れのようでもあるし、栄養補給をして、いろいろ詳しく検査もしたいので入院していただこうというわけです。今の時代は、WHO方式疼痛管理(*6)というものによって8割以上の痛みは抑えられるようになっていますからそれほど痛い思いをするご心配もありません。痛みさえうまく取れればご自宅に帰っていただくこともできますから」
森田さんの中の悲壮な思いがちょっと和らぐようだ。「自分にはまだ時間が残されているのだ」と思えた。
住み慣れた我が家で過ごしたい
入院するとすぐに山口医師は森田さんのベッドを訪れた。
「うちには緩和ケアチーム(*7)があって、私たちと連絡し合って痛みの治療などに当たっています。チームには緩和ケア認定看護師(*8)という専門職も参加しています。森田さんの十分なお世話のためにこのチームに応援を頼もうと思っていますが、よろしいですか?」
もちろん森田さんはすぐに了承した。
夕方、ベッドに医師と1人の看護師が挨拶に訪れる。
「私は緩和ケア科の緩和ケアチームの医師の本多といいます。こちらが専従の看護師の上村です。私たちは、ここの消化器内科病棟の先生や看護師と一緒にこれから森田さんのお世話をさせていただきます。よろしくお願いします」
森田さんも「よろしくお願いします」と笑顔を見せた。
入院から3日目になると、森田さんはほとんど痛みを意識することがなくなってきた。旅行の最後にはなくなっていた食欲もかなり回復している。もちろん朝晩決まった時間に経口のモルヒネ剤(*9)を服用していた。
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