粒子技術が生み出す究極の「体に優しい」陽子線治療
固定具作りが準備作業の出発点
では、この「人に優しい治療」は実際どう進められるのだろう。
陽子線治療の準備作業は、治療の場で用いる患者の体がぶれないように固定する固定具づくりからスタートする。この固定具を装着した状態でCT(コンピュータ断層撮影)撮影が行われ、その画像をもとに治療計画が作成される。
静岡がんセンター陽子線治療科のスタッフは、村山さんをリーダーに医師2名、診療放射線技師5名、医学物理士2名の9名によって構成されている。その全員がミーティングを重ねながら個々の患者にもっともふさわしい照射角度や線量、照射回数を決定していく。
「現実にはCT画像の他に、MRI(磁気共鳴画像法)、PET(陽電子放射断層撮影)画像などを参照しながら病巣や周辺臓器の位置を治療計画用コンピュータに入力して、具体的な照射計画をまとめていく。治療のなかでもっとも難しく、細心の注意を要する過程です」

治療計画が決まると、次に陽子線照射を腫瘍の形状に合わせる「コリメータ」、陽子線を患部にとどまらせるために線量の吸収ポイントを調整する「ボーラス」と呼ばれる照射器具が作成される。これらは治療の場では照射筒にはめ込んで設置される。治療に先駆けてファントム(*)を用いた線量測定も行われる。治療当日に、最終チェックが行われ、その後ようやく患者を迎えて治療が行われる。
モニターを通して見た患者の場合は、総線量70グレイの照射が、5方向の角度から35回の予定で行われていた。
陽子線照射を告げる擬似音が響くと、モニターの1つに小さなブロックを十字型に配した画像が映し出された。中心にあるブロックは赤く、その周辺部は黄色に、末端部は水色に映っている。これは中心に行くほど多くの線量が照射されていることを意味する。
そうして数分後には、診察台に横たわっていた患者が立ち上がり、何ごともなかったかのように立ち去っていった。
「実際の治療では患者さんの体勢を決める位置決めには10分弱かかります、しかし���照射そのものは1分あまりで終了します」(村山さん)
最先端の陽子線治療はあっけないほどに短く、そしてスムーズなものだった。
*ファントム=陽子線照射により線量を、人体と同じように吸収したり散乱したりする素材で作られた測定用の換型や立方体など
陽子は1秒間に地球を5周する

この治療の背後に、どんなメカニズムが隠れているのだろう。
照射室の入り口付近は障子風のデザインで、間接照明の効果も相まって落ち着いた雰囲気がかもし出されている。患者によっては好みの音楽を聴きながらリラックスして治療を受けることもあるという。
しかし壁1枚を隔てたすぐ裏側の光景はまったく違う。そこにはブルーに塗られた照射装置の本体である全長10メートルもの回転ガントリーが鎮座していた。村山さんはこのガントリーを「小さな潜水艦」と表現する。この巨大なガントリーが、かすかにうなりをあげて回転すると、その最末端部で患者のベッドサイドにある照射筒も回転する。そうして自在な角度からの照射が実現されるのだ。
回転ガントリー照射室と最厚3メートルのコンクリート壁で仕切られた加速器室はいってみれば「粒子のサーキット」だ。広いスペースの隅に陽子を供給するイオン源が設置され、そこから線型加速器を経て、全周20メートルを上回るパイプが円を描くシンクロトロンと呼ばれる装置が形成されている。その内側で陽子は超高速に加速され陽子線となる。
「シンクロトロン内部で陽子は光速の70パーセントほどの速さにまで加速されます。1秒間に地球を5周するスピードです」(村山さん)
静岡がんセンターで陽子線治療開始が1年遅れになったのも、1つにはこのシステムの建設で沈下した地盤の安定を待っていたこともあるという。 「人に優しい」陽子線治療の裏側では、時代の先端を行く巨大技術が息づいているわけだ。
ライバルは外科手術
日本での陽子線治療はまだ端緒についたばかりで、エビデンス(科学的根拠)が確立されていないのが実情だ。現在、同じように陽子線治療を行っている国立がん研究センター東病院、兵庫県立粒子線医療センターとともに臨床研究を行っているが、治療の一般化はまだ少し先のことになりそうだ。村山さんはこの治療をどう捉えているのだろうか。
「人体への影響はX線の1.1倍程度でほとんど変わらない。線量が集中することで穿孔(*)が生じる危険のある消化器を除けば、放射線が用いられるケースはすべて陽子線治療が適用可能です。もっとも現段階ではこの治療は保険適用のない高額治療です。患者さんにおいそれと勧めることはできません」
と、村山さんはあくまでも控えめだ。
ちなみに静岡がんセンターでの陽子線治療の基本的な治療費は約240万円。もし利用するのであれば、高額療養費制度や治療費貸付制度などを活用したい。それも踏まえて村山さんはこの治療の今後についてこう語る。
「肝臓がんでは、手術が適用されない場合、ラジオ波焼灼療法(*)などが行われていますが、病巣が血管に近いなど、治療が困難なケースでは陽子線治療がベストチョイスとなるでしょう。小児がん治療でも、患部に近い骨格や筋肉に放射線が当たると発達障害などのリスクがともないます。この領域でも陽子線治療と抗がん剤治療の併用が主流になると考えられます」
打って変わった強い口調で村山さんはこうも語る。
「ライバルは外科手術。将来的にはこの治療が手術と並んで、さまざまな固形がん治療に対する根治治療の第1選択肢となる可能性もあると思っています」
そのためにはより多くの施設で陽子線治療が導入されることが不可欠の条件だ。「人に優しい」治療を求める患者の立場からも陽子線治療の早期の普及を望みたい――。
*穿孔=孔があくこと
*ラジオ波焼灼療法=超音波で観察しながら、がんに電極を挿入し、ラジオ波で焼き、がんを壊死させる治療法
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