今を楽しんでストレスを減らすことが大事 難治性の多発性骨髄腫と向き合って

取材・文●髙橋良典
写真提供●石川邦子
発行:2024年6月
更新:2024年6月


3回目の自家移植を受けることに

2021年10月に寛解導入療法のため入院。骨髄の状態が良くなかったので最初にDCEP療法(デキサメタゾン+シクロホスフミド+エトポシド+シスプラチン)で治療。11月に再入院して、VTD-Pace療法(ボルテゾミブ+サリドマイド+デキサメタゾン+シスプラチン+アドリアマイシン)で寛解導入療法を行った。

その後、2022年1月3日に改めて入院し、7日に自家移植を行って27日に退院することができた。このときの自家移植は、1回目の自家移植をしたときに半分残しておいた骨髄を使用した。

「1回目のときには見られなかった生着症候群高熱というものが出てきて、一瞬どうしようと思いましたが、骨髄は順調に回復してきていてカッパの数値も下がって、1月27日には退院することができました。やはり自家移植は効果があると改めて思いましたね」

そのため石川さんは再発に備え、主治医に「骨髄を再度、採取することはできないか」と訊ねた。

「採れないかもしれないが、挑戦だけはしてみましょう」と、2023年8月に入院して自家末梢血幹細胞採取を行った。

「2017年に骨髄穿刺を行ったときは1日で採取できたのですが、このときには3日かかりました。それでも必要な量は採取できたので、それを凍結保存してもらいました。主治医はすぐにでも自家移植をしようということでしたが、確かにカッパの数値は増えていましたが、以前ほどは高くなかったので、数値が1,000くらいになるまでは、このまま治療を続けたい、と主治医に話しました」

石川さんは2023年には自分の仕事をセーブして、他の人達に引き継いでもらうことに努めていた。その引継ぎが2024年3月までかかりそうで、できればそこまで持ちこたえたかった。

しかし、それは難しくなり2023年12月に入院。12月と1月に導入寛解療法を行って、2月に3回目の自家移植を行った。

「自家移植してもなかなか生着できなかったり、白血球の数が増えなかったりするのを心配していたのですが、生着は早くて白血球の数も増えていきました。しかし、今回はひどい下痢が続くことになりました。私の場合は1日44回トイレに行ったこともあり、ベッドに横になっている時間とトイレに座っている時間が同じような状態が1週間くらい続きました。先生たちは内臓系がそれだけダメージを受けている。1カ月経てば必ず再生するとおっしゃるのですが、その見通しが自分ではわからないし、どうなっちゃうのだろうとものすごく不安で、もう2度とこんな治療はしたくないと思いました」

二重特性抗体療法に期待を

「2021年頃に学会で主治医が多発性骨髄腫の最新治療として発表した二重特性抗体療法(BsAb)エルレフィオ(一般名エルラナタマブ)の記事を見つけて、それについて訊きに行きました。主治医からは『すごく期待している』という答えが返ってきました」

この治療法については詳しくは「がんサポート」5月号の記事を参照ください。

「今回の承認��得で、『7月くらいから使用できるのではないか』と、主治医から伺っています」

石川さんは現在、寛解状態が続いていて何の治療もしていない。

「二重特性抗体療法がどのくらいの効果があるのか。CAR-T細胞療法を行ってうまくいかなかった人でも、二重特性抗体療法の効果があったというデータも見せてもらいました。だからこの療法に期待しています」

実は2022年頃に使用していた抗がん薬のカイプロリス(一般名カルフィルゾミブ)はよく効いたが熱が出てつらかったので、もう少し副作用の少ない薬に替えてもらえないかと頼んだことがあった。

「石川さんは染色体異常が4つありますよね。普通2つでもリスクが高く予後が悪いのに4つもある。いま、こんなにあなたが元気なのは、僕は奇跡だと思っている。だから、あなたにそんな緩い薬を使う気はまったくありません。だから、この奇跡をちゃんと持続させなければいけない」と、静かにきっぱりと叱られた。

それを聞いて「この状態は奇跡なんだ」と納得したという。

「普通2回までしかやらない自家移植を3回もやっていて、もう自家移植はできないから、正直言ってもし二重抗体療法が効かなかったら、もう打つ手はなくなるということです。ですから、ある程度は覚悟しているという状態です。自家移植をして何年も再発しない人もいますが、私の場合は染色体異常で難治性ということもあって、仕方がないのかなと。ですから折角元気でいるときに、できるだけ充実して楽しい時間を無駄にはしたくはないと思っています」

2022年、大阪でも個展を開催する

病気のことをよく知って人生と向かい合う

石川さんは44歳のときに法政大学に入学する。

「47歳で大学院に行く頃に、教授から千葉敦子さんの『良く死ぬことは、良く生きることだ』という著書を紹介されて読みました。でも、そのときは少し私には荷が重たい感じがしました。しかし、この病気になってから読み返してみると、千葉さんが言われていることはよくわかるようになりました。『自分より自分の体のことを本気で考えてくれる人はいない。だから自分で体や病気のことを良く知って、人生と向かい合わなくてはならない』、というようなことが書かれていました。だから昨年(2023年)の8月に、自分から骨髄を採取して欲しいと主治医に申し出たのです。自分で選択していくことが大事で、すべて医師任せしてはいけないと思っています」

石川さんは自身の病気への向き合い方についてこう考えている。

・完治は見込めない血液のがん
・知識は患者を強くする 
・できることやりたいことは後回しにしない 
・自分1人でがんばろうとしない 
・自分で自分を可哀そうにしない

最後にカウンセラーとしての立場からアドバイスをお願いした。

「がんはそもそも免疫が弱っているから発生する可能性が高く、そう考えるとストレスは良くないと思っています。どうしょう、どうしようとマイナスの方向で考えていたらつらくて仕方がない。それよりこれができるかもしれない、あれができるかもしれないと考えることで、今を楽しむことでストレスを減らしていくほうが結果的にいいのではないかと思います。そして、生きてきた年月が充実しているかどうかが大事ですね。病気になってそういう考え方が強くなりました。同じ5年間生きるとしても、どうしようどうしようと不安に思って生きるのと楽しく生きるのとでは全然違うと思います。確かに治療しているときはめげることもありますけど、基本的にはこの考え方でいきたいと思っています」

石川さんは旅行やゴルフ、油絵など趣味も多い。がんに罹患してからも旅行やゴルフに友人たちと出かけ、油絵の個展は東京と大阪で2度行っている。

「おかげで、いまもQOL(生活の質)の高い時間を過ごせているのだと思っています」

1 2

同じカテゴリーの最新記事